休刊は、始まりか否か
5月30日発売の「週刊朝日」休刊通告は、くまなく全国に知れ渡っていたそうです。
とうのも、昨日のあさ、そんなネット見出しをみたので、最寄りの本屋が開くのをまって、雨の中、待機して開店時刻に入って、店員に尋ねたら「売り切れ」です、だった。そんなこともつゆ知らず。
いやいや雨の中1時間も待って、とかなんとか、文句も考えたのですが、時期も考慮していうのをやめた。
それで発売日は確か30日だったので、即完売だったらしい。なので、その情報は、全国に知れ渡っていたと考えるのが当然でしょう。だからそれを知らなかった私がばかだった、そう、取り繕いました。
でもなんでそれを買おうと思ったのか、自己反省してみれば動機がない。これまで週刊誌はエロ裸のコンビニ立ち読み雑誌と、勘違いしていたので、一度も手にしたこともないし買ったこともない。だからそんな情報だって知るわけがない。
それは「寝耳に水」の事態ですから、社会の状況は知らないし、売り切れも予想外でした。当然と云えば当然、だれにも責任転嫁できない。
それで雨の中、とぼとぼと車で帰宅したのです。その日の朝は「無名人インタビー」回顧記事を書くのに3時間もかかって、頭がボーっとしてましたので、余計その『完売』が理解できなくて、じゃどうするかという対策をボーと考えました。
そうだ、いつものコンビニだったら、売れ残りがあるかもしれないと、気持ちを取り直して、そのコンビニに行きましたが、皆さんが思ったように、在りませんでした。(まったく小学生のやり方だよね、)
それと私の書いた記事(5/4日付)が「盗作、剽窃など、他者の著作権等を侵害しているもの」に該当するので公開を停止しました。というサイト側から通知がありました。
「The Lost Weekend : A Love Story」
2023年5月4日 15:45 (すでに削除note上では読めない)
内容は「ジョン・レノン」が、仕事スタッフとの間に愛人関係になった、という映画の記事を無断引用した、ということのようです。
特別にスクープ記事でもなかったので有料にして、しばらくして1通売れました。それを今後どう対応するかという詰めで、思案中です。
他の記事をみても、「配信停止」食らった方も多くて、参考になりました。
とくにnoteはアルゴリズムのガードが固くて、なにかにつけてそれが文句を云いに来る。まあ品行方正を売りにしたサイトですから、当たり前なんでしょう。
そんな姑息材料がいろいろ溜まって、それで完売事態で、そとは雨だし、女にも会えないし(という素振りをみせないと安くみられる)ので、虚勢はつねに維持する。それがダンディズム、とか何とか。
そうそう休刊でしたね「週刊朝日」が。休刊なんだから休みがあけたら復活、というのではなく、ここでいうは休刊といったら廃刊のことです。ですから、そこで仕事をしていた社員は休職退社と、世間は思いますが、おそらく配属転換で、あちこちに散らばる、ということでしょう。
(「休刊」誌それはアマゾンには売ってましたので注文しました。人生そんなもんだって笑ってる場合です)
まあね、本体新聞社が休刊ではないので、カスリ傷程度でしょうが、週刊誌というアナログメディアが、このSNS世界(若年世代)に、何がアピールしたのか、知る由もないのですが、おそらく「通勤電車の読物」価値がなかった、という点で終焉に至ったことなんでしょう。
そんなことを思ったら有楽町前本社(築地)がどうなるかはだれも知らないし、その、新聞メディア、という情報配信スタイルが、そうしたアメリカ「ガーファ」のような、「ChatGPT」 の洗礼を受けた結果、延命か淘汰か、という瀬戸際に追い詰められたと感じるのですが、どなん~すかね。
「皆さん一緒に考えましょう」といったところで相手は、言論メディアですから、゛いらぬお節介゛とおもっているでしょう。
じゃその新聞屋の仕事だとか、何時から新聞屋だったのか、皆さん知ってますか。もちろん江戸界隈では「瓦版」ですから、「浮世絵製版所」みたいな中小出版業がいたようですが、近代情報業は、戦後のGHQ時代になって統治下政策として生まれたメディア業種だったようです。
■朝日新聞社は1879年(明治12年)大阪で創業9年後に東京に進出し本拠を現在の銀座6丁目に置いた。社勢の伸張に伴ってここ有楽町に東京本社を移したのは関東大震災の復興なお半ばの1927年(昭和2年)3月であった。
■読売新聞1870年(明治3年)4月 - 現在の神奈川県横浜市中区に合名会社「日就社」を創立。
どちらも明治期開祖ですから、近代新聞メディアはヨーロッパに倣って起業したのでしょう。ザッと計算しても明治維新の歴史と同じ150年の歴史で、その「週刊朝日」の歴史が100年という時間ですから、100年一区切り、ということでしょうか。
◇放送法 日本での公衆によって直接受信される目的とする電気通信の送信を行う者は、すべてこの法律によって定められたところにより規律される。放送法は、戦前の無線電信法に代わるものとして電波法、電波監理委員会設置法とともに電波三法の一つとして1950年(昭和25年)5月2日に公布、同年6月1日より施行された。これによって日本放送協会(NHK)は同法に基づく特殊法人と規定されて、社団法人から公共企業体へと改組されることとなった。また、NHK以外の事業者(民間放送事業者)の設置が認められて以後の放送に関する基本法となった。その後、1959年(昭和34年)に放送番組審議会の設置義務付け規定の設置や1988年(昭和63年)の全面改正、2010年(平成22年)の有線電気通信を用いる放送の法統合及び条名整理など、さまざまな改正が行われて現在に至っている。
有線電気通信法は、日本における有線電気通信設備の設置や使用を規律する法律である。
桐紋 室町幕府のほか皇室や豊臣政権など様々な政権が用いており、現在では日本国政府の紋章として用いられている。十大家紋のひとつにも数えられている。
ウイキペディア
その「休刊」影響下のニュース記事があったので掲載しました。
2023年06月03日記事
週刊朝日休刊 出版界の波紋
松尾貴史「冗談で言ったことが実現した」 週刊朝日休刊で「似顔絵塾」をライバル誌で継続〈週刊朝日〉2023/5/31(水) 17:30配信 AERA dot.
画像 松尾貴史 週刊朝日休刊で「似顔絵塾」をライバル誌で継続〈週刊朝日〉(AERA dot.)
1922年に創刊し101年の歴史を刻んだ「週刊朝日」は今号をもって休刊します。休刊にあたって似顔絵塾の塾長、松尾貴史さんからメッセージをいただきました。
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*松尾貴史
「似顔絵塾」を引き継がせていただいて約1年半。あっという間でしたね。 似顔絵というのは不思議なもので、デッサン力が生かされすぎると、似顔絵ではなくて肖像画のようになってしまう。
似顔絵はものまねと一緒で、対象の特徴がデフォルメされた中に、どこか批評性や毒っ気がないといけない。そうした要素があるからこそ、これまでこうやって人気を博してきたのだと思います。
ものまね芸人のことを、英語で「インプレッショニスト」と言うんです。やっぱりインプレッション(印象)って大事で、入選作を選ぶときは、ファーストインプレッションを大事にしていました。第一印象で候補を集めて、今度は判じ物みたいに、誰だろうとか、何だろうと考えながら絞っていく。迷ったときは、造形がきれいなほう。そんな基準で選んでいました。
投稿者の皆さんは、強烈な個性を持った方ばかりでしたね。軍事評論家の江畑謙介さんとか、「なぜ今、この方を描こうと思ったのか」という人選が多くて、動機が知りたいと好奇心が湧きました。まあ、私がそういう作品を選びがちなのも見抜かれていたでしょうから、難しいところですが。
驚かされたのは、まったく別の画風の作品を同じ人が描いていることがあることです。ピカソも若い頃と年をとってからでだいぶ作風が違いますが、同じ時期に応募している中で作風が多岐にわたるというのは、すごい力量だと思います。
似顔絵塾は、なんといっても創始者の山藤章二先生が象徴のような存在です。和田誠さんと並ぶ日本のイラストレーターの双璧で、ラジカルな批評精神を持ちながら、洒脱で洗練された作品の世界を築いてこられた。そのお仕事の一つを短期間でも受け継がせていただいたのは本当に光栄でしたし、山藤先生の名前を汚さないようにと、そればかり考えていました。
少し前に高田文夫さんと桂南光さんに会った時に、この連載を引き継いだことをものすごく喜んでくれて、「余人をもって代えがたい」と言ってくれたのは、うれしかったなあ。この仕事を任せていただいて、私も本当に楽しかったです。
そして、です。
場所は変わりますが、うれしいことに、「似顔絵塾」の灯火を継続していただけることになりました。それも、何と長年のライバルだったと言ってもいい「サンデー毎日」誌上でです。瓢箪から駒、冗談で申し上げたことが奇跡的に実現することになりました。
回数は緩やかになりますが、これからも似顔絵ファンの皆さんの創作意欲と批評精神を濃密に体感していくことができそうで、うれしい限りです。これからも幾久しく、どうぞ宜しくお願い致します。
(取材・構成/本誌・小泉耕平)※週刊朝日 2023年6月9日号
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