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RADIO JUNKIE

どこで見たのだかこの言葉,すごくしっくりきた。

自分の肩書きがないと何者でもない自分が心配になってしまう私,

めちゃくちゃ取り憑かれてます,っていうなんかそういうステータスって僕の意向にそぐう。気がする。

ラジオのことは嫌いになったことがないのだ。

なんで?

適度に聴けるし,やめられるからかなあ。

それ結構大きいよな。

あと,聞き流せるところね。

いちいち見ようとしなくてもきこえてくるから聞き流していた結果いつのまにかゾーンに入れるし。

だけじゃない。

自分の人生そのものを投影してくれるから。

だな。ここを一番最初に書くべきだったかも。

大好きだった「SCHOOL OF LOCK!」のとーやま校長はいつもそうだった。素をさらけ出して,親身に寄り添ってくれた。なんで,電話の向こう,電波の向こうなのにこんなに寄り添ってくれたと感じるんだか知らないけれども。

そんなかつての「SCHOOL OF LOCK!」とーやま校長のとき,ラジオに一瞬出た人たちがやっているラジオのこと,こんなに好きになるとは思わなかったな。

Creepy Nuts。

ちょうど一年前くらいのMステはたまたま見てた。なんか間違えたっぽい感じもしてた。

曲名の「かつて天才だった俺たちへ」という言葉が,ぼこぼこになっていた私のことだと思い違えて,でもそういう言葉が出てくる人たちのことに興味を持っていった。ラジオはそれ以降ぼちぼち聞いた。3月くらいからは本格的に聞いていて,録音も毎週してる。

彼らに出会ったのがもっと前だったことがいつ気づいたかわからないが,”伝説の1分42秒”の出演のことを覚えていた。

調べると

ありました。このことや,パーソナリティがCreepy Nutsのライブにいったという話はなんとなく覚えていた。

それを思い出して,なんか嬉しかった。今は”卒業”して聞かなくなったラジオの中の学校と,今が地続きだったんだな。パーソナリティはきっと彼らのことにもう気づいてて,私はそのときは曲に耳もくれないで・・・あの時のラジオでの発言も見てみると,当時からすごく精神性の近さを感じる。

先週,菅田将暉くんがオールナイトニッポンの中で結婚の報告をしたとき,ラジオリスナーのことを”顔も知らないけど遠い親戚”というような表現をしていたのが好きだ。パーソナリティもそういう気持ちなんやな。多分実際に本人と会っちゃったら自分の中で持っている感覚が全部壊れてしまう。「あ,あ,・・・誰ぇ?」ってなるわ。声かけたらそうなるよな。なった瞬間私はその人のラジオ聞かなくなると思うもん。でも,パーソナリティの皆さんも自分が有名だから・・・とかなんとかじゃなくて,そういう気持ちで喋る役割を果たしていたんだなって嬉しかった。



・・・あ,だらだら喋ってきたんですけども,あの,なんでこんなことを書こうと思ったかというと,ラジオについて熱く語ろうと思って書き始めたわけじゃないのですよ。ジャンキーという言葉のデカさに乗って,自分の懐の深さを見せよう・・・とかではないです。あ,信じて貰えないか~やっぱり?いつもそうだからな~。 あ,あの,ジャンキーという言葉があまりに気に入ったので何度も心の中で唱えながら,大好きな合唱を聴いていたんです。私は小学校の頃から高校までどっぷり合唱にハマった身です。青春には合唱ばかりでした。今は歌わなくなっていろいろ状況も忘れてしまったり,あと,運動部のエピソードとか聞くとそういうパワフルなのはないな,何してたんだろう・・・あ,合唱やってたんかって思ったり。そう,私,合唱ジャンキーだなって思ったんですよ。

・・・世界一清純なジャンキーですよね。

どうですか?

これを言いたかったんです!・・・もうなんか今更感あるな。既に山超えてる感じするなあ。

構成失敗です。

ぐちゃぐちゃですがこれで閉じます。

多分こんなもんでいいんだよね,いや,こんな感じで書けたら理想なんだよな。普段からきっと・・・





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