トラウマと呪縛

僕は13歳の時にいじめを受けた。
理由はよくあるような「キモい」とか「言動が気に食わない」とかそういう類の物ではなかった。

僕には小学校時代からの同級生で恋愛感情とは
程遠いものの好意を持っている人が居た。
彼女との関係性は「そういったもの」に発展するかは置いておいて一友人としては比較的良好だった。少なくとも仲が悪いというようなものではなかった。
だが当時11〜2歳ぐらいのころから
「立場が違う」ということは何となく理解し始めていて「友人で居れれば満足」という認識だった。
それは中学生になっても変わらなかった。
大きく事が動いたのは中学校2年生の時。
クラス替え直後でみんなクラスでのポジション探しをしているような時期だった。

どこから聞きつけたのか
「僕が彼女のことを好きらしい」という話が広まった。それもクラスの最上位層ではなく
そのポジションに気に入られたいという風なタイプの人間にバレてしまった。
当初は僕に対してその話題をぶつけるぐらいだった。それならまだ良かった、自分だけの問題だった。だけど人間というのは浅ましい生き物で
より過激さを求めるようになった。
最終的には休み時間になる度に僕を拘束して
彼女の居るクラスに連れていき告白させようという「エンターテイメント」になった。
こうなると問題は僕だけでは収まらない。
彼女の学生生活まで潰してしまう可能性があった。この頃から酷く自分を否定して責めるようになった。
と同時に彼女と同じ部活動をしていた女子陣からすると「流石にやりすぎ」という風潮も出始めた。
僕は彼女たちに助けを求めた。
「彼女のためにこんなことはもう終わらせたい」と。
結果としては僕が手紙で告白をしたことにして彼女がお断りの返事を書くというところで一応の終わりは迎えた。
だがこの時に認識したのは
「僕が誰かに好意を持つ=周囲から冷やかされエンタメとして消化され相手にも迷惑をかける、そして自分はそういう立場の人間である」という物だった。
それ以降僕は彼女と関わらないと誓った。
「自分を犠牲にして彼女が楽しく過ごせるならそれで満足だ」と。
だがそれ以降事あるごとにそのネタは
もはやみんなのエンタメとして認識された。
学園祭と呼ぶにはお粗末な模擬店を出すイベントがあれば僕はまた無理矢理そこに連れて行かれ
その出物を買わないといけない。
そんなことがある度に酷く自分を責めた。
「自分のせいで迷惑をかけている」と。
きっと僕の自己肯定感の低さや自己嫌悪はこの経験がベースでずっと存在している。
自分がどうのこうのよりも
「彼女に嫌な思いや嫌な時間を過ごさせた」
ことが許せなかった。
そしてその原因は自分にあるという認識をするしかなかった。

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