精神的に死んでいる状態は生きているのか?

題名通り。
精神的に壊れて動けなかったり未来や現在に希望が持てないような時、果たして「生きている」と言えるのだろうか。
かくいう僕も「精神的に死んでいる」状態。
だからこそ疑問に思う。
果たしてこれは「生きている」のかと。
将来に希望も無く今もただ息をして心臓が動いているだけみたいな感覚。ボロボロの人形を無理矢理動かしているようなそんな感じ。
何度「死んでしまった方が楽」と思ったかわからない。
何度「起きることなくこのまま死んでしまいたい」と願ったかわからない。
そんな状態は正直死んでいるのと感覚的には
認識的には変わらない。
これは「生きている」と言えるのか?

個人的な話をすればずっとどこかで無理をし続けた結果精神が壊れてしまった。
思い当たるトリガー因子はあるもののそれはただ
撃発を叩いてしまっただけでいずれこうなっていた。
今になってわかるが僕がずっと欲しかったのは
恋人でもわちゃわちゃ遊ぶ友人でもない。
ただ同じ目線で話が出来る「相棒」が欲しかった。
10代中盤から学校にも居場所は無く家庭環境も
良くなくどこにも落ち着ける環境は無かった。
当時や20代前半まではギリギリ
「いずれ改善されるかもしれない」という
ありもしない希望を無理矢理持てた。
だがそれも20数年生きてしまうと「存在しない」のだという現実を認識してしまう。
そう認識した瞬間に今までも壊れてその度に
テープで無理矢理貼り合わせた心が完全に砕けたのを今でも覚えている。
「考えて」「理解」してしまった。
今後の人生の行く末を。
生きることはとても苦痛で辛く痛みを伴う物で
それに見合う報酬が与えられないということを。
同時に周囲の人間が憎らしく感じた。
彼ら彼女たちにどんな生活があるのかはわからない。もしかしたらものすごく重い物を抱えているのかもしれない。
だがそれでも多くの人は前を向いて生きている。
未来のことを考える。
何故そう出来る。何故良い方向に進めると認識出来る。
導き出された解答は恐らく「考えていない」か
「意図的に考えないようにしている」だった。
そう生きれるのが心の底から羨ましく憎かった。

以前までは恐らく1年ぐらい前までは感情的に精神的にキツい時は泣くことが出来た。
今では泣くことすら出来なくなった。
要するに負の感情が溜まっていく一方なのだ。
こんな状態はいつしか限界が来て一線を超えてしまうのだろうと。
普段から「死にたい」と言ってる人間は実際には死なないといった言論をよく見る。
正確にはそれは間違いだ。「死にたい」と言葉にすることによって感情を吐き出してるだけに過ぎない。ある一定のラインを超えると本当に一線を超えてしまう。

だがそもそも死ぬことはダメなことなのか。
生きているのがあまりに苦痛な人間に
「生きているだけでいい」と言うのはあまりに
無責任だ。
「死ぬかどうか」を選ぶ権利ぐらいは与えられてもいいだろう。その末に自己の判断によっての
行動であるならそれはもはや唯一の「解決策」なのに。

産まれたくも無ければ生きたくも無い。
一日も早く死んで楽になりたい解放されたい。

もう疲れ果てた。

でも死ぬ直前ぐらいは「ちょっとは楽しかった」と思って死にたい。
そんなことを思うから余計に苦しい。
生きることは罰ゲーム。

早く楽になりたい。

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