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夢をかなえてオーパーツ

少し前、従兄のゴミ屋敷を訪問した際、
オーパーツ関連の書籍を大量に発見したので、この題にした。

今回は、『noteをやってる理由』について話したいと思う。

最終的な目的は
完全に自由な状態で自己表現できるようになる』ことで、

それを追求するための入り口として、

『まずは自分の言いたい事を聞き手に遠慮せずに話す練習』
というのをnoteにて行ってます。

そうなんよ。

わしねえ、

多分『自由に自己表現出来る人の門』みたいなんがもしあるとしたら、
まだその入り口に入ってない。

成人以降私なりに色々ありすぎて、人に対する配慮の方が勝ってん。

勝りすぎて、自分の言いたい事を一切言わずに人と対面すんのが
当たり前になってしもた。

それでも自由な自己表現には長いこと憧れてきたから、

それがどんなものかを”想像”すんのは比較的得意なんやけど、
それと実際やってみる・出来るのとはちゃうやんか。

だからまずは練習が必要だと思い、
高校生の頃からSNSやらブログやらを通して、
自分なりの考えを言葉で表現すると言うのをやっとんのよ。

一応他にもいろんな媒体に手を出してみてんけどな。

去年の誕生日を機に、

YouTubeで『視聴者0でも100でも1000でも気にしない配信』
っていうのを始めてみたんやけど、もう怖すぎてな。

スケアリーピーポーになってしもて(多分意味違う)、
買ったばかりのライブカメラが熱にやられて配信途中で落ちて以来、
ちょうど半年更新が途絶えとる。

生身のピーポーなんかAIの類なんかは知らんけど、
一応そんな駄配信でも画面上一人くらいは視聴してることになっててな。

その『1』っていう数字にとてつもない恐怖を覚えてん。

『ウワアアア観てる人オルゥゥゥゥ』みたいな。

ちなみになんでこんな練習をしとるのかったら、

今から10年くらい前にそのきっかけとなる出来事があったんで、
まずはそれを紹介する。



その時期初めて『座ったままできる仕事』デビューしてな。

就職に失敗して以来、
肉体労働メインのバイトを掛け持ちする生活をしとった私が、
初めて同世代の人々を『同期』として働くという体験をしたんよ。

加えてその職場では、
10歳以上年の離れた人は自分よりもはるかに上の役職についてて、
すぐ上のリーダーだとかチーフに当たる人ですら同世代だから、

『二十代のくそがき(ごめん)が作ってる職場』って感じだったんよ。

それまでは選んだ職種がまずかったんか知らんけど、
自分の親くらいの人と一緒に働いたことしかなかってん。

だからどこへ行ってもただ子供扱いされて、
人間関係のトラブルなんざあってないようなもんでな。

いちおう無いこたあないねん。
でも『相手が年上である』という事実が、私を変に諦め良くさせてな。

人に対して『スッ』と引くんが、
自分でも言えてまうくらい上手くなった。

で、

その『座ったままできる職場』で出会った同世代の人々との関わりの中で、

まず初めに『同じ年頃の人は特に、”スッ”と引ける人を好む傾向にある』
ということを学んだんよ。

相手が年上やと引き上手すぎるのが逆にすましてるように思われて、
突っ掛かられることもあった。

だけどその度私は『年上の言うことは聞かなあかん』と思って、
何度も何度も相手に合わせた。

年上の人は、従順であればあるほど喜ぶし、納得する。

基本的には同世代の人も同じやってん。

だけど打っては響くようなコミュ力をそこそこに求められるから、

『自分の話に相槌を打ってはくれるけど、自分の話はそれほどしない人』
っていうのがもんのすごい好まれてる印象が強かった。

要は一方的に自分の話に共感してくれる人よね。

みんな愚痴を言いたくて仕方がなかったんだろう。

でも彼らには、ただ黙って相槌しながら愚痴を聞いてくれる人が
周りにいなかったんだと思う。

だからそのスキルが無駄に高くなった私は、
割と早い段階で『いい人』認定されたんよ。

初めはそれを喜ばしいこと・光栄なこととして捉えていた。

気がつけば叩かれるのに慣れてしまっていたから。

人生において圧倒的に非難・批判されることの方が多かったから、
『自分はそれがデフォルトなんだ』と納得してしまっていたんだよね。

悔しさとか自尊心とかを自覚していなかったわけではないけど、

それよりも重要な事柄として、
『人間関係のトラブルメーカーにならない』ということが、
私の意識の念頭に常にあったんよ。

だけど”その仕事”を始めて一年を迎えた頃、

学生気分の抜けない若い衆が勤める職場に
ばかでかい人間関係のトラブルが起こった。

私の同期の一人と私が日頃お世話になってた一つ上の先輩との間で、
『どっちが人間として正しいか』っていう張り合いが始まってん。

その先輩はただ先輩であるというだけではなく、
限りなく管理職に近い立場の人で、
役職ありの職員がわからん事を聞きに行くような”出来る人”やった。

だから私の教育係にもなってくれてんけどな。

その人の元に、私よりも後になってから同期の一人がつくことになってん。

その同期は自己主張が鬼のように強くて、
誰よりも自分が正しいとは絶対に言わないのに、
周りの人を厳しくジャッジしながら、
『自分の正しさ』をゴリ押していくタイプの人やった。

わしなんか初対面で、

『いつもヘラヘラ笑ってんのは見てて気分が悪いけど、
黙って人の話を聞いてるところに価値を感じた』

なんて言われてな。いろんなもん飲み込んだわ。

で、その同期は『自分が価値を感じた人間』のことは一応尊重するらしく、
私は友達認定されてしもた。

でも私にはそのつもりがなかってん。いややってん。

いつも上から目線で自分を正しいと思ってて、

”自分の言いたい事”をどんなに無遠慮なことでも、
正当化しながらずけずけ言うタイプの人が一番嫌いやったから。

だけど私は、面と向かってはっきりと相手を拒絶する事が一番苦手やった。

”それ”をやれば大抵の人は怒ったり悲しんだりするし、

最悪のパターンでは、

高校の頃、幼馴染から『敵性同級生(?)』認定を喰らい、

共通の友人全員に『あいつは悪人だから注意した方がいい』
と言いふらされて、友達を全て失ったこともあった。

だから『誰かを拒絶するとこんなに酷い目に遭うんだ』と思うようになり、
自分を守るために人を拒絶することのないように過ごすようになったんよ。

ズケズケと相手が傷つくような言葉を吐くなんてもってのほか。

”それ”を理由に友達ができないと嘆く人が現れようもんなら、

『そんな事して友達なんかできるわけあれへんやろ』と、
内心怒り心頭やった。

だけど私は過去のトラウマから、それを相手に伝える事ができない。

人に対して示していい意思表示と、
言わん方がいい配慮の区別がつかなかってん。

だから、大嫌いなタイプの人から友人認定されてしまった。

そして、そうした私自身の気質が、

私が仕事でお世話になっとった先輩と、
その同期とのいざこざの板挟みになって潰されるという事態を招いた。

ここでそのいざこざの内訳をざっくり説明すると…

数年間その職場に勤めて限りなく管理職に近くなってる先輩には
独自の『仕事の進め方』があり、

それが上司や先輩方からの信頼を集めててん。

だけどそこで私の同期が、

入社一年にも満たない身空で何を血迷ったんか
『私の考えの方が正しい。私のやり方に従うべきだ。』とか言い出してん。

あほか。

ようは立場も実績もないのに、
自分を上司よりも偉いもんとして振る舞い始めたんよ。

あほか。

それには私ら同期はもちろんの事、
先輩を慕っとる上役や先輩の同期も反発した。

そして、その同期のわがままを聞くか聞かないかで
職場全体がぐらっぐらに揺れて、
(渦中の同期が自分の味方以外の人の話を聞かんかった事が原因)

仕事をする上での重要な伝達系統が機能しなくなったんよ。

要は上役も先輩も同世代やから、
『上の立場の者』としてビシッと言ってやることが出来ず、

加えて、

更に上の立場の年上の上司が
『その部署は君たちに任せてるよね?』っていう姿勢で
先輩・チーフ達の相談には乗らんかったから、

余計に職場が揺れたんよ。

ただそれでもチーフ・先輩サイドの人々は
日頃の仕事が忙しすぎて具体的に対処する暇がなく、

同期同士でどうすりゃええんか話し合う日々が続いた。

その同期は自分が納得できない話はまぁず聞かないしな。

それだけならまだ『一本芯が通ってる』ようにも取れるので、
悪いことではないと思うねんけど…

『人には人のやり方がある』っていう事が、
その同期の子には理解できなかったんよ。
(そのくせ口では”人それぞれだ”っていうワードを好んで使うんやけどな)

ここまでの話やと、その同期の子は相当出鱈目な人に思えるかもしれん。
だけど一応そうなったのには共感できんこともない理由があってな。

その子の親父は更に出鱈目な人物で、

借金を兄弟で分担して肩代わりしながら、

その同期の子はおさんどんで家族を養うという生活を
学生の頃からやってたらしくて、

躾らしい躾も受けることなく、
信じられるのは自分だけっていう状況だったらしい。

それでも暴れたり、グレることはなかったとの事なので、
似たような境遇にある人々の中では行儀の良い方なのかもしれん。

ただ仕事をする上では先輩を立てたり、
自分の至らない点を認めることも時には必要なんよ。

それをどうしたらその同期の子にわかってもらえんのか…
そういう話し合いを他の同期と話してる時に、

少し離れた場所にいたその同期の子が私らの”話し合い”を耳にして、

『友達だと思ってたのに裏切られた』
と言って職場で大泣きし出したんよ。

そこで私はたまらず、高校の頃の”敵性同級生認定事件”以来初めて
『人に対して忌憚のない意見を述べる』ことに挑戦した。

『私は先輩を尊敬してて、先輩は皆からも信頼されとる。
あんたが全部間違っとるとは言わんけど、
そんなに言いたい事があんのなら、ただ敵対すんのではなく、
真っ当に意見できるようになれよ。』

って言った。

したらそこで相手が
『それでも友達なら私の味方をすべきだ』と言い出してな。

いやここ学校じゃないんでね。

ていうか私はあんたを否定してるわけじゃなくて、
問題行動があることを認めた方がいい状況だよと
指摘しただけなんだけどね。

って思ったけど…多分これは言えへんかったと思う。
(相当の勇気を振り絞って話したから、所々気が動転してて覚えてない)

でもそれ以来、

『自分の思う事をはっきり言った私』に対する
その同期の子の風当たりが強まり、ねちっこい攻撃が始まったんよ。

ちょいっちょい私の仕事ぶりを蔑んでは、
自分の方が正しいとアピールするようになった。

疲れて距離を置けば、甘えて『私はあんたのことが好きだ』と言う。

そんな日々が数ヶ月続き、
完っ全に疲れ果てて長いこと体調を崩した。

実はその”座ったままできる仕事”を始める前に、

商業施設で清掃員になった時に
利用客とクライアントから職種差別を受けたり、
(”たかが清掃員・不潔な仕事しか出来ん奴”っていう扱いを
小学生からも受けたのにはびっっっくりした)

チーフ代わりの先輩から初対面で嫌われて、
職場全体からいじめられるといった事もあってな。

元々疲れが溜まってたんよ。

でも生活のために休養を取ることはできんくてな。

代わりに買い食いや買い物でストレスを発散しようとして、
同時にリボ払い地獄にも陥っててな。

これはめっちゃ矛盾した行動やねんけど、

ようは自分で自分の首を絞めて、
『絶対に休めない状況』を作ってしまってたんよな。

そんな中職場で巻き込まれた人間関係のトラブルは、
私の神経を相当に消耗させ、

漸く当時の私が抱えがちだったストレス要因の最たるものが、
『人前で自己主張できない自分にあった』と気づいたんよ。



で、『自分の問題点に気づいた』のはいいんやけど、

どうすれば解決するのかがどう足掻いてもわからんくてな。

先に『高校の頃からSNSやらブログを通して練習してた』と言ったけどな。

途中働くのが忙しすぎたのと、
前回の記事で紹介した炎上騒ぎがあって、
ネットでの自己表現は自分に合わないとみなし、辞めててん。

だけどそれ以降、職場だけではなく、友人関係、家族関係などでも、
『言いたいことを少しも言えへん』状態が続いたことが災いしてな。

私の内側に溜まったストレスと『飲み込み続けてきた言葉』が、
職場で大爆発してな。

怒り狂って暴れ回るということをしてしもうたんよ。

幸いそれまで真面目に勤めていたと職場がみなしてくれたおかげで
首を切られることはなかったものの、

私自身が『そんなことをやらかした自分』を恥じてな。

結局職を離れることになった。

それから約一年ほどニート生活を送ってな。

最近漸く働き始めた。

なお先述のリボルビング・ヘルについては、

幸いにも親が半分肩代わりしてくれ、
そのおかげでまとまった休養を取ることができた。

親とは別件でかなり色々あったけど、
金の迷惑をかけたことでめでたく『超絶クズ認定』を受け、

私は余計に自分を責めて、
自分の言いたいことなどさらさら言えん状態になってた。

”職場で怒り狂って暴れた”んは、
借金が片付いてしばらくしてからやった。



なんつうかなあ…

”例の事件”以降鬱っぽい状態になってて、
それを癒すきっかけになったのがYouTubeの占い動画だったせいか、

スピリツアルの一般的な知識が多少頭に入ったんやけど…

引き寄せの法則的にはアレなんかな?

『言いたい事を言えない』ことで溜まった負の感情が、
言いたい事を言えない状況の拘束力をより強め、

それが感情の爆発につながったんかな?

心理学でもあるらしいよな。
『感情のメルトダウン』だかっていう。

なお私はいじめを受けた職場の先輩に
たまたま発達障害児を育てるオカン様がおって、

その人のアドバイスを受けて発達障害の診断を受けたんよ。

彼女曰く、私の行動パターンは完全に発達障害児のそれだったらしい。

親からは『自分を磨ききれてない』と言われ続けてきたから、
超意外やったけどな。

そんなこと思いもよらずに生きてきて、
鬱傾向で希死念慮もあるしで、
病院に行った時は入院させられるかと思ったんやけどな。
(今の法律では、希死念慮のある人は入院させねばならんらしい)

発達障害だったんやって。

ちなみに大人の発達障害診断には数ヶ月の時を要し、

人によっては入院させて、
24時間の行動観察を2〜3週間続けないとわからんのやって。

医院によっては簡単に診断を下す場合もあったらしいけど、
『自分発達障害かもしれへん』と駆け込む人が多すぎて、
慎重に診断するようになったんだとか。

理由は発達障害などの脳の機能障害がなくとも、
精神疾患を持っとる場合、似たような症状が出る事があるから。

私にはASDとADHDの両方の性質があるらしいんだけど、
特にASDの人は感情を処理する能力が低く、
定期的に処理しきれない感情が大爆発するらしい。

女子の場合はその傾向が緩まるっていう話を聞いた事があんねんけど、
私はその例に漏れとる。

普通の人は、日常生活において
常に自然と感情を処理しながら生きられるらしいんだけどね。

なんか成長に伴って、脳が自然と感情の処理方法を学ぶらしい。

ASDだとそれが苦手な傾向にあるという。なんということでしょう。

一応自分では自分の感情を理性的に判断できてるつもりでいるんだけど、

実際は全然できてないねん。

職場でも誰もいないところを見計らって大声で喚いたり、
地団駄を踏む事が何度もあった。

つまり私は、

感情に突き動かされて言いたくなった事は徹底的に飲み込まないと、
簡単に暴れる可能性を常に擁していたということ。

感情をリアタイで処理する事が出来ない自覚はあった。
リアタイで感情表現しようとすると、爆発しそうになる。

だから私の”理性”は感情を厄介なものと捉え、
『押さえつける以外に方法はない』と思うようになった。

一応念のために注釈しておくと、
感情の処理能力云々だけがASDの特徴ではないんよ。

それは一つの傾向に過ぎず、
情報に囲まれることにそもそも耐性がないねん。

具体的には人混みとか、学校とか、BGMが流れている場所とか、
USENとか、ラジオ・テレビの音が常に流れてる場所が苦手。

なぜならただでさえいろんな音が重なって流れるのに、
それらが全て同じ音量で聞こえることに加え、
話の途中でいきなり広告とかが入るでしょ。

加えて耳鼻科や脳外科に行っても異常なしとされるのに、
常に幾重にも耳鳴りがしとる。

邦画も日本語の動画も、字幕がなければ観れない事が多い。
BGMが流れてたり、大勢が喋ってる動画は話を聞き取れんから。

テレビやラジオが流れてるだけでも、
まるで複数の人から一気に話しかけられて、
それを全部聞き取らなきゃあかんような状態になるんよ。

どの情報を優先的に拾っていいのかが分からずに混乱するから。

私の場合そこで『責め立てられてる・理不尽な目に遭っている』と感じ、
怒りや悲しみが湧いてくる。

解説?

だから情報過多の社会においては、
(情報媒体が多いという意味ではなく、
常にたくさんの音や話し声が聞こえる騒がしい場所が多いという意味)

脳が常に情報を処理するためにフル回転しとるから、知恵熱出すねん。

実際に発達障害の人は脳が炎症傾向にあるらしく、
大人になっても知恵熱を出す人がザラらしい。

間違ってたらごめん。

私の場合、1週間のうち二日ほど街(騒がしい場所)に出ると、
超絶疲れて熱を出し、二日は潰れる。

だから欠勤が多くなりがちで、職を追われたこともある。

ようは人の出入りが激しいとか、
人口が多い職場はそもそも私には合っていなかったんだけど、

学歴の低さから苦手な場所でしか働けなかったので、

障害云々よりも、
『自分が悪くてこうなる』っていう感覚のほうが強かったんよね。

だから後になって自分の”障害”を知ったところで、
根本的な解決策にはならんかった。

障害者手帳をもらったところで、
そもそも受け入れ先に発達障害に関する理解が及んでないので、

その他の障害者雇用と一緒くたにされる。

めちゃくちゃ端折った言い方をすると、
発達障害の人は一人仕事が最も向いとるんよ。

でも一人でできる仕事なんて、
十分に需要のある特定のスキルがない限り、
安定した収入は得られん。

だからたくさんの人が私と似たような悩みを抱え、
苦しんでるんちゃうかな。

その人たちのために私ができる事はほとんどない。
自分のことで手一杯やから。

で、その『自分のこと』を片付けるために、

自分の感情を良し悪しで判断せずに
まとめられる練習をnoteで行っているというのが、

私がnoteをやることにした大体の経緯です。



過去の人間関係のトラブルから
『人に対しずけずけものを言う人が苦手になった』と話したけど、

トラウマになったトラブルの原因のほとんどが、
私にあった可能性があんねん。

というのも、ASDの人は基本的に人の感情を理解するのが苦手で、
『ずけずけものを言う人』が多いんやって。

で、わしそれを知って過去を振り返ってみたんよ。

したら要所要所で人前で感情を爆発させて暴れたり、
人から『誤解されやすいやっちゃな』とつっこまれる事があった。

それだけやない、

自分が話したい事を話し始めると、
相手の顔色を伺う事なく延々喋り続けるばかりか、
それが相手にとって迷惑な事だとは思いもよらないので、

相手から『あんたの話を聞きたくない』とか言われた場合、
それを自分への非難としか捉えられんねん。

その時々の”情報”を処理するのに手いっぱいで、
自分の行動を振り返る余裕が全くなかったから。

だからきっと、これまで何度も無自覚に人様を傷つけもうしてたんよ。

つまりは『同属嫌悪』だったって事。

それを知った時は少なからず動揺したけどな。

ただ余計に
『自分の言いたいことを整理して言えるようになる必要がある』
と思った。

いちいち感情爆発させてたんじゃらちがあかんし、
今のところはnoteを使って言葉をまとめることで、
わりかし落ち着いていられるから。



もし発達障害の人がこの記事を見る事があったなら…
どうしよう。なんて言おう。

共に頑張りましょう。

自分の体験談をなんとなく共有するだけでも、
それをたまたま目にした人を癒す事があります。
私は癒された事があります。

だから私は、

たとえ需要のある情報を提示できなかったとしても、
多くの人にネットでの発信をお勧めしとります。

『こういう情報はバズらんな』とか、
『こんな事下手に話したら陰でなんて言われるか』とか、

そういう事は気にしてもらちがあきませんし、

『こんなことで悩んどんの自分だけかな…理解者が欲しいな…』
って密かに思ってる人を助けることにも繋がると思うんで、

自分が日頃何気なく思ってることとか、

悩んどることとか、

意見とか、

そういうのんをどしどし共有してくれる『一般人』の人とか、
『発達障害』の人が増えてくれたら嬉しいです。

いっときはやった個人ブログのステレオタイプのやつですね。

日記を公開するっちゅうアレです。

なんかそれが叩き屋のおもちゃになってる様子を
目にしたことがあるんですが、

それが原因でネット発信に恐れをなして、
日記ブログをやらんくなった人が増えたように思います。

日頃の鬱憤ばらしに
見ず知らずの人をサンドバッグにする奴なんざゴミです。

ゴミはゴミ箱へ捨てて、

あなたの発信に癒される人がいる事を信じていただけると、
私は嬉しいです。

なぜなら私は癒されたからです。

おんなじ事何度も言ってるかな?

なんか今日はあんまり文章を見返したくない気分やねん。

だから誤字脱字とか支離滅裂とかあったらえろうすんまへん。

ではみなさんお元気で。

またお会いしましょう。

ありがとうございました。

おやすみなさい。









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