やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

『みだれ髪』与謝野晶子 新潮文庫

ごちそうさまでした!!!ある適度刺激的な表現に耐性がついている社会の中で生きている人間が読んでも、その生々しさに思わず赤面してしまいそうになる。しかし、それこそ等身大、リアルな表現で、リアルだからこそ、直視するのが恥ずかしいのだと感じた。この本が最初に発行された時、晶子は私とほとんど同い年の、22歳だったらしい。ひぇー。つまり私よりも年下の時に生み出した作品も多くあるはず。

ー「友のあしのつめたかりきと旅の朝若きわが師に心なくいひぬ」

自分の書いた曲の歌詞の中に、「素足に刺さる土の冷たさがとても心地よくて」というフレーズがある。同じ「冷たさ」を「足」で感じることなのにも関わらず、全く異なった膨らみができるのだなぁと驚いた。そして、言葉で直接細かく説明するよりも、限られた文字数の中で、説明的な言葉を使わずとも、感覚を共有することが、こんなにもリアルな説明としての機能を果たしているということが非常に面白かった。

ー「むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子」

解説によると晶子は「恋心」「罪」という言葉を、「恋心」とほとんど同じ意味で使用していたらしい。「罪」という言葉に対しては、私は個人的に非常に強い思い入れがある言葉。癖にずっどーん。

端々に出てくる版画?の挿絵もとてもおしゃれで可愛かった。

だれかのため、ではなく、自分がどう感じているのか、何が嫌なのか、何を欲しているのか。自分と向き合わなくては、と努力することももちろん必要だが、とにかく背伸びはしないで、等身大で今を生きて言葉を生み出すことが、生命力の源になるのだろうと思った。

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