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12.25 クリスマス・スケートの日

森の奥深くにある湖が凍った。
その湖には神が住むとされ、どんなに寒い冬でもめったに凍ることはなく、これは百二十年ぶりの出来事だった。
分厚い透明な氷が張った上に、木々の隙間から月光が降り注ぐ。
こんな冬の最中でも、あたりにはなぜか甘い花の香りが漂った。
湖が凍ったとの噂を聞きつけた動物たちは、真夜中にも関わらず、物見遊山の気持ちで湖に集まってきた。
いつもとは違って薄水色に見える湖の神秘的な輝きが、あたりをシンと静かにしている。
誰もが息を飲み、その神聖な煌めきにため息を漏らしているまさにその時だった。
「こらっ、やめなさいっ」
美しさに取り憑かれたように、一匹の子供のリスが、氷の上に足を踏み入れようとしている。
それを見た大人の動物たちは、子リスが神の怒りを買うのではないかと瞬時に恐れた。
青ざめる母親リスが手を伸ばすも届かず、子リスはその小さい足を氷の上に置いて中央へと滑りはじめた。
「なんということだ。祟りが来るぞ」
高齢の鹿がそう呟くと、周りの大人たちも「あの子はもう帰ってこない」「どんな罰があるのだろう」などとざわつき始めた。
母親リスも、愛しの我が子をどうすることも出来ずに、悲しい鳴き声をあげながら地面に伏した。
子リスが湖の中央までたどり着くと、キーンと冷たさが耳を痛めるような音がしたあとで、動物たちにしか分からないビジョンがそれぞれの頭の中に流れてきた。
それは、原色を混ぜ合わせたような色の洪水であった。
そのビジョンの流れに合わせるように、目を閉じた子リスがさらさらと氷上を滑り始めた。
「恐れることはない。あなたはあなたの命を全うすればよい。命自体には天も地も、善も悪もない。あなたたちにあるのは、ただ命そのもの。ただ、命そのもの」
舞を舞うように手足を伸ばしたり、円を描いて氷上を滑る子リスには今、湖の神が降りているのだと動物たちにははっきりと分かった。
「あるのはただ、命だけ。それだけ」
月光の降る音がウィンドベルのようにチラチラとあたりを包み、動物たちはただその神託に耳をそばだてた。
風に飛ばされた雪雲が満月を隠し始めると、子リスは何者かに押し流されるように母親リスのところへと戻ってそのまま意識を失った。
「大丈夫なのか」
心配して近寄ってきた高齢の鹿が、母親リスに抱かれる子リスの容体を確かめるように鼻先を近づけた。
母親リスは、子リスの顔を撫でながら頷いた。
「眠っているだけのようです」
母親リスも、高齢の鹿も、周りを取り囲む動物たちも、皆等しくぼんやりとした顔をしていた。

静寂の中に、空から雪の粒が降りだした。音もなくゆっくりと湖上に落下した雪は、一粒ごとに湖の氷を溶かしはじめた。
「不思議な夜だ」
高齢の鹿はそう呟くと、雪雲を払うように高く鳴いた。

一夜限りの氷の舞台は、次の朝にはすっかりと消えてしまったそうだ。
そして、湖のほとりには甘い香りのする白い花が咲いていたという。

12.25 クリスマス、スケートの日
#小説 #クリスマス #スケートの日 #JAM365 #日めくりノベル

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