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2.27 冬の恋人の日

終電が行ってしまった駅の改札口で一人、僕は君が置いていった猫のキーホルダーを握りしめて立っていた。
他には取り残された酔っ払いや何をしてるのか分からないけれどヘッドフォンをした女の子なんかがちらほらいるくらいの改札前広場で、僕は口元まで黒いマフラーを上げて踵を返した。
駅の北口を出ると、どこかの空から飛んできたわずかな雪が、嘘みたいにロマンチックに降っていて驚いた。
まだ雪が降るんだな。もうすぐ二月も終わるのに。なんて。
僕はついさっき君と締めの一杯に飲んだモヒートの強さと深夜のテンションでセンチメンタルな気持ちになっていた。
君も今乗り込んだ電車の窓からこの雪を見て、ちょっとくらい今日の出来事を、少しでも楽しかったと振り返ってくれたら嬉しい。

二人ともやたら時間ぴったりに着いてしまった待ち合わせ。実は僕は二十分くらい前には着いていたのだけれど、早すぎても気持ち悪いかと思って近くのコンビニでポップアイを立ち読みしながらそわそわと目線をさまよわせていた。
約束の三分前にコンビニを出て、君に会えた時は本当に嬉しかった。当たり前だけど、君って本当にこの世に存在してるんだなって変に感慨深かった。
予約したお店までは緊張しすぎて早口になってしまったけれど、着いてから飲み物が来るまではやたら静かで、店内に響くやたらムーディーなBGMがいやらしくないかと気になって汗をかいた。
女の子を誘って二人でご飯に行くのは、僕の人生で初めてのことだった。
結果的にお店は大当たりで、鴨のローストやら真鯛のポワレやら、二人で食べきれないほど頼んでその美味しさに夢中になった。
美味しいご飯とほどほどのお酒があれば、デートというのは大概スムーズに進むのかもしれない。
僕が生理的に無理とかだったら別だけど、月に一度は仕事で会っていたから本当に無理だったら来ないだろうとも思う。でもそれが万が一僕の希望的観測で、タダ飯目当てだって構わないんだ。

チラチラと舞台装置のように舞う雪が等間隔の街灯に照らされて僕はロマンス小説の住人になりきっていた。
回想は続く。

「もう一軒だけ行きませんか?」
僕はデザートの苺のパンナコッタを凝視しながら、勇気を振り絞って聞いた。
パンナコッタにデートの延長を申し込んでどうするとすぐに自分に喝を入れたが、何も続きを言えずにいる根性なしの僕の視界の端っこで、君が頷くのが見えた。
バーのカウンターに並んで二人で飲んだモヒートは、爽やかでまるで二人の恋を表しているようだなと、緊張のあまり飲み過ぎていた頭で、多分鼻の下を伸ばしながら思った僕だった。
移動で寒かったのか、君の耳の縁がが赤くなっているのがたまらなく可愛くて、少しだけ触りたかったけれど、僕にはまだその権利が無いことを思い出して踏みとどまった。
きっと国民的アイドルとか、抱かれたい男ナンバー10に入るくらいの人間だったら躊躇なく触れるんだろうなと思うと、それ以外の人間の人生って何だろうと変に哲学的なことが頭に浮かんだので、モヒートで洗い流した。
帰り道、彼女が手を寒そうに口元に当てていた。それは神さまがグズな僕にくれた最大のチャンスだった。
僕はここぞとばかりに、コートのポケットに大事に入れておいた新品のカイロを君に手渡した。
コンビニで時間を潰したときに、帰り道寒がるであろう彼女に渡すために買っておいたのだ。
「ありがとう」と言って受け取った彼女がすぐに笑いをこらえはじめたので、僕は少なからずショックを覚えた。
「よ、用意周到すぎたかな」
僕の問いかけに彼女は首を振って、パッケージから取り出したカイロを見せてくれた。
それはあまりに薄っぺらく、誰がどこからどう見ても貼る専用のカイロであった。
「ありがとう。あったかくなるから大丈夫だよ」
そう言って、目尻の涙を拭いながら君はしょぼくれた僕に笑いかけてくれたんだ。
僕は心に矢が刺さって、いったい何度君に恋に落ちればいいのだろうと途方に暮れながら駅までの道を歩いた。
改札まではすぐに着いてしまったように思う。駅までそんなに近い店じゃなかったはずなのに。
今日が終わってしまうのが悲しくて、でも彼女を終電に間に合わせるジェントルマンでいたくて、僕はICカードを取り出した君に手を振った。
終電の時刻まで、あと五分も無かった。
「これ、カイロのお礼」
いたずらに笑った君が、僕のコートのポケットに何かを押し込んでから小走りで駅の構内に消えていった。
階段のところを曲がって姿が見えなくなってもなお、僕は君の可愛い水色のコートの後ろ姿の残像を追いかけていた。
終電の発車のベルを遠くに聞きながらポケットに手を入れると、指先が柔らかいものに当たった。
つまみ出して目線の高さまで上げる。
それは、赤と水色の毛糸でできたあみぐるみの猫のキーホルダーだった。
目が合って、僕はすぐにやられてしまった。
ああ、もう、本当に。
彼女の一部を託されたみたいで、僕は嬉しさやら切なさやらでその場にへたり込みそうになった。
こんなに喜んでいて大丈夫なのだろうか。君が僕の彼女になったわけでもないのに。

一人の帰り道、雪はいつまでもロマンチックな降りかたを止めず、僕はいつまでも「目が覚めたら君が彼女になってるかもしれない」なんてロマンス小説の世界から抜け出せないまま、住み慣れた安アパートへと歩を進めたのだった。
夜の闇はまだ深く寒くても、たしかに春は近づいている。

2.27 冬の恋人の日
#小説 #冬の恋人の日 #JAM365 #日めくりノベル #春

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