見出し画像

雨の匂い

 髪の毛は、柔らかい方が好きだ。
 空気が混じった、体積をもつふわふわではなくて、
 髪質そのものが柔らかい方がいい。

 君の、やわらかな波が頬を撫でた。

 肩口まで切りそろえた黒髪が、旅先の風雨でたなびき、流れている。

 バス停、時刻表を凝視。

 君の視線が――見つけた――という具合に固定される。

 まばたきが愛おしい。

 布地の天井から、こぼれ落ちた水滴が、まつ毛の上ではねる。

 まばたき。

 わたしを、勢いよく振り向いた君の頬は、膨らみ気味だった。

「10分」

「ん?」

「絶妙に微妙だ」

 待ち時間のことを、歯切れ悪く罵る。

「この雨じゃ、いずれ濡れてしまう。移動しようか」

 わたしの提案で、あたりを見回す君。コンビニを発見する。

「寄ろう」

 慌ててバス停に逃げ込んだのだ。

 もちろん傘だって持っていない。

 交差点の向こうのコンビニエンスストアに到着する頃には、

 ぐしょ濡れになった肩で息をしていた。

 君が、わたしの髪や肩を、ハンカチで拭ってくれる。

 そしてそのまま、水が滴る、自分の髪を絞った。

 柔らかな芳香が舞う。前日のトリートメント。

 わたしが、君の髪をもっと好きになった理由だ。

 初対面の時に、突然髪の毛を掴んだのは
 ――もちろん髪質を確認するため――
 彼女を戦慄させるに十分だったけれど、

 今となっては、愛情表現だ。

「ちょっと……濡れてるから」

「だから」

「雨はきれいじゃないって聞いたよ」

「君がきれいだから、とんとん」

 わたしより背の高い、君の紅潮する顔をお目にかかれることは滅多にない。

「――もうっ、傘、買ってくるから」

 わたしの手を振り解いて、店内に這入っていく。

 濡れていてもやわらかな、振り乱した髪の毛がばらまく、

 香りの残滓に、

 また恋をしてしまった。

Kise Iruka text 099;
Downpour.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?