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8.31 野菜の日・I love youの日

ポリポリポリ…胡瓜を齧る音が響くのどかな午後。池のほとりで具合のいい石に座って、足だけをぬるい池の水につけながら、ぼんやりと空を見上げる河童がいた。
この河童は、身体が小さくひょろりとしているが、とても心の優しい河童だった。胡瓜の両方の端っこは、いつも池にいる亀たちに与えている。河童は、亀も生きているのだからきっと胡瓜が食べたいだろうと考えていた。
「今年は随分暑かったな。雨がたくさん降ったり、地面が揺れたり、変な夏だった。でもきょうで、八月も終わりだよ」
ポリポリポリ、と食べ進めた胡瓜の端っこを池に投げ入れて、河童は亀に話しかけた。亀はのんびりと首を上げて天を仰ぎ、また下げると手元に流れてきた胡瓜の端っこにかじりついた。
「夏が終わるのは悲しい。胡瓜が食べられなくなるからね。でももう、だいぶ旬は過ぎた感じがするね」
河童は肩を落とし、短い嘴の端についた胡瓜のかけらを水掻きのついた手で払った。陽が落ちるのも早くなってしまった。天辺よりも傾いている陽を見ると、これから来る冬に悲しくなる。冬になると、この辺りには誰も来なくなるのだ。それが悲しい河童であった。
「今年の夏は特別だった。祠のお供えに、とまとがあったんだ。はじめは牛の内臓かと思ってびっくりしたよ。でも、恐る恐る近づいたらとまとだった。紅くて、艶やかで、丸くてね。一口食べたら汁がぶわと溢れて、それが甘いのなんのって。食べるのは初めてだったから、思わず目をかっぴらいたさ」
今までは、村人が祠にお供えするのは胡瓜と決まっていた。お供えが始まったのは先先先代の河童の頃で、先先先代の河童はとても気性が荒かったのだという。体が大きく筋肉も隆々の河童であり、気に入らないことがあると池を氾濫させたり、村の畑を軒並み荒らしたりするので、村人は池神様として崇め、それ以来夏に胡瓜が供えられるようになったという。
だが、今のこの河童はとても穏やかで、穏やかといえば聞こえが良いが、頭抜けたぼんやりなので、ただただありがたい気持ちで人間からの供え物をいただき、亀をおともに池のほとりで日がな一日ぷらぷらとする毎日であった。
亀は胡瓜の端っこを食べ終わり、河童の話を聞いているのかいないのか、口を開けて水から顔を出して浮かんでいる。
「どんな人間がとまとを置いてくれたのだろうと、一言お礼を言いたいなと思って、おいら祠の影に隠れてたんだ。とまとを置いてくれたのは、ちえこという可愛い子だったよ。まだ幼くてね、両手に抱えたとまとのうち、一番紅く熟れたやつを選んでくれた。嬉しかったなぁ」
河童は、日に照る頭の皿に、池につけた大きな手をぺたぺたとして、干からびないようにした。それでもほてる頬にも、水に濡らしたひんやりした手のひらを当てて冷ました。
そして、村のある方角を眺めてほぅ、とため息をつく。
「大人だったらお礼を言いたいと思っていたんだけど、子供だからね。怖いだろう、おいらたちの姿なんて。だから出て行かなかった。ちえこは一生懸命手を合わせて何かお祈りしてた。おいらは、ちえこの願いが叶いますようにってお祈りしたんだけど、祀られてるのはおいらなんだよな。ちえこの願いを叶える力がおいらにあったらよかったよ」
河童は、その日のことを思い出していた。ちえこは、親に呼ばれて駆け出した。だが、途中で祠の方を振り向くと、手を振って笑ったのだ。祠の影に隠れて見ていた河童も、こっそり手を振り返した。二度目のとまとも、とても甘くて頬が落ちるかと思ったほどだった。
「来年は、もっと大きくなっているだろうね。とっても大きくなっていたら、おいらは姿をあらわしてもいいかなぁ」
河童はぼんやりと空を流れる雲を見た。目をつぶって池に湧く水の音を聞いた。亀はいつしか水中に潜ってしまっていた。平和な午後の話である。

831・野菜の日、I love youの日
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