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論外テレビ、がつまらないという論

昨日朝、中山俊宏・慶応大学教授の訃報記事を発表して、このnoteサイト以外でも反響があった。個人的にも哀悼の意を捧げたい。

中山氏の扱う分野からして、さほど記事は読まれないだろうと予測していたが、氏のパフォーマンスからして、人気のほどが伺えた。

「国際政治学が専門で米国研究者として知られる慶応大教授の中山俊宏さんが5月1日、くも膜下出血のため死去した。55歳だった。告別式は近親者で行った。青山学院大で国際政治学者の故永井陽之助氏に師事し、博士号(国際政治学)取得。」 記事引用

その経歴からして、海外の激変情報を的確に分析する様は「テレビ」でも価値があったのだろう。

というのも、平日夜放送の報道番組は欠かさず見ており、そこにレギュラーのコメンテーターとして中山俊宏氏の舌論は的確だった。

そこで目にした「なぜ日本のテレビはつまらなくなったのか」であり、なぜならテレビは「現在にすぎない」のだ、だった。

それとコレを比較しているのではなく、たまたま時系列で、つながったまでであり、とくにアレっといった意味はない。

もしかすると「戦争」ニュース飽和感も手伝って、そろそろ異なるネタ探し、だったかもしれない。

そもそも、そうした二次元空間(テレビ、動画、画像被写体など)に表出しているバーチャル媒体など、真実(偽という意味ではない)がどこまで反映しているのか、という「なんとなく抱く疑問」に対して明確的確な定義とか、出てないとおもう。

大体が動画(トーキー)の原資は、国民国威発揚の映画プロパガンダの延長として今の娯楽映画とかテレビに発展したと推察できるからである。

テレビがつまらない、というならネットSNSが若者ミレニアム世代に絶大な人気なのかといったら、案外そうでもないらしい。

よくいうスマホをやめて見た~、パソコンを売ってしまった、都会は棲みにくいので地方里山の古民家暮らしで耕作してみたい等々、うそかほんとかしらないが、そんなフレーズがネットに頻繁に載る。
そんな観点からしたら、やはりこちらも「なぜ日本のスマホはつまらなくなったのか」と換言しても違和感はなく、とどのつまり、何をしても「つまらない」症候群ではないのか、という日本独自のガラパゴス論で括られる。

でいま何してる?、のツイッターではないが、他人が何をしているのか気なるのでスマホ画面を頻繁にスクロールする。多分、何十回、それをやっても、あなた好みの絵と話は、でて来ない。だから「テレビ・スマホは゛現在にすぎない゛に代弁されて、そこにいる現在の自分が置かれているスタンス状況が怪しくて心もとないと感じる。

仮に個人が、誰もいない空間〈都会以外の閑散とした場〉に二日も三日も閉塞され、交信器機も持たず下界と遮断されていた場合の存在を明らかにすることは非常に困難だ。それを防いでいるのが社会性で、近所のお隣さんの「見えざる目」で守られている。
だから三日も音信不通だと、会社の同僚とかポスト配達員が不審におもい当局に通報する。

社会にとって、テレビ(ネットも)は必須アイテムか。それがないと生きられなか?


その「つまらないデレビ」に限って、いろいろ議論してみよう。いや、私がその道の玄人だとか、昔そこで仕事をしていたとか、そんな経験値はまったくない。

東日本大震災時に、テレビでは「広告」を自粛した期間があった。

■〈2011年3月~4月〉東日本大震災特集)2013年1月1日 広告業界は日本広告業協会が経済産業省から節電への協力依頼を受けたほか、日本アドバタイザーズ協会が会員269社に屋外広告やネオンの消灯に協力を求めた。CM出稿は広告主の自粛により、在京のラジオ・テレビ局ではACジャパンの公共広告を自粛した(2011年3月21日付掲載)。

文化通信社


その時に流れた「詩人・金子みすゞが晩年にしるした、こだまでしょうか(こだまでせうか)」詩。

その「金子みすゞ」は当時、一躍スターとして注目されたが、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した 詩人、であったことが後に判った。

その当時としては効果的な広告代替案として、珍しく世の批判を浴びることはなかった。
そしてそれから11年後に不幸にも同じような災禍が東ヨーロッパで起きた。
その日本に直接被害は無いものの、砲弾によって大量の人間殺害ニュースが流されるなか、その一方で「さわやか笑顔」広告が同時配信される。やはりそれは本来「広告」の趣旨を逸脱している。

おもしろくない「テレビ」は今後も存続するだろう。
その理由1、居間の室内で誰もいない独居は耐え難く、なにか動くもの(ペット以外)がないと不安になる。まして会話の尽きた老夫婦にとって、それはなくてはならない存在なのだ。

その理由2、一時も途切れることのない電場放送は、予めチャンネルセットしておけば、あとは勝手に進行する(スマホ、パソコンはその反対)。

そんな大胆な予測で判るのは中身云々ではなく、そこにある社会性を感じ取って、あたかも参加しているという錯覚疑似体験効果があることだ。また別の見方では、欲しいものは録画しておけば、時間に左右されるという制約から外れる。

その面白くないテレビを若いモンは、スマホで観るかといったら、テレビ視聴率データ配信システムがないので、(検索すればあると思う)なんともいえない。

それより、アナログ漫画本とか、それを原作とした映画が流行っているというのは、旧来の配信媒体(新聞、ハードカバー本)が閉塞しているという時代の空気感だとか、「それ古いよね」という見下げた意識感覚を、現場スタッフが自虐してしまっているからだと思う。

その答えは、若年層(9~14歳)がいま感心を持っているモノは初期「漫画」スタイルであり、その脇にスマホがあって、そこに表示されている社会を、目ざとく感じ取っているという私なりの視点だ。


2022年05月11日記事

テレビを真面目に論じるテレビ

「水曜日のダウンタウン」をみて涙がでた…
バラエティー番組を放送休止に追い込む「過剰コンプラ」を憂う

プレジデントオンライン / 2022年5月10日 17時15分
なぜ若者のテレビ離れが進んでいるのか。
元テレビ朝日プロデューサーの鎮目博道さんは「テレビ業界全体がコンプライアンスを意識しすぎるようになり、番組作りが萎縮している。BPOの番組審議のあり方を考え直さなければ、もうテレビから面白いバラエティー番組が出てくることはないだろう」という――。
■コンプライアンスを逆手に取った「水曜日のダウンタウン」の好企画
4月27日放送のバラエティー番組「水曜日のダウンタウン」(TBS系)を見て思わず涙が出た。
その日の企画は「若手芸人、コンプライアンスでがんじがらめにされても従わざるを得ない説」の検証。「罰ゲーム」「下ネタ」「コロナ対策」「反社+α」という4つのテーマに応じて、不条理な自主規制について若手芸人の反応を試した。
冒頭抜粋


トップ写真=iStock.com/Tero Vesalainen


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