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世界のリーダーたる資質

Web3.0の本質「DAO」
Web3.0の進展により世の中はどう変わるのでしょうか。Web3.0は世の中の「分散化」を進めます。ここでいう「分散化」とは、インターネットに接続する環境さえあれば、誰もが自分自身の手で、サービスの提供方法と受給方法を決定することができる状態です。
少し誇張していえば、Web2以前の世界は、GAFAや金融機関のような中央集権的プラットフォーマーがサービスを規定し、消費者はサービスを利用するために、プラットフォーマーの「養分」としてタダで個人情報を提供し、さらには料金まで支払うといったものでしたが、Web3.0では企業も個人も参加者の1つにすぎません。Web3.0の世界では、個人もプラットフォームの開発に参加することができますし、企業同様にプラットフォーム上でマネタイズすることも可能になります。
1点注意しなくてはならないのは、Web1やWeb2的な企業やサービスがWeb3.0の進展により今すぐなくなるわけではない、という点です。ビットコインや仮想通貨の熱狂的な支持者の一部には、国や行政機構の存在を否定的に捉え、仮想通貨によって自由で平等な世の中を実現したい、と考えるリバタリアン的な発想の方もいますが、私自身はこういった急進的な考えには反対の立場です。

世の中が分散化すれば、今われわれの社会が直面している諸問題が解決される、という安直な発想には与しません。Web3.0による分散化は、Web2以前よりも高いITリテラシーを前提としています。
とりわけ、各個人が自身の情報と資産をインターネット上で管理することになるため、個人情報・データ管理に関する技術的な理解が不十分なままに利用すると情報や資産を盗まれたり、犯罪に巻き込まれたりするリスクも当然あります。こうした点を踏まえると、Web3.0の進展による果実を多くの人々が享受するために手助けをする企業や行政当局の存在が重要であり、こういったプレイヤーがITリテラシーの向上に資する教育を担っていく必要があります。
「Web3.0と仮想通貨」今さら聞けない基本中の基本 「主権のある個人が判断すべき」ビットコインの精神 千野 剛司 : Binance Japan代表 2022/06/21 17:00  東洋経済


一方、ゲイツ氏によれば

Gates氏は、自身のブログサイトである「GatesNote」に投稿した長文の記事で、「私たちは、AIが自力でやれるのはどんな種類の仕事なのか、どんな仕事なら副操縦士(copilot)が務まるのかについて、以前よりも理解できるようになった」と書いている。「そしてAIが、多くの人が教育やメンタルヘルスなどを手に入れられるようにするためにどう役立つかも明確になってきた。そのため私は、この技術を世界中で目にする恐ろしい不公平を減らすために役立て、その不公平をかえって助長してしまうことがないようにしたいと考えるようになった」(同氏)

ビル・ゲイツ氏がAIに期待する地球規模での医療の改善 202312/31(日) 6:30配信 ZDNET Japan  
                         部分抜粋記事

その二つの記事を読んで、どう判断するか個人のリテラシー解析力によるが、私のスタンスからいってみれば、それを「業」としていない身としては、判らない、としか云いようがない。

全くわからない、ではなく、【昨日書いてあった、あの文言の、その部分】程度の、アレ、ソレという曖昧な比喩で誤魔化した、にわか知識の張りぼて程度なんだろうとおもう。

まああ、たしかにコロナパンデミックから解放され、経済金融においての変化の兆しもあって、なんとなく明るい?芳香のようにも感じるし、また無理やりそう思いたくなる自己催眠効果もある、そんなところだう。
それでも全快ということでもなく、西アジア、地中海沿岸での戦争行為は、部分的な交戦状態であることに世界は傍観静観の見方をするしかない。

ではいまのこの時期は、その「Web3.0」も含めて過渡期なのか、という視点でみていいのか、という問題があるが、世界論調からして、大きなトレンドは、どうもそれを後押し、しているようだし、私の個人基準でも、そんなことは感じる。

「古事記」というまったく日本的な古典文献を今年後半から、書き始めたが、それをしている途中に「ウンブキ」という覆しようもない物的証拠の遺跡発掘、その解析が明らかにされ、日本の古代史が一気に晴天のヘキレキと激変して、ますます「古代」が面白くなってきた。

それを全部話すと、聴く方も疲れてしまうので、ほんの数行で済ませるが、「ネタばれ」を先にいってしまえば、その「古代」より一般人が、社会また海洋交易を使って世界を駆け巡っていた、と云うことが明らかになってきた。
それを話すと、わかりやすい比喩でいったら「舎人」(とねり)という職業大規模集団(迫害による移住か文化移転の案内人か不明)が数百年単位で、この日本の国家スタイルを作り上げた、ということが確認できた。その論拠は、古代縄文人の遺伝子解析の結果、ある年代を境に、劇的な遺伝子の交代が確認されたという、科学的裏付けだった。

いやいや一行は超えてしまったので、後編は、来年「元旦」から始める、と云うことにして、縄文は、ひとまず、閉めることにする。

それ以外でも、世界経済覇権のポール奪取争奪戦が起こりつつあり、温暖化対策AVシフトを掲げたヨーロッパ世界と、それに乗じた中国の崩壊大雪崩が一気に加速し、いまや残ったのは日本しかないという、「青天の霹靂」に、名指しされた本人の顔も狼狽するという事態だ。

そしてまたアメリカにいたっては「ガーファ」本拠地シフトが加速し、治安の悪さとゴミ汚染のシリコンバレー、高い家賃と地方税、年々厳しくなる行政の規制に嫌悪がはじまりスタートアップがぞくぞくと誕生する米シアトルとその周辺エリアが次世代だと息巻くアメリカに勝算はあるのか。それはひとえに次期アメリカ大統領選で誰を選ぶか、という瀬戸際でありその二肢選択を一つ間違えば、世界がまるでかわってしまうという未曽有が待っている。

そんな危険な曲芸タイトロープをしている、それを認識している人が、幸か不幸かだれもいないと云うのがいまの問題か?


中村哲医師が日本人を嘆いた理由、いまや世界屈指の「弱者に冷酷な国民性」
データも証明、「やさしさ」尊重の風潮ながら実は他人にやさしくない私たち
2023.12.29(金) https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78705 

医師であり土木技師でもあった「哲学者」
 12月は、平和を訴え続けアフガニスタンで多くの人々の命を救った中村哲医師の祥月である。2019年12月4日、アフガニスタン東部のジャララバード市内で何者かに銃撃され死亡した。
中村哲|人物|NHKアーカイブス画像


 中村哲医師は、35年の長きにわたり、アフガニスタンとパキスタンで医療活動を行い、干ばつ被害に苦しむ人々の命を救うため、無謀と言われた用水路建設に乗り出した。戦乱がつづくなか、中村医師は現地住民の先頭に立って困難な土木工事に挑み、完成した用水路は、いま65万人もの人々の暮らしを支えている。

② かつて「ガンベリ沙漠」と呼ばれたアフガニスタン東部の不毛の地は、中村医師の灌漑プロジェクトのおかげで、緑豊かな農地に生まれ変わった
かつて「ガンベリ沙漠」と呼ばれたアフガニスタン東部の不毛の地は、中村医師の灌漑プロジェクトのおかげで、緑豊かな農地に生まれ変わった(筆者撮影)ギャラリーページへ

中村医師が造った用水路。6000~7000メートル級の山々を水源にする大河クナール河から引く農業用水は、干ばつでも枯れることがない(筆者撮影)

 その生涯を振り返ると、偉業を成し遂げ得たうらには、中村医師の深い洞察にもとづく独特の哲学があったと思われる。アフガニスタン現地でながく中村医師の片腕となって活動してきたジア医師は、中村医師をこう評する。

「すばらしい医師であり優秀な土木エンジニアでしたが、それ以上に哲学者でした」

中村医師亡き後も、現地の人々の手で新たな用水路の建設が行われている。中村スピリットは人々の胸に刻まれている(筆者撮影)中村医師は、今の日本と日本人についても独自の見方で鋭い指摘をしてきた。一年を振り返る師走にあたり、中村医師の言葉をたどりつつ、これからの私たち日本人の生き方を考えてみたい。2022年にジャララバード市内に開設された中村医師の偉業を称える”ナカムラ広場“。中村医師の大きな肖像が掲げられ、夜はライトアップされる。偶像崇拝を禁じるタリバン政権のもとではきわめて例外的な扱いである

2022年にジャララバード市内に開設された中村医師の偉業を称える“ナカムラ広場”。中村医師の大きな肖像が掲げられ、夜はライトアップされる。偶像崇拝を禁じるタリバン政権のもとではきわめて例外的な扱いである(筆者撮影)

「日本人には人を思いやる心がある」は幻想なのか

 先日、友人が定年で長年勤めた会社を退職し、ねぎらいの酒宴が開かれた。その席で、同年輩の友人が「おれたちは逃げ切れるよな」と言うと、多くが笑いながら相槌を打った。それを聞いて、ある週刊誌に「五十代は逃げ切り世代か」という特集が載っていたのを思い出した。“逃げ切り”とは、社会保障の破綻など、近未来に予想される“国難”を自分は見なくてすむということだ。この言葉には、「人生の目的は自分(だけ)が幸せになること」で、「死んだらオシマイ、生きているうちにせいぜい楽しもう」という利己的で刹那的な人生観が露骨に示されている。わが亡き後に洪水は来たれ、である。中村医師はずいぶん前から、自分のことしか考えない日本の風潮を嘆いていた。

「『自分の身は針でつつかれても飛び上がるが、他人の体は槍で突いても平気』という人々が急増している」*1

 私も日本人の一人として耳が痛いが、実際に私たち日本人の他人への無関心、無配慮は、「エゴイスト」と批判されてもしかたのないところまで来ているようだ。

国際的な調査が示す日本人の自己中心性
 英国の慈善団体Charities Aid Foundationが公表する「世界寄付指数」(World Giving Index)では、過去一カ月に、①見知らぬ人を助けたか、②慈善活動に寄付をしたか、③ボランティア活動をしたかの3項目の質問への回答をランク付けしている。(下記「グラフ1」〈2018年版〉を参照)

部分引用



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