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青海三丁目 地先の肖像「2020年、春」

2020.03.24 | 葛

私たちは「自粛期間」の真っ只中にあった。

東京に閉じ込められ、五輪とそれにまつわる様々な変動に揺さぶられていた。プロジェクトを揺り起こすために、とにかく青海三丁目地先に行こうと考えた。私にとっては初めての、森藤にとっては2度目の探訪。刻一刻と変貌する場所なので、定期的に行く必要があるとも、感じていた。

大井町から湾岸地区へと向かうバスには、フジテレビに出勤する人々が多く乗っていた。私は森藤と合流し、バスをさらに乗り継いで、中央防波堤へと向かう。

春にしては強い陽射しの中、目的地が見えてくる。

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警備員など、働く人の姿はちらほらと見えるが、会話しているのは私と森藤の2人くらいで、ほとんど無人の荒野のような雰囲気だった。人間の姿が少なかった。そのかわり荒野には、コンテナや車両が満ちていた。

中央防波堤内側の東に向かった。

いくつかの集積所の光景が見えてくる。ペットボトルのかたまり。屑鉄の山。鉄はまだ真新しい部分がきらめいていて、美しかった。コンテナを壁のようにして溜め込まれたこれらの鉄屑から、この場所で長い時間をかけて、慣習化された行為を感じる。

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歩行者を全く想定していない道路をゆく。フェンスや立て看板、車両誘導係の存在によって、何となく監視されているかのような気持ちになる。

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どこまで歩いて行って良いのか、どこからが立ち入り禁止なのか。人目を気にしながら、とても曖昧な状態の、道路自体も未だ作っている途中のものの上を歩いていく。

昔、内モンゴルにツアーで行った際、舗装されていない作りかけの道路を走るときに、乗客全員が一度バスから降ろされたことを思い出した。道路が完成していようがいまいが、使える部分は今のまま使うのが、辺境や開拓地の普通なのかもしれない。

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この土手の先に、森藤が辿り着いた森があるが、その日は入ることができなかった。雑草の中には、河川敷のような感じで、ゴミが散乱していた。潰れた三角コーン、コンビニ弁当の包装、ペットボトル、アルミ缶・・・。

この土地で働く人々の中で生まれたゴミも、こうそっけなく堆積しているのが、何だか不思議だ。そして、これらのポイ捨てされたゴミの量も尋常ではなく、この地での労働の歴史すら感じさせる。

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東の果てに、ケーソンという、埋め立てのために必要な部材を作っている地区があった。クレーンが動いているためが、注意喚起のためのメロディが延々と流れている。単音の頭にこびりつきそうなメロディである。毎日聞くのは辛そうだなあ・・・と思いながら、引き返す。

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環境局の建物にて小休し、上階に上ってみる。絶景が見えた。開通したばかりの東京ゲートブリッジ、風力発電機、なども見える。

まだ立ち入ることの難しい、中央防波堤の外側の光景を、特に念入りに撮影した。我々が向こう岸に自由に足を踏み入れることができるようになるには、あとどれくらいの時間が必要なのだろうか。

徒歩での探索に戻る。中央防波堤内側、南岸の道路を東に行く。あちこちで歩道の工事がなされている。本来であれば、五輪のために春までに完成させる予定だったのだろう。働く人々の士気の低下をどことなく読み取る。この地では全くと言っていいほど女性の姿を見かけないが、(なので不審がられているようにも感じるが、)唯一歩道の工事人員のうちに、女性を見つけることができた。

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海の森大橋はまだ工事中で、開通していない。振り向くと、大屋根と桜並木とに挟まれた大通りが見えた。朱色の柱に祝祭性を感じて、大阪万博のお祭り広場の大屋根を何故だか思い出した。

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五輪の競技場は一部完成していた。このまま来年まで放置されるのだろうか。本当に五輪は開催されるのだろうか。空振りの期待があちこちに、散りばめられている。

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引き返して、中央防波堤外側までの橋を渡って、歩道があって入り込めるギリギリまで、行ってみた。ものすごい量のコンテナトラックが、内側と外側を繋ぐ橋を行き交っている。コンテナが高く積まれているのが垣間見えるこの場所まで、が、今日の限界だった。

次にまたこの場所に行けるのはいつになるだろうか。人目を気にせず、この場所を自由に歩き回れる日がくるのはいつになるだろうか。そんな思いをかみしめながら、この大地の風景を心に刻んだ。

これから、私たちはこの大地を、バーチャルとリアルの両方を通じて、歩き回り続けるのであろう。私たちの旅はまだはじまったばかりなのだろうな、と思った。

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