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5.15 ストッキングの日

部屋干ししているストッキングたちがエアコンの温風に揺られているのを見たら、涙が出た。それも大量に。

水曜日の夜。
火曜日も水曜日も、続けて昼過ぎにストッキングに穴が開いた。
そういう場合、会社の近くに薬局が無いので一番近いコンビニに駆け込んで新しいものを買うのだが、高い。ストッキングは高いのだ。
こんな薄い肌色の皮みたいなやつが、すこぶる高い。穴が開くと本当に泣きたいくらい悲しくなる。

「あ、先輩。ストッキングのうしろのとこ、盛大に穴空いちゃってますよお」
四月に入ってきたばかりの、よく知らない肌がぴちぴちの新人女子に指摘された時の三十路の気持ちが分かるだろうか。
何かもう、全て負けているような気になるのだ。
「あ、ありがとう。やだなー、えーいつだろう。何かごめんね?」
私は何に対して謝ったのだろうか。
とにかくその場から離れたくて、出来るだけコミカルに見えるよう変なカニ歩きでトイレの個室へと向かった。

「穴、空いてる。昨日もだったのに」
ふくらはぎの辺りに走る線。木のささくれにひっかけたような感じだ。
いつ引っかけたのか覚えが無いので、もしかすると朝の電車の中から穴は空いていたのかもしれない。

私はがっくりと肩を落としてストッキングを脱ぐと、生足のまま近くのコンビニへ向かった。
生足だろうがストッキングを履いていようが、すれ違う人たちはそんなこと何も気にしていない。
それでも私は、財布を小脇に抱えて小走りでストッキングを買いに行くのだ。

残念なことに店員は昨日と同じ人で、二日連続でストッキングを買うのが恥ずかしくてわざわざ別のレジに並んだのに「お次の方、こちらへどうぞ」なんてにこやかに微笑まれては拒否することなんて出来なかった。
俯き加減の私は、結局二日続けて同じコンビニの、同じレジの、同じ店員から、同じストッキングを買ったのだ。
私は悲しくて、午後の仕事はほとんど上の空だった。

定時で家に帰って溜まった洗濯物を洗おうとしたけれど、洗剤が残り少なかったのでとりあえずストッキングだけをまとめて洗った。

洗ったストッキングを洗濯ばさみがたくさんついたハンガーに吊るしたら、私の脱皮した皮が並んでいるみたいで何これ、変なの、と一人でつぶやいた。
はは、と笑ったけど何も可笑しくなんてなかった。

シャワーを浴びて、髪も乾かさずに下着のまま缶ビールをあけて、エアコンの風に揺れる部屋干しのストッキングたちを眺めていたら、昼間に我慢した涙が思い出されたようにあふれてきた。
「何なんだよ。大体こんな変なものを女だけ履かなきゃいけないって、どういうことだよ。常識?知るかバカ、いちいち高いんじゃこのやろう」
大体私は高い金を払って両足レーザー脱毛済みなのである。
なのになぜ穴が空くことに怯えながらこんな薄い皮を毎日毎日履かねばならないのか。
ストッキングを履くのが大人社会人の常識って、一体何なんだ。
私は泣きながら、どこかに残った理性的な頭でストッキングを触って乾き具合を確かめた。
胴回りのあたりがまだ湿っているが、寝ている間に乾くだろう。
私は一時間のタイマーをかけ、エアコンの温風を強くした。
まだ水曜日だから、明日も明後日もストッキングを履かなければいけない。
だからこそ、明日の朝までに乾いてもらわないと困る。

明日こそ上手くやるんだ。

冷たい缶ビールを半分ほど一気に飲んで、私はまたそれを合図に理性をオフにしてわんわんと泣き出した。

5.15 ストッキングの日
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