4.18 よい歯の日
恐ろしい夢を見て飛び起きた。
目覚まし時計もまだしんと静まる午前四時だ。学校へ行くのにだって、まだ四時間もある。
誰も起きていないような静かな空気に心細さが増す。
それにしても、恐ろしい。
睦美は心拍数の上がった胸を押さえ、次に自分の口元に手をやった。
そしてせわしなく前歯の在処を探った。
歯が、ある。
「よかった」
小さな声でつぶやいた。
安堵したけれど、それでもまだ、悪夢の恐怖のなごりがべったりと敷き布団ににじんでいるような気がした。
夢の中の学校で、好きな人と話をしていた。
なぜか教室で二人きり。こんなチャンスはなかなかない。相手は学年でも有数の美男子だ。
実際には挨拶以外交わしたことのない相手と、夢の中で睦美は笑顔で冗談なんかを言い合っていた。
至福の時間だ。
誰も来ないうちに、好きな人が自分に脈があるのかを訊いてみたい。
そわそわしているうちに、チャイムが鳴った。
「あ、時間だね。睦美、部活でしょ?」
あろうことか、夢の中で想い人は睦美のことを下の名前で呼び捨てにした。
現実世界ではまだ名前を呼ばれたこともないのにすごい進歩だ。
そこまでは本当に、夢の中で生きていきたいくらい睦美は幸せだった。
黒板の上の時計を見ると、夕方の四時。
陸上部の睦美は着替えてグラウンドに向かわなければいけない。
しかし、好きな人との甘いひとときが惜しい。一日くらいなら、休んでも、いいかな。
「ううん。今日は練習休むことにしてるの。毎日やると筋肉に悪いから」
こびを売るように甘い声で嘘をついた。
睦美の想い人は「ふーん、そうなんだ。じゃあもう少し喋れるね」と言ったきり俯きがちになって黙った。
「・・・・・・・どうしたの?」
なんだかとてつもなくいい雰囲気が漂いはじめている気がする。
心なしか、背後では大ヒットした純愛ドラマの主題歌が流れ出した気までする。
美男子の美しすぎる顔が、スローモーションで睦美に近づいてくる。その瞳が、睦美を射抜く。
「え、ちょっと」
焦りつつも期待十分に目をつぶった睦美だったが、唇に感じたのは固い歯の感触だった。
「ん?」
カツン、と音がした。
下を見ると、机の上に抜けたての歯が落ちている。
「うわ。大丈夫か?睦美」
想い人の顔がひきつっている。
「え、なにが?」
「なにがって、歯が・・・・・・」
「歯?」
唇のあたりを指で触ると、触れた前歯がぽろりと落ちた。
まるでスポンジに歯を差し込んだだけのような緩さだった。
そして、悲鳴。
悲鳴をあげた衝撃で他の歯も次々に落ちていく。
抜けた下の歯で口の中がいっぱいになっていく。
何これ、何これ、何これ、何これ。
そして、暗闇の中で目が覚めた。
「本当に、良かった」
睦美はきちんと生えている歯を指先で撫でながら、改めて安堵した。
次々に歯が抜けていくなんて、なんて夢だ。
そういえば最近夜ご飯を食べたままこたつで寝てしまうこともしばしばあった。
これは、歯を大事にしろという体からのメッセージなのだろうか。
「当たり前にあると思ってたけど、案外繊細なのかなあ」
冷えた肩を擦って布団に潜り込みながら、睦美は起きたら丁寧に歯を磨くことを自身の歯に約束して、もういちど束の間の眠りについた。
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