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【ADHD脳を手なづける】似たものをくっつける、という諸刃の刃を使いこなすために

 ADHDのせいなのか、賜物なのか――私の脳特性の、未だ飼い慣らすことのできない性質――それは、似たものをくっつける、ということだ。

 そう、まるでペンとパイナッポーとアッポーを敢えてくっつけて世界を虜にしたピコ太郎のように、それはあり得ない二つを、くっつける。

 脳内はいつも実験的な化学反応が繰り返され、時に誤発の危うい爆弾を、時に美しい結晶を産む。

 そう、発想力が豊かなのだ。 

 だけどそれを裏返した時――物事は全て二面的だ――の困り感を、この二週間、期末の〆切が重なる中で高頻度高濃縮で経験した。その私の嘆きと言ったら「人生、何て無駄だらけなんだろう!」…今に始まったことではないものの、改めて憤慨したりもした。でも、きっと大丈夫、無駄は遊びという美…に違いない。

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「似たものをくっつける」の明と暗

 「似たものをくっつける」それは、社会学の授業で川喜田二郎の考案したKJ法(ふせんにアイディアやできごとを書いて行って、似たものを高次の概念でグルーピングする)をしている時なんかは、とても役に立つ。ふんふん~と鼻歌を歌いながら、楽しく、できる。

 一方で、私の場合、それは〆切やスケジュールなど数字の絡むことになると、ウィークポイントとして発露する。

 今回やらかしたものの一つは、ある授業の期末レポートの字数規定に「4が入っていた」のを、執筆当日の朝に見た「他のレポートの」4,000字と混同した。「4,000字だったよなー!」で勢いよく書き始め、〆切間際の提出の段になって、「あれ…160字から【400字】って書いてある…あ…!(ここで混同に気づき唖然)」となり、慌てて原稿を半分以下に削る。わたしの1日のエネルギーと時間よ!……この徒労感は半端ない。

 スケジュールについて詳しくは省くことにするが、似たような目的の二つのスケジュールについて、片方の内容をもう片方に当てはめていたり、9時半なのか9時なのかという時間が頭に残りにくく、いつの間にか片方をもう片方に変換していたりする。だから飛行機のスケジュールなどは何度も何度も何度も確認したり、左手の甲をメモ帳替わりに書きたくっていたり、工夫はするのだけれど。

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特性を知ってどうするか

 じゃあどうするか。こういう自分の特性を、最近はADHDコーチングを受けながら客観的に眺める機会をいただいている。知って、私は、これをもっと手なずけたいと強く思っている。ちゃんとfunction/機能したいという希望を、今の私は持っているから。

 さて、私には時間感覚の弱さや数字情報の具体的把握の弱さがあるようだ。だからそれが、スケジュール上の課題となって表れやすい。

 スケジュールは、予定を立てる段階では、正直、いくらでもできそうな気がする(笑) 午前と午後にそれぞれ5つ位入れていても、計画してるときは「できるでしょ、ふふん」と思っている。時間の感覚と作業の量が上手く結びつかないせいで、結果として読みが甘々なようだ。もう、イタリアンのドルチェくらい甘い(笑)

 加えて、私は人より時間がかかる、というのも要想定だ。ものごとは思っているよりも時間を要して進むようだ。だから【予定は、一コマに多くとも2つ】なのだ。そうすると、自分にはがら空きに見えたスケジュールに上手いバッファが加わって、二つは終えることができ、しかも「できなかったもの」がないから「全部やり遂げた」達成感がある。こういう小さな「やり遂げた」を積み重ねていくこと」――それが、発達さんで失敗体験を積み重ねて来た人にとっては、再生と心身の回復と社会復帰への道に他ならない、と思う。

(↓この「できる」の8ステップの表、大好き!)

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 あと、スケジュールを目に付くところに置く、ということ。これで、よくある「手帳を開かずに予定の時間が過ぎていた」なんて失態がなくなる。これは、私の場合手帳のウィークリー欄に予定管理を一本化し、それを開いておいておく、ということで解決しようとしている。今は目下、手帳を開いておいておく、という習慣をつけるべく、自分をしつけているところだ(笑)お行儀、悪くって、なかなか言うことを聞いてくれない私という存在を、長い目で見ながら。

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 私の脳の持つグルーピング機能。

 社会に適応してその良い面が発揮できるように、私は今日もそいつの弱い面を手なづける。上手くいくことばかりではないが、自分を励ましながら、この3秒で自分にできることを探し、起き上がる。


※本記事は、先日書いたこの記事の続きのような立ち位置です

 

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