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「ファッションインジャパン 1945-2020流行と社会」感想

国立新美術館で開催中の「ファッションインジャパン 1945-2020流行と社会」に行ってきました。

戦後から現在までの75年間という日本のファッションの変遷をプロローグと8つの章に分けて紹介。当時流行した服のマネキンから実際の映像〜広告や雑誌のバックナンバーなど、二次資料が豊富で楽しめました。

そこそこボリュームのある内容なので時間に余裕をもって向かうのが吉かと。真面目に見ると3時間以上かかりそうです。

会場の様子はSNSに沢山上がってると思うので省きますが、自分の整理のため書き残しておきます。

①日本ウケ/海外ウケ

着目せざるを得なかったのが、

日本ウケするお洒落→西洋的なもの
海外ウケするお洒落→ジャポニズムを前面に押し出したもの

という2つの視点で、内と外のアプローチに自覚的になることが日本のファッションデザインなのだなと痛感しました(そのへん最近のmameとかはうまくやってる印象)。

森英恵(HANAEMORI)後期のコレクションは着物や伝統工芸の要素が強くなってたし、その一方で高田賢三(KENZO)は最初から海外市場をターゲットにしたブランド戦略で潔かったと思います(「ジャングル・ジャップ」って名前のKENZO前身ブランドは今ならポリコレレッドカードで退場ですが、、、)。

POPYEやオリーブ少女、現在で挙げるなら雑誌のFUDGEなどに見受けられる「西洋的(白人的)=お洒落」という刷り込みは、明治維新から引き継がれた感覚なのだと再認識。

目を奪われるほど煌びやかなドレスの背景には植民地主義の痕跡があるし、その残酷さについて考えることが現代を生きるということです。

いつ何時も美しすぎるものには用心しないといけない、これはファッションに限らず。

②身体のとらえ方

言うまででもないですが、日本人にとって服とは平面であり、ボディラインを隠すもの。西洋人にとって服とは立体的であり、ボディコンシャスなものです。

「1950年代」のコーナーで着物をリメイクして作られた日本の洋服とDiorのドレスが並列して置かれていましたが、同時期に作られた2着を比較するとDiorのドレスはあまりに立体的で驚きます。服に関しても日本は浮世絵だし、西洋は彫刻。

平面と立体の落とし込み方で別格に洗練されていたのが、三宅一成(ISSEY MIYAKE)のプレタレタポルテの「1枚の布」コレクション。

動くたびに身体と布の間にできる空間のシルエットと、布の感触の心地よさを「1枚の布」から造形する試み。既成の身体と衣服の関係を揺るがす完璧なデザインでした。

③確立された90年代ファッション

特に感動したのは、西洋の模倣や国際的な"日本らしさ"の獲得で精一杯だった日本のファッション史が、90年代のストリートスナップで唯一無二のスタイルに集約されていたことです。

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FRUiTSに載ってる刺激的なスタイリングを見て「一般人にこのファッション感覚が根付いてるのって超すごくない!?」と衝撃を受けました。DCブランドの肌感がようやく庶民にまで降りてきて、90年代のサンプリング文化と上手くマッチした感じでしょうか。

マンバやガングロとかギャルファッションにも同じことが言えるかもしれないです。

④ギャルソン着たい!

んで、自分の感想としては「ギャルソンやっぱ好きだわ〜」っていう笑

展示の趣旨がブレないようにさらっと紹介されていたが、ギャルソンとヨウジの「黒の衝撃」はモードの革命であり、服としてのクオリティが頭ひとつ抜けてる印象でした。体を覆うシルエットも、重心が下にあるところも好き。

着物を集めている友達が「着物を着ると歴史をまとっている気分になれる」って言ってたけど、ひとつのブランドを愛するという行為も歴史をまとう感覚に近いと思います。

スポーツと違って、ファッションは服を着れば誰でもプレイヤーになれるところが大好き。

次の給料日でどんな服を買おうか考え中です。


元気になります。