見出し画像

【徳之島】海底ウンブキ土器で知る日本人遺伝子の原始元(縄文弥生古墳時代)

ウンブキ土器と縄文土器、類似と相違

『フロンティア』NHK新BS目玉企画、「日本人とは何者か」に迫る
2023年12月6日 5時00分

1万1700年~7400年前 水没前の「縄文期」生活痕か
2020年7月23日
日本最大級の水中鍾乳洞 謎のウンブキ土器
「波状条線文土器」と類似
天城町会見【徳之島】天城町当局や教育委員会は23日、日本最大級とされる水中鍾乳洞「陸の中の海『ウンブキ』」(同町浅間)で水中探検家が発見、回収していた謎の〝ウンブキ土器〟の年代測定結果について会見。同測定値に土器の分類・同定調査を重ねた結果、同町西阿木名「下原洞穴遺跡」出土の「波状条線文土器」と特徴が類似。1万1700年~7400年前の縄文時代相当期に製作され、一定期間陸上で生活に使用後(海面上昇で)水中に取り残されたと考えられると発表した。

 「ウンブキ」は海の崖・谷の意味で、別名「浅間湾屋洞穴」。内陸部にぽっかりとあいた開口部は、潮汐で海水面が上下。現在の徳之島空港滑走路を含む地下を抜けて東シナ海につながっているとされる。日本を代表する水中探検家・水中カメラマンの広部俊明氏(55)=沖縄県恩納村在住=が2018年9月、テクニカルダイビングの特殊技術を駆使し、人類未知の同エリアで第1回調査に着手。自身が発見した日本最大級の水中鍾乳洞「広部ガマ」(総延長約680㍍)=同村=を大きく超えて1㌔余の規模に及ぶことを発表。昨年5月の調査時は〝ウンブキ土器〟の回収にも協力していた。

 会見は広部氏も同席して同町役場であった。町教委の具志堅亮学芸員(36)の説明によると、土器(直径約17㌢・高さ約21㌢)は、ウンブキ洞口(入口)の約70㍍奥・水深25~30㍍で広部氏が発見した。同地点に存在した可能性については、①入口から流れ込んだ②発見か所の洞窟天井に地上に通じる空間が存在③ウンブキが水没する前に人によって持ち込まれた―と推測。

 土器に含まれる石英など鉱物が、土器焼成後から蓄積を始める放射線量(蓄積線量)で推定する「熱ルミネッセンス年代測定法」を用いた年代測定の結果、製作年代は「1万1700年前ごろ」と推定。土器の特徴など分類・同定など調査では「下原洞穴遺跡」出土の「波状条文土器」(地層の炭化物年代測定で7400年~7100年前)と、口縁部の波線文様や頸(けい)部の「ハ」の字状の条線文などが類似。

 同学芸員は「ウンブキの土器は、7000年以上前の縄文時代に相当する時期に製作された可能性が非常に高い」と指摘。奄美・沖縄で人間活動痕跡が確認できてない「空白の時代」(7000年~2万2000年前)を考える上でも非常に重要。今後の課題には「海面の急上昇とウンブキ土器の関係を明らかにすることも求められる」とも。

 同水中鍾乳洞の全容解明を継続していく広部氏は、「泥(流入した赤土)に埋まっているが土器片はまだ無数ある。内部の支洞も増えており日本ナンバーワンの水中鍾乳洞だ」。メキシコ・ユカタン半島になぞらえて「日本のセノーテだ」とも絶賛。森田町長は「7400年前のウンブキは陸上にあって私たちの先祖が生活して連綿と続いて今があることに感動。大切に次世代に引き継ぐ責任も感じている」。
 ウンブキ土器は今月29日~8月2日まで同町「ユイの館」で展示される。




カタルーニャ考古学博物館


日本とベトナム

林邑楽りんゆうがく
 ここでは、古代の日本とベトナムの交流を代表するものとして、「林邑楽」にまつわる資料を紹介します。
 林邑(チャンパ、現在の中部ベトナム)出身の僧・仏哲ぶってつによって、8世紀頃に日本に伝えられたとされる舞楽です。日本の雅楽伝統において、舞楽は大別して朝鮮半島由来の高麗こま楽の伝統(右方の舞)と、中国大陸由来の唐楽の伝統(左方の舞)に分けられますが、林邑楽は9世紀ごろまでには後者に組み込まれ、長らく宮廷や寺院の法会などで演奏されてきました。
 現在のベトナムの宮廷音楽との関連性は定かではありませんが、日本に現存する「林邑八楽」(8つの曲目で構成される)は、雅楽の中でもよく知られた楽曲となっています。なお、ベトナム宮廷音楽は、2009年、UNESCO無形文化遺産として登録されています。

科学者たちは、かつて最大6.000人が住んでいた古代都市ウラストレットに通じる、大きな石のブロックで作られた門を発見した。
専門家はウラストレットのテラリウムの下で古代都市への門を発掘します。 写真: カタルーニャ考古学博物館

少なくとも紀元前 6 世紀に遡り、紀元前 2 世紀か 3 世紀に放棄された都市ウラストレットは 1930 年代に発見されました。科学者たちは数十年前からその遺跡の発掘を試みてきました。そして最近、彼らは発見しました。 100年以上前にスペインで干上がった湖、ウラストレ湖の真ん中にある街に通じる巨大な門。 ニューズウィーク 7/7に報道されました。

カタルーニャ考古学博物館はフェイスブックへの投稿で、「これはチームが近年行った最も重要な発見の一つだ」と述べた。

門は街の下部に通じており、巨大な岩層に囲まれています。 これはカタルーニャ考古学博物館とSPAHI組織が6月30日から6日までウラストレット湖で行った発掘中に発見された。 これに先立ち、2016年には考古学者らも湖の下に巨大な都市の入り口があるのではないかという理論を立てた。

入口は、それぞれ幅 2,3 m の 4 つの平行な枝で構成され、よく加工された大きな石のブロックで造られ、市の西側エリアを囲む壁に対して垂直に配置されています。 これらの壁は、市内の主要な大通りの XNUMX つの始点として機能する幅 XNUMX メートルの廊下の周りを走っています。

この都市はインディゲテ族によって建設され、当時カタルーニャ最大の都市でした。 かつて市内で発見された遺跡には、住宅、穀物店、寺院などがあります。 専門家によると、最盛期にはこの都市には6.000人以上が住んでいたという。
新たに発見された入り口は石ブロックで完全に封鎖されていた。 考古学チームは、その理由は放棄された都市を閉鎖するためだったと示唆した。 この都市は、おそらくイベリア半島北東部での第二次ポエニ戦争が原因で、紀元前 3 世紀後半または 2 世紀初頭に放棄されました。 この戦争は、北アフリカの大部分とスペインを支配したカルタゴ文明と、その後イタリアとサルデーニャ島とコルシカ島を支配したローマ人の間で、紀元前 218 年から 201 年まで続きました。
考古学者たちは、ここの人々の生活と彼らがなぜ街を去ったのかをさらに理解するために、この遺跡の研究を続けたいと考えている。
木サオ (によると ニューズウィーク)

専門家はウラストレットのテラリウムの下で古代都市への門を発掘します。 画像: カタルーニャ考古学博物館

カタルーニャ考古学博物館


海底ウンブキ土器、で知る日本人遺伝子の原始元(縄文弥生古墳時代)
このウンブキ遺跡の調査は、最近の新しい発見とともに、にわかに注目された遺跡だった。
また縄文時代から継いだ文明が、どのように推移してきたか、という調査もされていて、これまでの従来説、大陸より伝来した北と南の種の分布では、説明できない、遺伝子が新たに発見されたという。
それが爆発的な広がりで日本に浸透した「古墳時代」を形成したのが、それら遺伝子の一団だという。

古代日本における古墳時代の人口形態がなにを語っているかと云えば、即ち「神話世界」に記述された八百万の神々の名であった。

そんなことを伺わせたのが、ベトナム古代音楽の「リンユウ」であり、聖徳太子の時代に「蕃楽」で演奏せよと、伝来したのが日本の古典雅楽の中の曲「林邑楽(りんゆうがく)」であり、学校で雅楽の解説には欠かせない歴史伝来説の一つとなっている。

それと並行して貴族朝廷文化が、この日本を統治したのは、古墳遺跡が語っているように、現代科学分析遺伝子解析と、その足跡が寸分違わずピタリと一致するのは、もはや事実として疑いの余地はない。(原稿筆者著)

縄文人再現画

画像 楽天ブログ


楽天ブログ


odai by 捻挫カックンカックン


カックンカックン


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?