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初夏の帰路

※この物語はフィクションです

 なんて、予防線みたいな書き出しをしてからじゃないと思いついた小説すらも綴れないなんて、終わってる。日暮里駅で大量の人が雪崩みたいに降りていった山手線外回りは終電間際。入れ替わりで、2駅先の鶯谷では飲みの帰りであろう男女がガヤガヤと乗り込んできて、なにやら向かいの内回りのホームに手を振っている。大学近くで友人たちと盃を交わした帰り道、遠方が祟って少し早めに離脱した僕は、その姿を横目で見ながら、手元の本に目線を戻す。

 0:00ちょうどに降り立った秋葉原で、僕は総武線に乗り換える。疲労と酩酊で足がふらつきながらも一歩一歩踏みしめながら階段を昇ってゆく。7歩先の小柄な女の子が、僕よりもふらふらとした足取りで、チュールスカートと長い髪を揺らしながら歩いている。周りの人はぶつからないように避けるからそこだけぽっかりと空いていて、僕はその子から目が離せないまま、だんだんとその子に吸い寄せられていって、気づいた時には、目の前にいて。

 彼女が足を踏み外すのも無理はない。その足取りでハイヒールはあまりにも無茶すぎるって、ヒールとは無縁だった僕でもわかる。階段を踏み外した彼女はそのまま僕の方に倒れてきて、僕はドミノで言うところのストッパーみたいに彼女を受け止めた。
「すみません」
 彼女は慌てた様子で謝罪を済ませ走り去ろうとしたが、そのふわふわのスカートがヒールに引っかかって、2度目の大転倒を披露した。
「……あ、大丈夫、すか」
 その様子が、住処を突き止められて慌てるモモンガみたいだなと思ってしまった僕は、笑いを堪えながら口角を引き攣らせて声をかける。こちらを見た彼女は観念したように、弛緩しきった頬を見せながら、これが大丈夫に見えますか?と言った。
「いや、大丈夫なわけないですよね」
「はい」
「だから大丈夫ですか?って聞いたんですよ」
「でもそれって大丈夫って答えるのを待ってるってことですよね」
「あいや、違くて」
「あ、いや、ごめんなさい、助けて貰ってるのにこんな口聞いちゃって」
「ほんとですよ」

 半笑いで進んでいくテンポの良い会話を繰り広げながら僕達は2本次の電車を待った。津田沼の先の千葉まで行く最終電車は千葉まで行きたい人を優先させるべきでしょという意見が合致して、そのままもう2本逃した。
「どこで飲んでたんですか」
「僕?志木です、志木」
「志木?飲むところあるんですか」
「あんま舐めないでもらっていいです?」
「冗談です笑、行ったことありますよ、2回くらい」
「え?なんか用事あったんですか」
「サークルの用事があって」
「へー、もしかして池袋から?」
「え、そうですそうそう」
「ふーん」
「え、学生証みしてください」
 唐突に要求された彼女の「見せてください」はまさに、みしてください、という発音表記がぴったりだった。僕はスマホケース裏に常備してあった学生証を取り出し、職務質問さながら提示した。
「えー、いっしょ」
 そうはにかんで見せてきた彼女の学生証もスマホの裏から登場して、そこには文学部と書いてあった。

 電車に乗ってから数駅の間も話し続けていたけれど、彼女の名前は聞きそびれてしまった。と言うより、学生証を見せてもらった時ははっきりと覚えていたはずなのに、先に降りてゆく彼女の背中を目で追う頃にはすっぽりと抜け落ちてしまった。この健忘もアルコールの副作用なのだろうか。もしくは彼女そのものが、セントポールが僕に見せてくれた幻覚だったのだろうか。
 もしあの子が存在していたとしても、キャンパスが違えば同じ時限からの授業でも登校の時間はズレるわけだし、加えて僕は池袋には足を踏み入れないから、きっともうあのモモンガみたいな女の子に再会することはないのだろう。
 改札を出てしばらくして、自転車に乗りながら、彼女と一緒にほぼ満員の電車に揺られていた時とは打って変わって静かな帰路で、そんなことを考えていた。酩酊した僕の意識じゃ、ここまでの全てはフィクションでした〜とネタバラシを食らっても納得してしまうだろう。

 それでも、フィクションでも、構わない。骨伝導イヤホンからは白春夢が流れていた。風もなく蒸暑い初夏だった。

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