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溶解して

理知的なひとが好きだ。

おでこが白く広くて、
それを証明するみたいに黒髪があでやか。

立ち振る舞いには、
若干の理詰めが感じられるひと。

「ザゼンソウって花があってね」

窓辺に座った君がふと云う。

桜も散った春の午後、

新緑と太陽光が

一緒になって増加する季節。

初夏へ向かう一歩目みたいな日々なのに、

まだ外は冷えている。

窓から飛び込む日差しに含まれた一抹の冷ややかさがそれを教える。

「暖かいの」

君から発せられたそれは、

前の文脈とまるでかかっていないように思えた。

暖かい、花。

博識の君だから、

そんなミスマッチな植物も知っていてもおかしくはない。

「あったかい花なんてあるのかって?」

ずっと街路樹を眺めていた君が振り向く。

経験から、

不敵な笑みは知識の発露の予兆だと予感して準備する。

賢い人に出逢いたくて

賢い大学へ進んだが、

ほんとうに賢い人は多くなかった。

物理学にやたらと詳しい男子はいたが、

超弦理論の美しさについて何日だって禅問答できる人ではなかった。

電子レンジの生みの親のひ孫がいたが、

電磁波の神秘性について議論できるタイプじゃなかった。

「ずっと自分で作ったベンチに座っている人がいる」

そう耳にして、

興味半分に中庭へ見物に行ったことがある。

ああ、あれだろうな。と一目でわかる程度には奇抜なベンチで、

その下に散らばる桜の花びらとの相性がバツグンの、

桜色のベンチだった。

そこに君は座っていた。

「なにしてんの?」

後ろから声をかける。

「桜を見ている」

「桜色のベンチで?」

「ぬり立ての、桜色のベンチで」

「ぬ、」

「ずっとここに座ってるって噂されてるでしょ?」

「そうだね」

「自分でぬって、すぐ座ったから固まって引っ付いちゃったんだ。あなた、起こしてくださる?」

首を真後ろに傾けて云う、そのふざけた口ぶりがおかしくて

手を貸した。

今思えば、わたしはあの時点で、

君から理知的ななにかを感じとっていたんだと思う。

あの瞬間、

君に興味が湧いた。

あからさまに変で、でも悠揚で、

冗談を云ってほほえむ姿に、

興味が湧いた。

だからそれから、

お茶に誘って

ご飯に誘って

旅行に誘って、誘って。

いろいろなシュチュエーションでいろいろな題材で討論した。

その全てがわたしを満足させて、

君もいつも楽しそうにはしゃいでいた。

わたしは、

楽しそうに知識を発散する君が好きだ。

「ザゼンソウは、花を守るように大きな苞葉がある」

「ホウヨウとは」

「つぼみを守るみたいに変形した葉のこと」

君は質問には眼を見て答える。

君が携帯で画像を見せる。

「花びらみたいだけど葉っぱなんだ」

変な形だね。と感想を云うと、

君が歯を見せて

また不敵に微笑んで、続ける。

「この形が、ザゼンソウの名前の由来さ」

考えてみて。と云うから月並みに答える。

「お坊さんが坐禅してる姿!」

「正解。聡明だね」

そんなことはない、と思う。

「ザゼンソウ、別名をダルマソウと云う。これは坐禅している僧侶の中でも、とくに達磨大師の姿をほうふつとさせるからだ」

「ダルマといえば、坐禅のし過ぎで手足が腐った人だね」

「達磨大師、イコール坐禅のイメージがあるからそんな伝説が残る」

君は語る。

わたしは聴く。

があいにく仏教には造詣がない。

壁に向かって9年間座禅し続けたから手足が腐り落ちたなんて伝えられるけど、かなり脚色されている。

これは、彼の坐禅に対する宗旨。壁観とも呼ばれるけど要するに、

壁のように動かずどっしりとした姿勢で真理を視ること。

すなわち智慧。物質の影がかたどる形に翻弄されず、空を知りまことを知ること。

「ザゼンソウは暖かいの」

そして話し始めに回帰した。

「なぜ?」

「ザゼンソウは冬の花なんだ」

雪が積もる中、

花粉をちゃんと運んでもらうために、

発熱して、雪を溶かして咲いて、

虫を呼び寄せないといけない。

発熱のとき、ものすごい悪臭も発して、

その時期にはまだ少ないはえとか昆虫を集める。

「それでザゼンソウは暖かくなるんだ」

川を流れるように進む君の話も

そろそろまとめに入ろうとしているのがわかる。

「坐禅も暖かくなるんだ」

「坐禅してると?」

「そう。流石に9年はできないけど、90分もやっていると」

君は窓際で坐禅を組む。

後ろから飛び込む太陽光が後光みたい。

わたしを見据えた君に光背が咲いて、

なんだかほんとうに僧のように見える。

「ここが暖かくなる」

君はおもむろにシャツをめくりあげて、

へそ下を指でなぞる。

「丹田、気を練る場所」

美しく引き締まったお腹と、

胸から柔らかく降りる少しの肌色がまぶしくて、

目を逸らす。

「ザゼンソウと同じようなもので」

どれだけ気温が低くても、

ここが暖かければ気が巡って積もった雪を溶かせる。

「煩悩のことを、積もり固まった雪に例える」

「その下は寒々しくて不毛の世界?」

「イエス、苦渋と怒涛のカオスだ」

君は服をめくりあげたまま続ける。

「そこから一歩先に出れば、真新しい世界がある」

「悟り」

「悟りとは、知ること。新たな境地へ進むこと」

そこには、当然『知る前』の状態がある。

『知る前』の自分の煩悩を溶解して、

脱ぎ去ることで、新たな気づきを得て、

新たな真実を知る。

「それが悟り」

そう云って、君は服をあげていた手を離す。

「だから暖かくなるザゼンソウは、一種サトリを体現した植物かも」

坐禅をくずして、くしゃと笑う。

後光はかげって消えている。

君との対話は、

いつも理知的で理詰めで

脳内麻薬の高揚感がすさまじい。

脳が疲れたから、と云って

今度はシャツをボタンからきちんと外している。

こういう謎な几帳面さと粗雑さをあわせ持つ、

変な君が云う。

語っているときの聡明さとは

別人の表情。

「疲れたから、一度溶かして欲しいな」

Kise Iruka text 108;
“Worldly desires” klesha/bonnō.

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