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桜花

どぼん、

水たまりに飛び込んだらそこは、

宇宙だった。

映る空に向かって飛び降りようとしたのに、

宇宙に出てきてしまった。

けれど、そこはわたしのよく知る宇宙じゃなかった。

見える星座も、天の河のかたちも、

なんだか違うようだった。


夢は、宇宙飛行士で、

小学校に入ってからは、歯磨きの時間を毎食後3分取っていた。

給食の量が多くて、歯磨きの時間が休み時間にはみ出ても、わたしひとり磨いているくらいだった。

高校は宇宙工学科のある学校を選んで、大学もそうだった。

ジャクサに入職したのはドクターを修了した年だった。

かけ上がるみたいに進んできたわたしの人生は、

ある日突然急降下へと様変わりした。

謀略によって宇宙に出られない身体になったわたしは、

ついに思いつめて空へ飛び込んだ。

でもそしたら宇宙にいた。

あれだけ夢にまで見てきた果ての場所。

はたと思い出して気が付いた。

ここは、わたしが何度もシュミレーションしてきた、

超遼遠系外彗星の生まれ故郷。

われらが太陽系から数万光年先の、

天の河銀河の果ての地だ。


重力にしたがって慣性で落下する。

その下、足許には、

わたしが発見した、天の河銀河最果ての恒星、

地球から見て乙女座の方向に在る恒星、

まだ誰にも打ち明けてない、学会にも未提出のわたしだけの名前。

『桜花』


高校生のときに付き合っていた子の名前は、わたしにとってあまりに特別で、愛着以外のなにものでもなかった。

すこし離れた大学生活。

ふたたびの院での出逢い。

彼女が星になった日。

ぜんぶ色こく覚えていて、想い出はぜんぶ、

春の桜の匂いがする。

彼女と交代するみたいにわたしの前に現れた星に、

そう名付けるのはもう必然の摂理だった。

あの日だってわたしは部屋の窓を開けていて、

いつものことだけど、風が吹き込んできていた。

それは、彼女と離れていたときに、

春限定でわたしが生み出した代替案で、

いつも桜みたいに厳しくて、ほのかに優しさを混ぜる香りを撒き散らしていた君をそこに重ねていた。

たまに舞い散って這入りこむ桜の花びらが、

君の軽やかなステップのようで可笑しかった。

その前の日の夜わたしは気休めに、

望遠鏡を覗きにいって、そこであの星をみつけたのだ。

画像に何度も解析をかけている途中も、いくつも花びらが舞い込んだ。

やっと存在を確かなものにした瞬間に、

ぶわっと風が広がって吹いた。

もう最後の花で、強風にあてられて一気に舞い散った花びら。

部屋に大量に入ってきて、ついでに香りも連れてきた。

それで名付けた。

あの星にあの名前を。


この星をさいごに一目見られて、

念願の宇宙に来られて、

わたしは嬉しかった。

彼女が導いてくれたようだった。

わたしの涙が尾を引いて超大な空間へと流れていく。

それが太陽系に届くのはいつごろになるのか見当もつかないが、

わたしたちにとってその時間はほんの一瞬のように思えた。

Kise Iruka text 107;
Ouka's Comet.

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