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24時間戦えません

ぼくの持論ですが、10年経ったら日本企業の働き方は変わります。

その根拠は、10年経つと世代交代が起きて、働き方のルールが変わるからです。

ぼくは企業研修の講師をしています。社員研修で各社に出向くと、受講者の年代ごとに女性比率と家族構成が異なることに気づきます。

部長級の管理職研修は50代男性ばかりで、その妻は専業主婦。課長・係長の研修の40代は女性が2割程度、共働きが半分くらい。

中堅社員研修で会う30代は男女半々、共働き前提、独身者が多いです。新入社員ほか20代の社員には優秀な女性が目立ちます。

いま、職場ルールは50代以上の男性たちが作っています。

彼らは家のことを妻に任せてフル稼働で働くことができ、仕事至上主義の原則で職場を運用しようとします。例えば、熱がでたときに這ってでも出社するとポイントを稼ぐことができました。

(注)先日、感染防止の新ルール導入により上記ポイントはルールブックから削除されました。

あと10年も経てば、皆勤賞自慢の年代層は引退します。代わって共働き社員が意思決定層となり、そのとき子育ての両立を前提とした働き方のルールに変わります。

付け加えると、いまの50代が引退する頃には「女性活躍」なんていわなくても、普通に女性が働いている職場になります。

50代の男性社員と若手中堅社員では育ってきた環境が違うため、仕事観が異なります。とくに、バブルを経験しているか否かで分岐します。

バブル経済を象徴するフレーズに「24時間戦えますか?」がありました。栄養ドリンク・リゲインのCMで、放映されたのは平成元年。今から30年前で、いま50代の人たちが入社した時期です。

当時は右肩上がりで経済が成長し、働けば働くほど成果がでました。残業するほど給料が増え、交際費も使い放題で、キャリアのスタートはイケイケでした。

バブル崩壊後、日本経済は30年も長期低迷しています。そして、自社の売上がずっと伸び悩んでいるにもかかわらず、彼らは経済成長マインドを保ちつづけ、対前年度比アップの目標を立てようとします。

一方、平成生まれの年代層は経済成長を経験しておらず、右肩あがりが肌感覚として実感できません。そのため、対前年度比アップの目標に正直ピンときていない人もいます。

この右肩上がり感覚の有無が、50代以降と若い人の差異になります。

アラフィフのぼくは「昨日より今日、今日より明日はきっとよくなる」といった感覚を無自覚に有します。でも、若い人たちと話していると、そうした感覚がないことに気づきます。

ミレ二アム世代は、経済成長より持続可能性に魅力を感じています。SDGsを重視する世代が経営幹部になると、さらに違った価値観で職場が運用されるでしょう。

その昔、バブルの企業戦士は24時間戦っていました。高度経済成長期にアメリカに追いつけ追い越せだった日本企業や、今も勢いのあるベンチャー企業ではそうした働き方をしているかもしれません。

異常事態のとき、上を目指しているときにはアドレナリンMAXの働き方はありえます。

スラムダンクもそう。バスケの頂点を目指したからこそ、がんばれた。シュート2万本の特訓とか、客観的に考えたらブラック部活です。

逆にいえば、坂の上の景色がみえないときには、そんなに人はがんばれません。

その後、リゲインのCMは「3,4時間戦えますか?」に変わりました(労働時間を20時間も削減!)。多くの日本企業は下り坂になっても発想が変わらず、職場のルールが大して変わりませんでした。

働き方改革の意識変革を訴えても旧世代の層が抵抗し、なかなか変わりません。

そんな日本企業の働き方に今回、新型ウィルスが挑戦状を突きつけました。テレワークやオンライ会議など急きょ導入され、これまで変えられなかった働き方が一新されつつあります。

では、アフターコロナに働き方は変わるのでしょうか。

ぼくは、働き方が本当に変わるには、世代交代がなければ無理かもしれないと考えます。

そう考えるようになったのは、瀧本哲史さんの『ミライ授業』を読んでからです。少し長いですが、引用します。

20世紀を代表するアメリカの科学史家、トーマス・クーンはコペルニクスの時代を丹念に研究した結果、驚くべき結論にたどり着きました。
コペルニクスの地動説は、彼の死後1世紀あまり、ほとんど賛同を得られなかった。ニュートンの仕事も、主著『プリンキア』が出てから半世紀以上、一般の支持を得られなかった。ダーウィンの進化論だって、すぐに受け入れられたわけではない。
それでは、こうした世界をひっくり返すような新説は、いつ、どのタイミングで、どのようにして受け入れられていくのか?
彼の結論は「世代交代」です。
つまり、天動説を信じる古い世代の大人たちは、どれだけたしかな新事実を突きつけても、一生変わらない。なにがあっても自説を曲げようとしない。
地動説が世のなかの「常識」になるのは、古い世代の大人たちが年老いてこの世を去り、あたらしい世代が時代の中心に立ったときなのだ。
「世代交代」だけが、世のなかを変えるのだ。・・と、そんなふうに言うわけです。(215-216頁)

世代交代すると文化が変わります。例えば、学校で体罰の文化が変わりました。

ぼくが小中学生の頃は先生からゲンコツや棒でぶたれるのは日常茶飯事。高校では生活指導教師が鬼軍曹と呼ばれ、竹刀をもって怖い顔して校門に立っていました。

昔から日本に体罰の文化があったわけではありません。

江森一郎著『体罰の社会史』によれば、江戸時代の寺子屋や藩校で体罰はなく、家で子どもを叩くことはなかったとのこと。

学校で体罰が始まったのは日露戦争時。軍人が学校に教練でやってきて体罰する文化が始まりました。

軍隊の集団規律が公教育に持ち込まれ、ぼくが小中学校を過ごした1970年代は管理教育の名の下で、軍隊もどきの体罰が横行しました。

今は軍隊教育的な指導は一掃され、体罰を受けて育った人が世代交代でいなくなり、学校から体罰の文化がなくなりつつあります。

果たして、日本の政治は世代交代できるのでしょうか。

海外では、カナダのトルドー首相(48歳)、ニュージーランドのアーダーン首相(39歳)など、若いリーダーの指導力が目を引きます。

台湾では38歳の天才プログラマーがIT担当大臣になって活躍しており、世代交代できたように見えます。

かたや、日本のIT担当大臣は78歳。ハンコ業界の会長とのこと。ハンコは旧来の働き方の象徴であります。

彼に反抗(ハンコー)する者が現れることを望みます。

今回のコロナ対応をみるに、旧世代は景気回復のパラダイムに固執していると見受けられます。with コロナの社会で右肩あがり成長は望めないと思うのですが。

新型ウィルスが高齢者に重篤者が多いのは、もしや世代交代を早めるため?
・・この説には根拠がありません。あしからず。

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