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【くもりガラスの銀曜日】言葉を以って、心に伝う【ネタバレ感想/妄想解釈】

※2020年4月よりシャニマスを始めた新参者です。そのためキャラやコミュ解釈等が間違っている可能性があります。初心者の初見の新鮮な感想を認めておく意味でのnoteです。散文、個人の解釈です。
※ネタバレ感想

 夏の入り口。世間はジューンブライドに則って、ウエディングドレスのガシャで色づく──『白』づく。そんな六月が今年もやってきた。
 アイドルマスターシャイニーカラーズに実装されたイベント「くもりガラスの銀曜日」。それは作中内のユニット「イルミネーションスターズ」と六月に相応しい「雨」が関係する話だ。

1.彼女たちを「以心伝心」とは表せない

 結論から言うと、「雨」の匂いを感じる情緒的で穏やかで、そして綺麗で優しいお話だった。司書と私、二人だけの図書館で、雨がコンクリートに当たって跳ねる音をBGMに絵本を読み進めているような、そんな心地がした。

 「灯織が真乃とめぐるを名前呼びするようになったのはいつからだろう」そんなPの疑問から始まるこのコミュは、回想と現在を行ったり来たりしながら進んでいく。最初に「イルミネーションスターズ」としてユニットを結成したときから、存分に仲が深まった彼女たちを、Pは「以心伝心」と称した。

「もう、知らないことなんてないんじゃないでしょうか」

 他人の家の朝ごはんの内容を聞いて、誰が朝ごはんを作ったのかわかるくらい、彼女たちはお互いを知っている。だから、Pがそう思っても仕方のないことなのではあるが、実際のところは違うのだ。
 Pが自分の誤りを自覚するところまでを丁寧に描くこのコミュは、私たちにも「イルミネーションスターズ」の三人がお互いを想い合ったうえで「以心伝心」ではないことを教え、伝えてくれる。

いしん-でんしん【以心伝心】
文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うこと。▽もとは禅宗の語で、言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝えることを意味した。「心(こころを)以(もって)心(こころに)伝(つたう)」と訓読する。
 三省堂 新明解四字熟語辞典より

 彼女たちは「以心伝心」のように見えて、何故そうではないのか。
 このコミュでは、回想が多く挟まり、過去と現在を対比するように演出されている。それと共に鍵となるのが「天気」だ。「雨」の日、「晴れ」の日。大きく分けてこの二つ。

2.晴れ/心の循環

 晴れた日にはまだユニットを結成してから日の浅い彼女たちのやり取りを垣間見ることができる。印象深いエピソードとして、めぐるがイベントに欠席し、真乃灯織の二人だけでステージに立つことになった日。真乃はめぐるの分まで頑張ろうと張り切るが、そんな彼女に灯織は言う。「めぐるの穴を埋めることは、私にも真乃にもできない」

 言葉の足りない彼女は、続けて「自分ではめぐるにはなれない」と言う。めぐるのように他人をうまく元気づけることができない。「なれない」とわかりきっているはずなのに、彼女はめぐるになろうとしてしまう。真乃を元気づけるためにはそれが一番いいと思ってしまうから。

 そこで彼女が取った行動は、メノウのお守り──パワーストーンを真乃に渡すことだった。

「この石は、心をつなげてくれる」

 彼女は自分なりの人を励ます方法を知らない。だから「誰か」の行動をまねてしまう。いつかの彼女がPからもらった誕生石を大切にしていたように。しかし、この行動は灯織→真乃へ確かに「心」が伝わるものだった。

 また異なる「晴れ」の回想。今度は真乃がラジオ収録がロケのためにできないというエピソード。真乃を心配させないよう頑張ると意気込む二人だが、「メノウのお守りを持ってこよう」とめぐるは提案するのだ。このお守りは真乃が灯織からの言葉を信じ、二人に渡したものだった。

 灯織から真乃へ、真乃からめぐるへ。確かにその教えは、心は伝わっていた。

 また、めぐるは願う。

「どんな時も、ちゃんと一緒にいてね、真乃」
「代わりは、どこにもいないんだから──……」

 言葉は違えど。めぐるから灯織へと教えは、心は、ちゃんと伝わっていたのだ。

3.雨/知りたいと思うこと

 雨のエピソードとして印象的なのは、灯織が一人で喫茶店「ドーダン」に訪れている時だろう。星の飾りがいっぱいというきっかけから、三人で訪れた喫茶店。この喫茶店の窓はくもりガラスであり、外を見てもどれだけ雨が降っているのかも、外に何があるのかも曖昧なのだ。だから彼女たちは予想する。このくもりガラスの向こうには何があるのだろう。
 結局のところ、

「見えないけど、綺麗だね」

と言うのだが、これがこのコミュの全てと言ってもいいかもしれない。知らないことはどこまでも魅力的だ。何事も知ってしまうまでは。彼女たちは知らないことがまだまだたくさんある。だから知りたいと思える。それは「綺麗」な欲望だ。
 彼女たちはくもりガラスの向こうの「綺麗」なものに期待している。

 ある回想で、灯織はこんなことを思っている。

「この気持ち、全部伝えられたらいいのにな」
「その気持ち、全部、見えたらいいのに」
「全部──……」
「やっぱり、私は……」

 「言葉」で自分をうまく伝えられない彼女ならではの願いかもしれない。しかし似たようなことをめぐるも言っている。彼女たちは、心の底から「自分たちの気持ちを通じ合わせたい」と願っている。「お互いのことをできる限り深く知りたい」と願っている。

 ドーダンの店主は外が気になった灯織に「綺麗な庭ではないけれど、外を見てみるか?」と問う。灯織だけが「くもりガラスの向こうを見る」機会を得たのだ。しかし、彼女は断る。

「くもりガラスの向こう側を見たいって」
「そう、思い続けていたいから」

 この彼女の願いは、彼女の真摯さを伺える。相手の気持ちや秘密は完全には見えないけれど、それでも見ようとする、理解しようとすることを、彼女を選んだのだ。それもお互いの「言葉」によって理解することを望んだのではないだろうか? お互い「意図的」にお互いを教えることを望んだのではないか?

 きっとそれは、彼女たち三人とも同じ。

「……いやいやっ、なんでもは知らない。知らないよっ」
「真乃と灯織のこと、まだまだ知りたいって思ってるんだから」
「まだまだたくさん教えてね」


4.「言葉を以って、心に伝えよう」

 アイドルマスターシャイニーカラーズは、私にとって「赦し」だ。

 今回のコミュでもあったように、自分や他人の「全て」を伝えること、見ることを絶対の善しとしない。程よい距離感で、一見すればさっぱりとした距離感で、踏み込んでは下がる、そんなキャラクター達は私とよく似ていた。

 他のユニットのコミュでもそれは時折垣間見える。(特にアンティーカやアルストロメリアの印象が私の中では強いが)心の底から自分の全てをぶつけ合い、殴り合うコミュニケーションを彼女たちは滅多にしない。それは彼女たちがお互いを想い、他人と自分との違いを認めている証拠だ。

 しかし、言葉は交わす。丁寧に、傷つかないように。自分の想いを伝え、相手の想いを聞くために。つながるために。そんな優しくも壊れそうなほど繊細な言葉選びは私の心をくすぐるのだ。


 イルミネーションスターズの彼女たちは言葉を交わす。三人一緒に、あるいはグループチャットにて、あるいは一人が欠けていても。

 言葉に正確性はなくとも、全てを伝えることができずとも。

 彼女たちは「心を以って、心に伝えよう」ではなく、「言葉を以って、心に伝えよう」としているのである。他でもない代わりのいない「あなた」を、知りたいから。三人が偶然心が通うような「銀曜日」がまた訪れたらいいから。

「銀曜日、遊びに行けたらいいな」







<余談>

 実はもっと書きたいこと、言及したいことはあるのだが、これ以上書くとまとまりのないものになりそう。

「──暗い時ほど、光は綺麗に見えるんですね」

 このセリフもすごく好き。全体的に、保育園のお昼寝のときみたいで、藍色に銀のクレヨンで描かれた可愛い星々が散らされているような温かな雰囲気。しっとりとしたもので、心は大きく揺れ動かされなくても、じんわりと心に沁みるいいコミュだった。

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