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駅ピアノ騒音に神経をすり減らす日本社会

連休中番に相応しい二ュースを拾ってみました。テレビ(NHKノミ)でよく見る駅のアップライトピアノ演奏の件、ですが、ここ数年のヒット番組として好奇心的にみていました。
音楽ですから、いいもわるいもなく、好みで聴くものですから、それがたまさか「騒音」とはまったく認識しないですよね。

まあ、テレビですから、ボリュームを下げればいいだけの話で、それで済むことですが、その煩いという人は、ピアノのそばにいって、あんたのピアノが煩いのでやめくれない、と名指しで、それを云いたいのでしょうかね。

それは極端な例ですが、こと、音に関しては千差万別でして、プロアマ問わず、旨い下手を抜きにして好みがあって、それがスキだったら高額チケットを払って、聴きますよね。

今年も「クラプトン」ライブ(武道館?)がありましたが、相変わらず人気が高くて、チケットも完売のようでした。

私はジャズは聴きますが演奏はできません。やるのは「雅楽」演奏で日本国内でも特殊なジャンルなので、いっも聴く音楽ではないです。稽古にしても場は限られていて、殆ど神社内で夜集まって稽古するのが普通です。雅楽ですから、電気増幅装置はなく、人間の力量によってボリュームも変化します。
楽器によっては、音程調整の難しい楽器で「ヒチリキ」がありますが、これも人によって大きい小さい、が異なります。それと主に音程ピッチが大切で、チューナーで調整しながらやらないと、全体の合奏を壊してしまう場合もあります。
その聴き方によっては、旨い下手、が別れますが、それと相手の「性格」がそこに加味されると、「こいつは下手だ」という偏見に変わります。いつだったか演奏仲間の相手に、直接「あんたのは下手だ」、と直接云われたこともあって、憤慨したこともありますが、音楽の場合、それはよくある話で、プロバンドでも、そんな「性格の不一致」で解散することも、珍しくありません。

ですから、その喩えそれが、人畜無害駅ピアノ、であっても、その臨場感を見ただけで憎悪感を抱く、と云うのはその「相手の下手度合い」ではなく、そのパフォーマンスに対して嫌悪している、と云うことなんでしょう。

先日も日本の音楽について書きましたが、その「ピアノ」についていえば、白黒鍵盤を叩くだけで音が出る、という楽器は、その筐体箱物体が持つ独特の雰囲気があって、なおかつ高額であり、それを弾くには、一般レベルでは無理、という先入観も働いて、もっと大袈裟にいうと、ギリシア西洋文明を背負った楽器、という固定観念が働くという、厄介な楽器ということもできるでしょう。
ましてそこから出る音が西洋式周波数442Hzとなれば、古来東洋音楽に馴れ親しんだ人にとっては偏見的な視点になってしまうのは、必然なんでしよう。
まあ、そこまで深堀りしなくていい駅ピアノですが、やはりというか、当局(加古川市担当者)にしてみれば、「苦肉の策撤去」だったのでしょう。

記事を読んでみればそれがたまたま「ピアノ」であって、話を変えれば対象が「ゴミ集積場」や、「葬儀社予定地」とか「原発建設認可」だったり、するわけでして、その既得利害関係は無限大に拡散するでしょう。

その基本が「民主主義」ということになれば、最近ようやく解除された
コロナ災禍の対策マスクは、しなくていい、ということになったのですが、場所によっては持続する、という限定があって、その人の行動を見ていると、95%人口以上が、それを堅持しているようです。
そうした曖昧さが、この日本に残存していて、よそから来た外人にとっては判断がむずかしいのでしょう。

では、その対抗策ですが、「市民の文句に疲れてしまった」のではなく、その「ピアノステージ」をアクリル透明板ボックスにして、音量はマイクを通して調整する、時間は予約制にしてノートに書き込む、リクエストなど聴衆とのコンタクトはしない、などです。

ま、その費用の資金源は、寄付者を募って公募すれば、必ずいるはずです。(だからダメ一辺倒ではなくできることをやるという建設的意見で) 
また「駅自体は公共の場」といういってみれば「民主主義」のスタイルそのものですから、文言制約の枠を全員が云ったのでは成立しません。

次の話題は「木綿のハンカチーフ」記事ですが、この歌、日本人でも知らない世代が、増えていることでしょう。そんなことを考えると、やらせPRに取れないこともないのですが、仮に「イザベラ・ディオニシオ1980年イタリア生まれ」が、「ヒデとロザンナ」を知っていたなら話は別でしよう。


■このところ「角栄」オンリーでしたから、たまには世間話題を拾って、うんちくを傾けるのもいかなと、これにしました。
としても相手は一般社会の巷間ばなし、云ってみれば井戸端議題ですから、そりゃ、地域住民の「苦情」の一つも出るでしょう。そうして「憂さ晴らし」して、気分が好転するなら、それはそれで効果はあるし、その「ピアノアクリルサイレントルーム」が出来ればもっといい。
そんな日本であってほしいです。


“駅ピアノ”は騒音なのか マナー違反が相次ぎ、苦情殺到 設置からわずか半年で撤去の自治体も
TBS NEWS DIGピアノの音色で始まる交流を守るには?
【news23】2023年4月28日 10時45分

 最近、駅や街角などで見かけることが増えた「ストリートピアノ」。思わず足を止めて、聞き入る人の姿もあり、新たな交流が生まれると期待されていますが、設置からわずか半年で撤去されることになった「ピアノ」もありました。
【写真を見る】“駅ピアノ”は騒音なのか マナー違反が相次ぎ、苦情殺到 設置からわずか半年で撤去の自治体も… ピアノの音色で始まる交流を守るには?【news23】

TBS

誰でも弾ける“駅ピアノ” 人と人のつながりも

今月27日、ピアノが置いてある駅に行ってみると、リズムを取ったり手を叩いたり、笑顔を見せる子供の姿もありました。

喜入友浩アナウンサー

「埼玉県の川越駅です。美しい音色が聞こえてきました。駅にはピアノが置いてあり、誰でも弾くことができます。いま女性が演奏していますが、皆さん足を止めて聞き入っています」

演奏を終えるとこんな一幕も。

女性「私は(ピアノを)弾けないの」

 楽譜を渡し、曲をリクエスト。ピアノが人と人を繋いでいます。いつの頃からか、街中で聞こえるようになったピアノの音色。「駅ピアノ」「ストリートピアノ」と呼ばれ、誰でも思い思いの旋律を奏でることができます。

“駅ピアノ”撤去へルール守らない利用者も

兵庫県のJR加古川駅にもピアノが置いてあります。ただ、こんな張り紙が…

『駅ピアノの利用を休止・撤去します』

“音楽に親しむまちづくり”を進める加古川市が去年11月に設置したピアノですが、4月30日で休止し、撤去するというのです。なぜなのでしょうか?

加古川市担当者

「一度に10分というルールを設けているのですが、ときには3時間以上演奏される場合であったりとか…」

JR加古川駅に設置されているピアノは、

♪演奏は午前7時~午後9時まで

♪1回10分まで

♪歌唱や他の楽器の演奏は禁止

などのルールを設けていましたが、守らない利用者もいたため、苦情が相次いだそうです。

加古川市担当者

「朝から大音量のピアノを何とかしてほしい、とても大きな音量で長時間弾いている人がいる、というような意見が寄せられております」

加古川市民は…

「待ってる時間に、癒やされてたりしてたので、(撤去の)ニュース聞いてちょっと残念だなっていう」

「マナーが悪いせいでなくなるというのは、悲しいなとは思いますね」

駅ピアノは“騒音”なのか あなたにとっては?

他のピアノはどうなのでしょうか?

兵庫・西宮市の商業施設に設置されている、ストリートピアノへの掲示板には、こんな意見が…

「先日は『阪急電車の発車音』を弾く人がいて、買い物していて落ち着きませんでした。」

「ストリートピアノ?!ここは屋内です。ずっと“騒音”を聞かされながらの買い物、とても“不愉快”です」

ピアノは騒音なのでしょうか?先ほどのJR川越駅で意見を聞いてみると…

「私は騒音だとか、全然思わないんですけど、そういうふうに思う方もいるんだな、と」

Q:うるさいなとか、なかったらいいのにみたいな思ったことはないですか。

「全然。逆に音楽が好きなので、とても疲れたときとか、元気をもらえて、すごくいいと思います」

ここでは、塾通いの途中に演奏していく小学6年生や、“なんとか見える”程度の鍵盤で演奏をする、目に障害のある男性など、いろんな人が演奏していきます。

駅ピアノを演奏をした男性

「こういう場所で弾くのはすごく楽しいです。音楽を通して、いろんな知らない方と輪を広げるってのは、すごく楽しいです。」

小江戸川越 夢ピアノ 檜山乃武代表

「お互い共存していきたいなと思っている。駅自体は公共の場だし、通勤客など、いろんな人が快適に過ごす場所だと思う。こちらだけの言い分じゃなく、そうではない方のことも考える。これはお互いの思いやりだと思う。“人と人の繋がり”は絶対大事だと思うんですよ。『音楽っていいな』とか『楽しいな』と思ってもらえるように、頑張っていきたいと思ってます」

「偶然の出会い」に繋がる貴重な場 どう守る?

小川彩佳キャスター:残念ですね、本当に。最近「偶然の出会いだった日常の中の遊びの部分」がどんどんなくなっていってるような気がします。“時短”とか“効率”が重視される時代ですし、行きたいところを調べたら、すぐに最短の行き方が出てくる。出会いも「マッチングアプリで効率よく」と。

こうした場所というのは「偶然の出会い」に繋がる可能性がある、貴重なところだと思うんですよね。

山本恵里伽キャスター:VTRをみてみても、子供からお年寄りまで、みんなが手拍子したり、リクエストしたり、そんな場所は中々ないじゃないですか。これ以上減って欲しくないな、というふうに思います。

小川キャスター:何とか守っていく方法は、ないんでしょうか。
TBS NEWS DIG




木綿のハンカチーフ誰の歌? 

と、ピアノがウルサイ日本国


イタリア出身の翻訳家、イザベラ・ディオニシオが語る「木綿のハンカチーフ」に魅せられた理由

2023/5/3(水) 11:00配信 デイリー新潮
短編小説のような名曲 イザベラ・ディオニシオ
 イタリア出身の翻訳家で、『女を書けない文豪たち イタリア人が偏愛する日本近現代文学』などの著書で知られる、イザベラ・ディオニシオさん。彼女が心引かれる一曲というのが、日本歌謡界の名曲「木綿のハンカチーフ」だ。ヒット当時、生まれてすらいなかった彼女はどうしてこの音楽に魅せられたのか? 
 この話をすると好みが渋いと言われてしまうけれど、「木綿のハンカチーフ」という曲が大好きだ。
 ヒットしたときに日本にいなかったばかりか、まだ生まれてもいなかったので、もちろんそれをリアルタイムで聴いているわけではない。昔友達がくれた椎名林檎のCDに入っていたカバー曲がお気に入りで、1975年のオリジナルはずっと後になって知った。普段聴く音楽のジャンルと全然違うのに、CDをかけた瞬間から、何かの因果のように、歌詞が不思議と私の耳の底に残った……。
 明るくて軽快な音楽とは裏腹に、歌は悲しい結末へと一直線に進む。過去にへばりついて否定し続ける女と大都会に迷い込んでいく男の会話はまるで短編小説のようだ。何回聴いても感動させられる、素晴らしい曲だ。
元カレが放った陳腐なセリフ 厳密にいうと男女の立場は逆転しているが、私にも「木綿のハンカチーフ」的瞬間がある。“東へと向かう列車”に乗り込んでから何十年も経ってしまった今、完全に“都会の絵の具に染ま”りきったものの、(ごくたまに)あの日の記憶がよみがえる。
 おおよそ20年前、日本文学の研究を極めるべく留学を決意して、その準備に取り掛かった。遠距離は無理だったし、当時のカレシとはいずれ別れることになると最初からわかっていた。
 出発までの時間はどういうふうに過ごしたか、その記憶はもはや忘却の彼方に葬られている。しかし、例のカレの反応だけは、かすかに思い出せる。私を引き留めようとしたり、否定したりするようなことはなかった代わりに、「2年後、留学が終わったらここでまた会おう」とかなり陳腐なセリフを言い放ったのだ。しかも、夕焼けの陽光を浴びて、金色に輝いていたヴェネツィアのサン・マルコ広場をバックに。考えるだけでムズムズするような恥ずかしさが湧いてくる。

 5年前に元カレと再会 太田裕美の名曲は、「ハンカチーフ下さい」という女の言葉で締めくくられる。結局どうなったのか、聴き終わるとその後を想像して、しばらく物語の余韻に浸ってしまう。パリッとしたスーツを着込んだ彼は、とうとうハンカチーフを送ったのかな? 彼女は諦めて、別の人と結婚したのかな? いくらでも妄想が膨らむ。
 私の場合、その後はどうなったかといえば、元カレと5年前に再会を果たしたわけである。何がきっかけで連絡を取ったのか完全に忘れたけれど、ちょうど里帰りする予定だったので、久しぶりに会う約束をした。ドキッと。
 ご飯を食べながら、近状報告を交わして、適度に過去を懐かしみ、それなりに楽しい夜を過ごした。そして、別れ際に「サン・マルコ広場までさすがに行ってないけど、2年が経った頃には思い出していたよ」とはにかんだ表情で彼が言った。相手はイタリア人男性だから話半分に聞くことが賢明だが、全く未練を感じていない自分に安心した。ネオンの明かりに煌々(こうこう)と照らされた東京の街角はやはり自分に最も似合う場所だ。帰りのフライトが待ち遠しく、「ぼくはぼくはAh帰れない」と私はふと口ずさんだ。
イザベラ・ディオニシオ1980年イタリア生まれ。日本文学の研究に取り組む傍ら、翻訳家として活動する。近著に『女を書けない文豪たち イタリア人が偏愛する日本近現代文学』。デイリー新潮編集部

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bun********「木綿のハンカチーフ」の歌詞はボブディランの「スペイン革のブーツ」のパクリ。その辺にも少しは触れてほしかったけど、このライターは知らないんだろうね。


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