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配信落語について


 あの病気が流行し、突然、落語などのエンタメの配信が増えた。
 がしかし、反発は多く、特に演者にとっては抵抗感が大きいように思う。観客の反応が見えないこと、機器の扱いへの戸惑いも有るだろうし、何より「これまでと違う」ことがとても大きなマイナス面だと思う。
 客にとっても、それがしっかり鑑賞出来ているかどうかは分からない。テレビならタダなのにお金を払って画面を見る事への抵抗感もなくはない。落語の場合、生で見ていても客の想像力への比重が大きい。その世界に入り込むために、生でないことはとても大きなマイナス面だと言える。
 それでも尚、配信のメリットは大きい。そこへ行かなくともよい。交通費も天候も関係が無い。感染の危険は少なく、妙な客の隣に座らなくて言い。
 それなりに配信落語を見てきて、残念ながら配信落語に向かない落語もある事が分かってきた。寄席の配信を見ていると、一部のイロモノはつまらなくて仕方が無いことに気がついた。落語だと顔芸が主なもの、情景が想像しにくいものがつまらない。落語家の技量にもよるが落語のネタにも影響されている。これらは生で見ている分にはおもしろいと思える。
 反面、古典であれ新作であれ、独自のおもしろいキャラクタを描く落語家の落語はとてもおもしろい。福団治のしじみ売りは、聞いているだけで寒くなる。三河の粗忽長屋の人物は、漫画の登場人物のようで可愛い。きん太郎の鯛はそれぞれの鯛が人間の様な明確な性格が見える。
 配信落語として、背景などを弄る物もあったが、たのエンターテインメントと違い、落語はそもそも想像力の必要なもので有り、表現力のある落語は、配信で見てもおもしろいことが分かった。
 さて、演じ手に技術が要るように、見ている方にも技術が要る。寄席なら噺のリズムだけを楽しむことも良いかもしれない。配信の場合は、環境が足りない分、落語の世界に入り込む集中力をもって想像していく方が良い。他の音は聞こえないように、他の気になるものは排除して、大きめの画面でイヤホンを使うのが良い。
 生の落語と配信の落語は別物と言っても良いが、もしかすると配信の落語は、見ている方にとっては上位互換かも知れない。配信でおもしろいと思える落語家は、寄席に行っても面白いはずだ。

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