【連載小説】パラダイス・シフト_3

 3

 引き返す最後のチャンス、という権藤部長の言葉が頭によぎった。
 おれは西新宿の片隅にある、目立たない雑居ビルの最上階で看板のない扉を前に立ち尽くしている。 工藤から送られてきた住所をたどって着いた場所だ。
 約束の時間から数分が過ぎたが、工藤からの連絡はない。
 インターネットで調べた限りでは、会員制貸し切りラウンジ、ということらしい。何の会員かはわからない。知る人ぞ知る、というやつだろう。
 ─────大体どうして、と思わずにはおれない。
 大体どうして奴はいつもまともな店を選ばないで,こういういかがわしい場所でおれと会おうとするのか。前回のバーもそうだった。雰囲気にのまれて、わけのわからない話を一方的に聞かされてしまった。
 年季の漂うビルの外観にそぐわず,いやに清潔感の漂う最上階の廊下で,おれは約束の時間を過ぎても既読のつかない工藤とのトーク画面に舌打ちをしながら,だんだんと苛々が募っていくのを感じていた。
 連絡もなく待たされているから、というだけではもちろんない。
 なぜさほど親しくもなかったはずの工藤が、おれに声をかけてきたのか。

 少し考えればすぐにわかる。
 宗教の勧誘か、さもなければ高額商品の営業だろう。
 本当に気の置けない友達だ、と工藤が思っているはずはなかった。卒業や就職で環境が変わるたびに、人間関係のつながりは切ってきた自覚がある。工藤と同級生だった、高校時代にしてもそうだ。もうほとんど思い出すことはないし、卒業アルバムを開いた記憶もない。もはやどこにあるかすらわからない。
 おれは何を期待して、工藤に会いに来たのか。
 どうしてもっと早く、勧誘か営業だと気づかなかったのか。
 バーでの飄々とした態度と、羽振りのよさそうな格好が思い出される。ポケットの中で力任せにこぶしを握ると、サイコロの角が手のひらに食い込んだ。
 これがすべての元凶だ。
「何が人生を180°変える、だ」
 宗教そのものじゃないか。と、酒の入っていない冷静な頭で考えればすぐ理解できる。
 おそらく、手口はこうだ。
 一度目は雰囲気のあるバーに連れていき、アルコール度数の高い酒で酔わせて親近感を演出する。そして警戒心を緩めたところで、次は本拠地に招待して、本格的に勧誘をかける。そういう算段に違いない。
 口車に乗せられるがままに、のこのことやってきた自分が屈辱的で、同時に限りなく情けなかった。貧乏ゆすりを鎮めることができない。
 仕事もプライベートもくすぶっている。壊滅的に悪いわけではないが、といって、華々しく輝いているわけでもない。
 こんなはずじゃなかった、とすら、最近は思わなくなってきた。
 無邪気にサイコロを振って工藤に会いに来たのは、そういう弱さにまんまと付けこまれている証拠ではないのか。人生を変えたいと、心のどこかですがりたい気持ちがあったんじゃないのか。

 引き返す最後のチャンス、というフレーズが再び頭をよぎった。
 まだ工藤からの連絡はない。帰ろうかとも思ったが、このまま帰ったのではわざわざ仕事終わりに出向いたうまみがない。
 おれはもう一度、中の見えない看板のない扉をにらんだ。
 読みが正しければ、この会員制貸し切りラウンジ、とは、宗教かなにかの本拠地のはずだ。あらかじめ魂胆さえわかっていれば、対処するのは難しくない。いっそ腹の内を暴いてやれば少しは気分もすっきりするかもしれない。
 おれはふとエレベーター横にゴミ箱が置いてあることに気づき、そこにサイコロをねじ込んで、よし、と腹を決めた。
 こんなことなら財布や貴重品もすべて置いてくればよかった、と思うが、さすがにいきなり身ぐるみを剥がれたりはしないだろう。最後にやったのはずいぶん昔だが、喧嘩の心得もある。
 おれは工藤からの連絡がないことを確認して、うっすらとした格子模様にいびつな水玉模様が装飾されている扉の横の、重厚そうな呼び鈴をひと思いに押しこんだ。

 出てきたのは、ベルベット地のベストにネクタイを決め込んだ、若いボーイだった。右耳から伸びるインカムと右目の泣きボクロが、もっともらしい雰囲気を醸し出している。
「失礼ですが、会員証のご提示をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「いや、よろしくない」
 ボーイの顔が曇るのがわかった。
「当ラウンジは会員の方のみのご利用となっておりまして……」
「待ち合わせなんだ。工藤という男に呼ばれてきた」
「はぁ、大変恐縮ですが、待ち合わせでのご利用であっても会員証を見せていただかないことには」
 声音こそ丁寧だが、ボーイの視線は鋭い。おれは工藤とのトーク画面を開き、住所の確認をとる。ボーイは困り顔のままうなずいた。
「はい、確かに。私どもの住所ですが」
 会員証を忘れた、と嘘をつこうかとも考えたが、この反応を見るに、そんな甘い手が通用するとは思えない。おれは打つ手を失った。
「なあ、あんたらは、なんの会員なんだ。工藤は何にかかわってる」
「申し訳ございません、会員の方以外に公言することは控えております」
「入会希望者にもか?」
 とっさのひと言に、ボーイは驚いたように顔を上げた。
「入会希望の方ですか?」
 おれは慎重に言葉を選んだ。
「まだ決めかねてるが、興味はある。だから見学させてくれないか、なんならあんたが横で見張っててもいい」
「すみません、それは出来かねます。入会なさったら、ぜひまたおいでください。またのお越しを心よりお待ちしております」
 おい、ちょっと待て、と下がろうとするボーイを引き留める。
 さすがにしびれを切らしたのか、ボーイの眉間にはしわが寄っている。どうすべきか。おれは打ち手を考えた。何か手はないか。中をのぞく方法は?

「ごめんよ、遅くなって」
 声にふり返ると、開いたエレベーターから工藤が出てくるところだった。
 間の悪さに固まっていると、「お待ちしておりました」とうやうやしいボーイの声。工藤がなにやら手のうちのものを見せると、ボーイは丁寧に頭を下げた。やはり工藤は会員らしい。
「あの、こちらの方の会員証は……」
 走ってきたのだろうか、額に汗を浮かべながら、工藤は一息をついてからおれに手で促した。
「言ってなかったね、ごめんカジカジ。サイコロ、持ってきたろ? それが会員証の代わりさ」
「どういうことだ?」
「いいから、サイコロを見せてあげて」
 捨てた、とは言えない。宗教団体の会員証がサイコロとは、どういうことだ? と戸惑うおれに、工藤は「まさか忘れたの?」と大げさに驚いてみせた。
「ああ、いや、なんというか、落としたというか。無くしたんだ」
「もったいない!」工藤の声は悲痛だ。
 まあ仕方ない、じゃあ今日はこれを貸そう、と促されるままに手を出すと、メタリックな金属のサイコロがどこからともなく手のひらに落ちた。
「なんだよ、これ」
 おれの言葉には耳を貸さずに、工藤はボーイに向き直った。
「僕の大事な友人なんです。今日のところは、このサイコロを会員証の代わりにさせてください」
「かしこまりました、どうぞ」
 音もなく扉が押し開けられ、おれは手のひらが汗ばむのを感じながら、促されるままにラウンジの中に入った。

 中は広々として、高級で、大人の社交場という空気感が漂っていた。ペースを乱されまいと平常心を保ちながら、手近な椅子に腰かける。
「ようこそ、<パラダイス>へ」
「パラダイス?」
「そうだよ、入り口の扉にもあったでしょ? ほら」
 工藤の指す先の壁紙を見ると、確かに入り口のドアにもあった、格子模様とふぞろいな細かい水玉模様のかけ合わさったような柄が……いや、違う。
 ─────サイコロだ、と直感した。
 こまかなサイコロが描かれているのだ。
 会員証がサイコロとはどんな冗談だ、と思ったが、あながち冗談ではないらしい。いよいよよくわからないことになってきた、と混乱した頭に、工藤の説明が上滑りする。
「ギリシャ語でパラは、横という意味なんだ。横に、並列になって、並び立ったいくつものダイス。公平なダイスこそが、僕たちにとっての楽園である。そういう願いを込めて、<パラダイス>さ」
「よくわからない」
「無理もないよ。僕はとにかく、君にここに来てほしかったんだ」
 そう言った工藤の笑顔はあまりにも無邪気で、おれは工藤に手渡された金属のサイコロの手のひらの中の重みを感じながら、再び何か大きな渦のような逆らいがたい流れの中に入っていきつつあるのを感じていた。

(つづく)



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