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犬の散歩に行こうとしたが、思考が止まらなくなってMacBook Proに戻ってきた

先ほど公開された大沢伸一さんのエッセイを読んでいて、ふたつ思い出したことが。犬の散歩で忘れないうちに、ほぼ自分用としてメモしておきます。(注:つまり、本業の記事みたく、煮詰めた読み物ではありません。)

ドン・ウォズ

最近観た『Brian Wilson: Long Promised Road』で、音楽プロデューサーのDon Was(ドン・ウォズ)が話していたミュージシャンの先進性の話。

アメリカ製のブルーレイなので、僕のヒアリングでキャッチできている範囲+解釈を交えてですけれど、ミュージシャンには、

(1)音響的先進性を追求する人

(2)ロマンティシズムやセンチメンタリズム、あるいはメッセージによる言語での社会との同期で心を動かす人

といるけれど、なかなか両方のアプローチを本気でやりきる人がいない、と。

そしてその両方をひとつの曲やLPで試みた作品があっても、成功例が少ない。

ブライアン・ウィルソンの映画なので、ここでDon Wasは『Pet Sounds』はそれに成功した作品だと称賛をするわけなんですけれど、「そんなの前々から知ってるよ」と感じつつも、「ああその稀有な価値はあるな」とジワるんですよね。

ブライアン・ウィルソンでさえ、その成功例って、たぶん『Pet Sounds』だけなんじゃないか。同時代だと『Sgt. Pepper's』は実験だけって感じで、正直かなり苦手(笑) 音響的な芳醇さ以外のものが、『Pet Sounds』を25年間聴き続けてきた理由なのかもしれませんね。

大沢さんがMondo Grosso名義で2月に出す新作のいくつかが先行で聴けるようになっていますが、彼の過去作品『Paris』とか『late night blue』とか『Tiger』の雰囲気と音響面が特に地続きに感じますね。ただ、そこに言語表現と社会との同期が明瞭さを増すと、どう化けるのかは至極楽しみではあります。

(ちなみに僕はその3曲の中毒症状級のファン。笑)

Tellingの限界

一箇所だけ、大沢さんの文章を引用すると、

今僕たちは自分の感性と直感と知性を研ぎ澄ませ「考える」ことを始めなければ、ここからの人生いや世界の有り様が大きく変わってしまうとても重要な過渡期を迎えているということ。

発信する -> 受け取ってもらう

表現する -> 鑑賞してもらう

だけのコミュニケーションデザインの限界なのかもしれないですね。

後者は音楽など、芸術面で続いていくべきだけど、編集領域ではもう伝えるだけじゃ社会変革は無理だろう、と。

僕はそれをこの半年痛感していて、受け取るだけにしない表現や編集という仕事や企画軸をクライアントや担当ライターにアピールする機会が増えました。

というか。

長くなるので手短にしますが、僕はそろそろジャーナリズムとソーシャルアクティビズムのエモ醸成〜物語・メッセージ・正義感での誘導は通用しなくなると考えている派です。考えさせ、担い手=首謀者にするための装置をつくらなきゃですね。

それを推し進めるとなると、確実に仕事量が増えて大変そうだけど、楽しそうな企画・案件ばかりが続きそうな1年ではあります(笑)

・・・・・

えっと、、、犬を散歩につれていかねば!(;^^

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