青海三丁目 地先の肖像「着陸」
2019.09.17 | 森藤
人もまばらな都営バスに揺られ、トンネルをくぐる。そこはまだ見ぬ姿の土地があった。
暑い、夏の日だった。
その日は豊洲の影のない野外でジリジリと日に焼かれながら現場でコンクリートを荒々しく削り、形成を見守っていた。午前中に大方の形状が仕上がり、表面の仕上げをする前に、乾燥待ちのその合間を縫ってかの地に赴くことにした。そう、「青海三丁目地先」である。
「青海三丁目地先」は東京の埋立地であり、名前はまだないため地先、とされている。※
東京に30年近く住む私にとって、東京における全くの未知の土地があることに気づいた時は、ドキッとした。
ここに降り立ってみたい。そのチャンスがついに訪れた日であった。
これから記すのは、「青海三丁目地先」の変わりゆく姿を「肖像画」として捉えた文字と写真によるドローイングであり、ともに「肖像画」を捉えることにした葛沁芸との交信でもあり、被写体である「青海三丁目地先」の被写体深度を探る試みでもあるはずだ。
(※2019.09.17時点 この地に名称はありませんでした。)
駅に降り立つ。
カラッと暑い地面に放り出された私は、どちらに向かおうか左右を見渡す。周囲にはいくつかの施設が建っているが、ほとんど人もおらず、何を載せているかはわからない大きなトラックが時折通っていった。
携帯の航空地図を見ると、私が今いるのは、全体の北側に当たる中央防波堤内側、と呼ばれる部分であった。その東の部分には「海の森公園」と書かれたピンがあり、広大な森が広がっているようだった。廃棄物で出来た島が緑に覆われていく様子は治りきっていない瘡蓋のようだな、と思った。とにもかくにも、今日の目的地はここだ、と感じそこを目指して歩いてみることにした。
まず北側へ足を進めると、大きく積み上がったプラスチックの塊が見える。ぎゅうぎゅうと押しつぶされたペットボトルだっただろうものは縛り上げられて空へ向かって伸び上がっていた。
海側を見やると、タンカー船だろうか、貨物船だろうか、留まっている姿が見える。
街路樹が荒ぶって広がる、舗装された道を東へ向かう。
その道沿いには、なぜか結構に痛んだプロパガンダの車が縦列駐車されていて、助手席にマネキンが座っていたり、ボロボロのシートにさらにくたびれた布がかけてあったり、車体には主義主張の文言がデカデカと記されていたりした。しかし、運転手はどの車にもおらず、もぬけの殻でひっそりと鎮座している様は、憚って写真は撮らなかったのだが、これもなかなか強烈な風景ではあった。
その道筋を10分も歩いただろうか、そうするともう、まばらにあった建造物による日陰はない土地となった。前方には掘削土を盛り直しているのか(あるいは崩しているのか)土壌があらわになった丘陵地が見えてくる。仮置きのガードレールといたるところにA型バリケードでかろうじて現場の人が通るであろう道が作られていた。
先ほどから何台かのトラクターが熱い排気を吹き出しながら、私を追い越していくのみである。
歩道はもはや歩道の体をなしていなかったが、時折曲がり角に立っている交通整備の人に「海の森公園へ行きたいのですが」と声をかけると、それぞれが「聞いたことないな」「そこの向こうかな」などと方向を示してくれた。
そして、歩道がなくなった。幅が6mはあるのではないかと思うような、ただ、轢かれたのみのアスファルトが、まっすぐに続いた道に出た。両側は草が好き放題に生えてアスファルトとの境目を越境しているし、たまにある三角コーンも風化して崩れ、もはや用をなしておらず、ごみそのものだ。薬の殻、アルコール飲料のアルミ缶、くしゃくしゃのコンビニ袋、よくわからないキャップ、不思議なものがポツポツと落ちている。このものたちはどうやってここにやって来たのだろう。
そんな中でも目を奪われたのが、つと囲まれた区画に突如現れた、堆積した鉄くずの山と真っ黄色な重機のコントラストであった。強い日差しと、生き物がへたりそうな熱の中で、静かに、動かず、それはあった。
はす向かいには蛍光灯がひたすら詰め込まれたような袋も積み上がっていた。中が見えない袋から脱出する群かのように、割れた片鱗がニョキっと突き出ている。
これらはモノとして再生されることはあるのだろうか。一時的にここに置かれているのか、それとも、暗くて深い東京湾に層となって沈められるのだろうか。
直進し続けて息も荒くなった頃、左手には、近くに海が垣間見え始めた。青白んだその向こうには、観覧車、フジテレビの建物、知っているお台場の風景が街の姿をして佇んでいたのである。
この景色を見たとき、今自分が立っている場所との差に気の抜ける思いがした。この地先と呼ばれる土地は、ずっと、ただ、ここに、あったという事実が強烈に浮き上がってきたのだった。
背筋に伝った感情を飲み込むように、生ぬるくなったペットボトルの水を喉に流し込む。うだる暑さと脱力で、よっぽどここで引き返そうか、と思ったが、航空地図で指し示された緑を見なくては、との思いにかられ、前へと歩を進めることにした。
直線道路はカーブで視界が一度遮られ、その先には囲われた区画があり、門番のような日に焼けた男性がいた。「海の森公園はどちらからいけますか?」尋ねると、「あっちを上がったらいいんじゃないかな」と通り過ぎてしまった枝分かれした坂道の方向を指差した。「何にもないよ」とも付け足されたけれど。この土地で働く人々はみな、異邦者の私を訝しがる様子は見せずに接してくれたこともまた、一つの驚きでもあった。
坂を登る。ゆるい勾配が続き、両脇は徐々に背の高い木々が増えていった。自然では生えてきそうにないオリーブのような樹木、実をつけた樹木、そのようなものの間を、野生の草たちがまばらに主張している。時折吹く風が、心持ち温度が下がり、湿ったこめかみを撫でた。
大きなUピンカーブを登りきると、ふいにひらけた原っぱに出た。淡い緑のよく伸びた芝と、その向こうに見える樹木と。ぐるりと見渡しても、全部そのような風景だ。ここからはお台場も見えなければ、各所に積み上がった廃棄物も見えなかった。ぽっかりと違う空間に迷い込んでしまったようで、面食らった。
風が吹く。芝の表面はさらさらと動くが、遠くに見える風力発電の風切りは動かないままだ。太陽はずっと真上にあり、だぁれもいない広大な広場。
私はそこを静かに横断し、脇道の木陰を見つけ、そっと腰を下ろした。そして荷物を下ろし、中で転がり続けていたみかんをゆっくり剥いた。温くなったみかんを一房ずつ飲み込みながら、私はそのまま横たわり左耳を地面につけた。芝はしっとりとしていて、肌にチクチク刺さる。目を瞑っても空は眩しいほど明るい。木々がざわめくのが聞こえる。遠くの風車は動かない。鳥の声は聞こえなかった。
こんな整えられた地表の下には何が埋まっているのだろう。私も生きながらこの大地の一端を作ったのだろうか。
本当は、この体験は自分だけのものにしておきたかった。けれども、これからこの土地の変化を見つめていくときに、やはり、この最初の一人で訪れた時の気持ちなしには語れないかもしれない。そう思って、記しておく。
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※ 記述は2019年秋時点のものであり、現在は関係者以外通行止めの箇所などがあります。
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