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思想を伝える、本屋

 本屋さんは好きですか?

 私は、大好きです。きっと、note民の多くの人がそうであるように。

 本屋さんの魅力って、何でしょうか?

 この問いに応えるとき、私は、15年前のアメリカを思い出します。

 1年間の交換留学が終わって、電車で北米横断の旅をしていた時のこと。

 ニューヨークには、activist 、つまり社会活動家の経営しているような本屋さんがたくさんあった。その一つ、自身もゲイであった彼女(男女にかかわらずストレートでない性的嗜好の持ち主をゲイ、と呼んでいました)が連れて行ってくれたのが、ブルーストッキングという書店でした。

 ブルーストッキング。名称に込められた意味は?――英語ではブルーという色に性的な意味合い、つまりセクシーさが付帯している。ちょうど、日本語でピンクにその意味合いがあるように。ただ、卑猥なイメージじゃなく、爽やかな色気、という気が、友人に聞いた私の印象では、した。

 書店名に違わず、その本屋さんはセクシャリティに関する本、LGBTのように性的嗜好や性自認の多様性だったり、女性の身体的・精神的の解放に関する本、それを支える教育の本――が、専門に置いてあった。

 何か、本を買って、レジのお姉さんと世間話になった。確か、エミリー・ディキンソンの詩編の書かれたフリーでもらえるしおりについて、話したと記憶している。その他愛のない会話の中で、彼女は言った。

 I'm a teacher and an activist. 

 「私は教師であり、活動家でもあるの」

 聞くと、公立の小学校の先生をしており、休み中にだから書店に立っているという。そして、その書店のメッセージに共感するから、階層の固定や差別を人の意識から変えるような活動に参加している、と。

 生粋の日本人の私は軽くショックを受けた。なぜなら、日本の先生は政治的発言をしないのがデフォルトで、それが当然と思っていたから。そして、心の隅でちらり、と思ったのだ。活動家の先生なんて、格好いい。

 それから、ピザとジャズで有名な都市を行き過ぎてボストンへ行った。季節は五月、pride month で町中の街灯という街灯に、LGBTの権利を擁護するレインボーフラッグがかかっていた。prideは、生まれ持った性的嗜好をマジョリティと比べて否定したり恥ずべきものとみなすのではなく、個性の一つとして誇りをもって堂々と生きていこう、そしてそれを受け入れない社会の方に堂々と物申してやろうというメッセージが込められた、LGBT権利擁護活動のスローガンや相称のようなもの。

 留学中にwomen's studies、つまり女性学を取っていた私は、そこでもすかさずwomen's bookstore を探した。あるのだ。そして、ある一人の自分の心をコミュニケーションで擁護するすべのない二十歳の日本人の女の子の心を、要素ごとに「クローゼットから出して」くれる本が、そこにはキュレーションされていた。その本屋さんの「マイノリティの個性を尊重するための経験と知識の凝縮した本を集める」という仕事は、何て思想に裏打ちされていたことだろう!

 レジの店員さんと話す。「このところ、インターネット書店やショッピングモール併設の大型書店に押されて、こういう小さな書店はなかなか厳しいんだよ。」

 それから数年後、帰国してからググった時には、その書店はお店を既にたたんでいた。

 先日、「熱を伝える、仕事」という記事を書いた。オンライン教育でかき消されてしまいがちな、教員という仕事の「熱」を伝える部分について。

 本屋も熱を伝えている、と思う。

 本にも、メジャーで体制的な文学や実用書から、マイナーで個々の美を追求した学問や文学まで、色々あるから。そこからあるメッセージ性に沿った本を源泉し、購入者に門戸を開いていることは、それ自体が立派な仕事だ。

 …だった、のかもしれない。大型書店とネット書店に押された中小書店が消えていく波は、ここ5年ほどで日本にも十分に押し寄せている。余談だがアメリカの最先端が、日本には10年遅れてやってくる、というのを何となく肌感覚で思っている。

 熱のある本屋に、行きたいな。

 その本屋さんの思想に、直接触れたい。

 そして、本屋さんに限らず、熱のある仕事の結果に、お金というエネルギーを受け渡していきたい。

 そういうことで、世界は小さく変わっていくのではないか、バタフライ効果で、と、眠い目をこすりながら思う外出自粛解除3週間目である。






わたしの熱。良かったら見て行ってくださいね。


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