入学式3日後から不登校だった私が伝えたい。子どもの将来が不安な親が、「学校に行きなさい」は子どもの毒。
ココロノ人です。
「学校行きなさい」「将来、大丈夫なの?」
いや、こっちが聞きたいわ。(笑)
子どもの将来が不安な親が、「学校に行きなさい」
それは、子どもにあなたの不安を押し付けているだけではありませんか?
何故、「学校に行きたくない」と判断した子どもの決断を、尊重できないんですか?
では、どうすればいいのか。私なりの答えです。
「不登校を治す一番の薬は、家族が不登校を認めてあげること」
=学校を休むことを選択した子どもに対して、その決断を認めてあげること
言い換えれば、こうです。
「学校に無理やり行かせる親は、なによりの毒である。」
Twitterのハッシュタグ(#)で、こんなものがあります。
#不登校
#不登校さんとつながりたい
#学校行きたくない
ツイートを見ていると、分かったことがあります。こんなツイートが多かったです。
「学校に行きたくありません。親を説得する方法はありませんか?」
要は、学校に行きたくないけど、
「学校に行きなさい」と言われることに悩んでいる。
または、現在不登校で、
「学校に行きなさい」「将来どうするの?大丈夫なの?」
と、無理やり学校に行かせようとしてくることに悩んでいる。
それはツライね...。でも、社会はこう言う。
不登校は悪だ、と。
だから、子どもを助ける大人は居ない。居たとしても、そんな大人に出会える子どもたちは少ない。
社会的に、不登校の子どもたちは弱い立場です。
そこから守るべき人がいます。保護者(親御さん)です。
逆に言えば...
親という存在以外、子どもの味方が出来る人はいないのではないのでしょうか?
私の経験談です。
学校を休んだ平日の朝。
この下の記事の
・「不登校のイメージ」
に書かれています様に、学校に行かない理由ずくりに励んでいました。
親が「学校を休むこと」を認めてもらえる様に。
そして日中は、
・「たとえ話」
に書かれています様に、コップに水を注いで、誰にも相談出来ない孤独と戦います。
「子どもは学校を休んでいるときに、ゲームしかやってない。」
いいや、自分のココロと戦ってます。
つらい思いをせずに、不登校になる。結構、難易度高いことです。
でも、社会は「不登校=ずる休み」の固定概念があります。
子どもたちは、決して「楽」に毎日をすごしていません。
それは、Twitterのハッシュタグで検索すれば、一目瞭然。
そんな中でも、親はこういう。
「学校に行きなさい」
「不登校」はとても、とても、孤独な戦いです。
親という存在以外、
子どもの味方が出来る人はいないのではないのでしょうか?
そんなとき、親からも突き放されてしまった子どもたちは、
どうすればよいのでしょうか?
私は不登校のとき、自分が学校に行けないことを強く自分に責めていました。
月日が立ち、中学2年生のある時、「学校なんて行かなくていい」と思いました。
学校以外での、自分の生きがいを見つけたときでした。
そこからスゴく気持ち的に楽になり、今、こうして生きています。
今の私が居るのも、親がいなければ成り立ちません。
親御さんも、決して悪ではないと思います。
「学校に行けない」それだけで、子供の将来が不安で仕方ないと思います。
でも、その不安を子どもに押し付けることは、間違っていると思います。