施しと救済と記憶

今回は題名通り。
有名所だと進撃の巨人における
ミカサの「マフラーを巻いてくれてありがとう」
直近だとタコピーの原罪における
「パンをくれてありがとう」みたいなやつ。
よくある「施し」をした側はそこまで記憶してないけど「救済」された側は深く覚えてるってやつ。

僕自身もそういう経験がある。
2年前にほんとに死にたかった時期、
1年前の生きる意味を探していた時、
今も結構しんどいんだけど、それでも
ここ約2年においてその「施し」は凄く大きかった。
相手にとっては大したことなんてないんだろうけど僕にとっては今でもそれがあるからかろうじて
なんとか「マシになりたい」と思える。

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