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男性性と女性性のバランスを取る,ということ

男性性と女性性

一人の人間の中に,体の性別が女性でも男性でも,どちらの質も持ってる

思えば男性性ばかり鍛えて,女性性の声を黙殺してきてばかりの10代,20代だった

いいえ,何も意識的にそうしていたのじゃなく,今のシャカイのメジャーな層がそういう陽極まった感じだから,普通に生活してたらそうなるのはあたりまえ

何も,ワタシガワルカッタ,って悪い者探しをする必要はない

そういう設定をして,そこを振りほどく試練さえも自分で課したものなんだろう

気に入って聞いているアメリカ人女性のPodCastがある。

週一回配信で、よくゲストを招いて対談する。

多くはアメリカで活躍しているパーソナルコーチの思想やワークスタイルに触れられてとても楽しい

日本でも誰かやってくれないかな。

パーソナリティの彼女自身も、ライフコーチとして、女性性を活かしてクリエイティブに生きる生き方を発信している。

前回のゲストが、キプロス島出身のライトワーカーコーチで、彼の語った半生に mesmerized ――魅了された。

13歳で自分がゲイだと気づくが、保守的な島国の小さなコミュニティの中で、周りが「こうあるように」と求めてくる自分になろうと努めたこと。

3年間、「パーフェクトな」自分を必死で装ってそれが完成したときの自分との落差に愕然とし、自分を自分として生き直そうと自分をカミングアウトしたこと。

その時に両親に宛てた手紙を渡そうとするときの、自分を失ってしまいそうな恐怖。

そこから、0から「自分を愛する」ということ――男性性、つまり理性が求める自分に「合わせる」のではなく、内側から湧き出る自分――つまり女性性を、いかに表現し、体現し、それが枝葉を伸ばし花を咲かせるように、環境を整える――その作業をこそ、男性性の力を使って現実にすること。

彼は、そういう自分を作り上げる三年間――つまり16歳から19歳ってことになる――を『Be the Guru』という本にまとめた。

なんて早熟なことに、こんなにも若くして自分と自分でないものを生きることのギャップに気づき、それを克服したのだろう!

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他人が求める自分と、本当の自分とのギャップは、誰だって経験し得る。
けれども、セクシャリティという生きることの核が、世間一般の求めるそれとズレているときに、その落差は生き方そのもののあらゆるところに直結する。

その分、その落差を自分の中で受け入れられたゲイの人は、人にとても優しい、というのを、後半をLGBTコミュニティで過ごした米国留学の1年間ですごく体感した。

*少なくとも私の周りでは、男性・女性構わず性的嗜好が同性に向いている場合、自分のことをゲイ、と呼んでいました。男性に限らないので注

そして、自分のセクシャリティも、きっとどっちでもいい、ということも分かった。女性でも男性でも、私は美しいものが好きなのだ。

美しい横顔、透き通ってカールするまつ毛、美しい骨格、その声

それを性別で分け隔てする必要を私は感じない。

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ここ、半年間、わたしは自分の女性性で「こうありたい」を実現するために、男性性を使い、使い、してきました。

でも、つど、つど、自分に問いかけていかないと、いつのまにか理性ばかりが幅を利かせて、感性の声は無視されてしまう。

上述のジョージ・リゾス氏も、ライトワーカーとして個人ビジネスの立ち上げとフルタイムの仕事を3年間掛け持ちし、燃え尽きそうになって、スローダウンし、個人ビジネスに絞った経緯を話していました。

2020年も下半期、ちょっと歩みのペースや何やらを見直す時期に来ているようです。

先人からヒントを得ながら、焦らず、見定めて、からだと良く相談しながら、目の前のことを歩んでいきたいと思っています。


#男性性と女性性 #散文 #バランス #ゲイ




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