見出し画像

安倍訃報ニュース外信

英メディア「安倍氏銃撃で日本は永遠に変わる」
「信じられない」各社が事件を大きく伝えた

»東洋経済 小林 恭子 : ジャーナリスト 2022/07/09 9:00
安倍晋三元首相が演説中に銃で撃たれた7月8日午後11時半過ぎは、イギリスでは午前3時半頃に当たる。攻撃から3時間弱の午前6時少し前、イギリスのBBCはニュースサイト上に常時情報をアップデートしていくコーナーを設置した。

長期政権を維持した安倍氏は大物政治家として国際社会でも名を知られている。BBCの特設コーナーは演説中の銃撃という衝撃的な事件を刻々と伝えていった。

高級紙タイムズや経済紙フィナンシャル・タイムズ(FT)のウェブサイトは現場からの写真を使い、トップの位置に銃撃報道を置いた。FTは当初、撃たれて路上に横たわる安倍氏の顔が見える画像を使っていたが、ある読者が記事の下のコメント欄に「顔が見えるような画像を使う意味はない。外すべき」と書くと、まもなくして別の画像に差し替えられた。

BBCやガーディアン紙はウェブサイトのトップがイギリスの政界の話で、2番手の位置で銃撃事件を扱った。

なぜ日本で銃殺事件が起きるのかに注目
FTやタイムズのコメント欄を見ていると、「なんて悲しいニュースだ」「銃を使ったこんな事件が発生するとは信じられない」などのコメントが多い。少しでも日本を知っている人は日本が治安上安全な国であることが頭にインプットされているので、「信じられない」という思いを抱くのだろう。

この点について分析コラムを書いたのが、BBCのルパート・ウイングフィールド=ヘインズ東京特派員だ。「安倍晋三ーー日本を永遠に変えてしまうかもしれない、衝撃的な死」と題する記事の中で、「こんなことが日本で起きるなんて、一体どういうことか」という疑問を自分自身が抱いたという。

「日本では暴力的な犯罪が発生する可能性はあまり想定されていない」。というのも、銃の所持が「極めて難しい」からだ。所持するには犯罪歴がないこと、研修を受けていることなど数々の条件が付き、障壁が高い。結果として「銃を使った犯罪がほとんどない」。銃を使った犯罪による死は「年間10件もない」。

特派員の関心は犯罪の動機に向かう。「かつては日本でも政治家の暗殺事件があった」。1960年、日本社会党の浅沼稲次郎委員長が日比谷公会堂での演説中に右翼団体の団体員に刺されて即死した事件があった。「しかし、安倍氏は右派系国家主義の政治家であったから、右翼思想の青年の攻撃対象にはならないだろう」。

近年、日本で目立つのが「静かで、孤独の男性が誰かあるいは何かに憤りを感じて、殺傷事件を起こす例だ」。2019年の京都アニメーション放火殺人事件は「自分の作品を盗んだ」と主張する男性が犯行者で、2008年の秋葉原通り魔事件では、「誰も友達がいない」「自分は無視されている」と感じた男性が引き起こした、と指摘する。

実行犯の動機は何にしろ、安全であるがために警備が緩かった日本は変わらざるを得ないだろう、と特派員は予測する。

日本では選挙戦で政治家が通りに立って演説を行い、通行人と握手する。今回の事件でも、攻撃者は政治家の近くに位置し、自家製の武器を使うことができた。「今日の事件で、警備体制は変わらざるを得なくなるに違いない」。

イギリスでも議員は被害にあってきた
20世紀以降、イギリスの政治家で殺害された例を振り返ってみると、1990年代まではイギリス領北アイルランドでイギリスからの独立を求めて武力闘争を行った「アイルランド共和軍(IRA)」やその分派によるテロ事件があった。1979年、1984年、1990年に発生し、いずれも保守党議員が殺害された。宿泊先のホテルや車に仕掛けられた爆弾が命を奪った。

2000年代になると、特定の場所での殺傷・殺害事件が発生してくる。下院議員が地元選挙区の有権者と直接顔を合わせ、生活の悩み事などを聞く「サージェリー」と呼ばれる対話会合の場所やその近辺だ。

2000年、リベラル系野党・自由民主党のニック・ジョーンズ議員が南西部グロスタシャーの事務所で対話会を開いていると、男性が刀を手にして入ってきて、議員に傷を負わせようとした。議員は手と腕への負傷で終わったが、かばおうとした事務所職員の男性が刺し傷を負って死亡した。男は傷害罪で刑務所に入るところをジョーンズ議員が救ったことがあったが、精神を病んでいたという。

2010年、労働党議員スティーブン・ティムス氏がロンドン東部の選挙区内の対話会の外で一人の女性が議員に握手をしようと近寄り、議員の腹部を台所で使うナイフで2度刺した。議員は重傷を負ったが、命は取り留めた。女性はイスラム過激主義に心酔し、イラク戦争(2003年)開戦を支持した議員に対し、抗議の殺生を試みた。

人々の記憶にまだ強く残っているのが、2016年6月の労働党議員ジョー・コックス氏の殺害だ。この時、欧州連合(EU)からの離脱の是非について、数日後に国民投票が行われることになっており、離脱か残留かで国民の意見は二手に分かれていた。

コックス議員はEU残留派だった。イングランド北部バーストルの地元選挙区で対話会に向かう途中、極右主義に傾倒する離脱支持の男性に銃撃され、死亡した。

2016年6月、殺害されたジョー・コックス議員を追悼する写真と花束などがロンドン・パーラメント広場に置かれていた(筆者撮影)
そして昨年10月、今度は保守党議員デービッド・エイメス氏が犠牲になった。イングランド地方南部エセックスの地元選挙区で行われる対話会の場所に入っていくと、中にいたイスラム過激主義を信奉する男性に複数回刺され、死亡した。

政治家の警備はどうなっているのか
イギリスでは、選挙戦になると、候補者は選挙地区を訪れ、路上で有権者と会話をするのが通例だが、事務所の職員や秘書、警備担当者などの数人に囲まれている。地元選挙事務所で対話会を行う際にもスタッフが一緒にいるが、議員は警備担当者を連れてきたがらない。有権者が相談事をする際に警備担当者がいては「邪魔になる」と考えるからだ。

対話会に参加する際には特に警備チェックは行われてこなかった。ふらっと訪れて、自分たちを代表する議員と直接会話ができる貴重な機会である。有権者と顔を合わせ、率直な会話をする対話会こそが「民主主義の基本を成す」と議員たちは考えている。

しかし、2016年のコックス議員の銃撃死は政界に大きな衝撃を与えた。「民主主義は維持したい、対話会参加の垣根はできうる限り低くしておきたい」という思いと、「でも、怖い・殺されたら困る」という気持ちとの兼ね合いを考えざるを得ない。

コックス議員、そしてエイメス議員の殺害事件以降、議員の身辺警護は強化されることになった。政府は選挙事務所や自宅に警報や監視カメラを設置する、対話会では参加を予約制にするなどを推奨している。

600余人の下院議員が身辺警護に使う経費は、かつては微々たるものだったが、2019年度では330万ポンド(約5億円)まで急激に増えた。それでも、残念ながらエイメス議員の命は守れなかった。

首相が記者会見をするときはどうなのか
イギリスのボリス・ジョンソン首相は7日、首相官邸前で与党保守党の党首を辞任する意向を表明した。

イギリスでは、首相が辞任表明をするとき、必ず踏襲される流れがある。まず官邸の中に入るドアの前に演台を置き、これと向かい合うように報道陣を並ばせる。あらかじめ決められた時間になると、ドアを開けて中から出てくる首相が演台まで数歩歩く。そこで辞任表明の演説をするのである。

官邸の建物のドア前には、許可がない限り、一般市民が行くことができないようになっている。官邸に向かう道路には門があり、つねに数人の警官が陣取っている。門の外には市民が立ち並ぶことができるので、ジョンソン氏の辞任表明のときにはたくさんの人がスマートフォンを片手に集まっていた。

警備担当者が何人いても、監視カメラがあっても、一定の時間に首相が特定の位置に立つことがあらかじめわかっているので、安全保障の面からは決して100%安心な状態ではない。しかし、首相の生の演説の声やその姿の一部でも見える場所に一般市民が立てるようにしておくことで、政治が(少なくともある程度は)国民に開かれていることを示すことができる。

政治の場をいかに国民に開かれた状態にしながら、政治家の命も同時に守るのか。イギリスでも永遠の課題となっている。

小林 恭子さんの最新公開記事をメールで受け取る(著者フォロー)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?