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期待して失望すること[哲学]

期待するからがっかりする?

例えばとても美しい花が咲いていたとしましょう。あなたはフラフラと蝶のようにその花に近寄ります。しかし、実際嗅いでみると、ドブなような匂いが漂います。

これは期待しなかったとしたら、どうなのでしょうか。最初から知らなかったものであれば、この花はもう嗅がないようにしようという経験則が脳に刷り込まれるでしょう。

人間は予測して生きているものです。様々なことに期待して生きているので、落ち込む。

詐欺師は最初の手段として、相手に良い汁を吸わせるという手段を用います。経験則として相手に成功することを刷り込むのです。

人間の脳に「ギャンブルで勝てた」「美女を落とせた」「美味しいものを味わった」などという生存欲求と直接的に関わる成功体験は強く期待として刷り込まれることでしょう。

フッサールの認識

エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサールは、オーストリアの哲学者かつ、数学者です。

彼は「信じること」を人間の態度だと捉え、これを意識の一つだと提唱しています。

ものに対して、信じることは出来ません。競馬の馬券も然りです。馬の考えてることは分かりません。あくまでも、私主体が信じるという態度を取り、考えているのです。

彼は浮気していないと(命題) /   と私は確信した。(モダリティ) 

人間にのみ、「〜と確信した」「信じた」という命題に対するモダリティが付加できるのです。それを理性が判断している。もの自体が考えることは無いので、確実性はありません。理性が働いていることにのみ正常な判断が下せます。

※ここらへんはカント哲学と関係があるのでまた後日語っていく予定です。

自らの価値観は信じる事で決まっている。

期待しないことが大切だと言えど、信じないことには「美に対する価値観」「アイデンティティ」などを認識することは出来ません。自分が存在しているということを認めない限り、自分の存在というのは成し得ません。

期待する/信用する

失望する/疑惑を持つ

と言葉を対に返すと、少しニュアンスが違うかと感じるかと思います。

期待することは、対象を限りません。何にでも出来ることに対して、信じることが出来るのは人間のみです。そして掘り下げて真意を辿ることができるのも人間のみです。人間は対話が出来るのです。

ものと人。人の事だと考えていても、モノという背景があることが多々あります。この区別をすることが、賢く生きるコツかと私は思います。


参考文献:人間学の探究(7)~人間にとって「信じる」とは何か~( 95 )
人間学の探究(7) ~人間にとって「信じる」とは何か~
山 岡 政 紀

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