私が水商売をはじめたきっかけ②

センター試験の前日、この日は流石に仕事を休みました。しかし、夜型の生活を続けたせいか中々寝付くことが出来ませんでした。

オワタ…。結果は現代文以外悲惨な点数でした。

私立大学も何個か受けるも、手元に残ったお金の使い道を考えました。大学に入るだけでも100万。この先授業料はどうやって払っていくんだろか。働きながら夜仕事するのではまた同じ事の繰り返しではなかろうかと自問自答したのでした。

「宅浪はだめだ。塾に行こう!」

そう決めた私は、100万円ほどかけて自分のお金で入塾を決めました。一限から五限まで缶詰状態の予備校は、授業を受けるだけでももうヘトヘト。今現在、大学生ですが、そんなハードスケジュールな時間割は組んだことがありません。

予備校も慣れ始めて夏期講習の時期になり、またお金が足りなくなって夜の仕事を始めました。

しかしながら、壮絶なストレスに悩まされて、私はアルコール依存症になってしまいました。本末転倒です。予備校の帰りにストロングゼロを飲んでいる浪人生、それが私でした。

高校生の時にやるべき事をやっておかないとこうなるんだなと悟りました。

この年のセンター試験も失敗。

何をやっても中途半端な自分。

その次の年も浪人を決めました。

三浪目は入塾試験には受かり、代々木ゼミナールに入塾しました。しかし、この年は父が他界するなどと不幸な出来事が重なり、受験どころでは無くなってしまいました。

そして、悲しみからまた鬱病を発症。鬱病ながらキャバクラでNo. 1になる。そして朝帰り。

母もヒステリックになっていて喧嘩の日々でした。世間体が悪いから、夜の仕事を辞めてくれと懇願されても、辞めてどうしたらいいのか分からない私でした。

そしてついに勘当されて、10万円を握りしめて家を出ました。

そこで、たまたま引っ越した最寄駅の居酒屋に1人で入り、マスターに「仕事を探しています」と相談したところ、スナックの面接に連れて行かれました。

もう私は水商売に嫌気がさしていたので、辞めた気でいたのです。

「あんた、ここで働きなさいよ」というライオンみたいな風貌をしたママ。

お昼は居酒屋で必死にアルバイトしながら、夜はスナックで働く生活を続けました。貧乏暇なしでした。おまけに今までキャバクラでなんでもボーイがやってくれてたので仕事ができない私は毎日のようにチーママに説教される始末でした。(今思うと生意気に口応えして本当にごめんない)

そこで、どうしたらもっといい暮らしが出来るのかをとても考えました。

私のことを可愛がってくれる男の人もいましたが、他者に依存することは脱却には繋がらないんだと薄々感じていました。飲み屋に頻繁に来る人はアルコール依存者で人格が変わってしまったり、問題を抱えている人が多いのです。信用すると痛い目にあうことを感じていました。

私は、本業として水商売で生きていくことを決意しました。女として媚びて売るのではなく、かっこよくホステスをしたい。

そういった気持ちが私を勉強へと誘いました。スポーツや政治、芸能、歌。スナックでの仕事は私をとても成長させました。

そしてその後、3店舗ほど働いてついに銀座に進出しました。クラブにもディスコにも行きましたし、大学も行くことが出来たのです。

そこからが今の人生のスタートです。


またコラムを更新していくので、読んでくれたら嬉しいです。

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