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山梨に金鉱脈発掘???

金がかつてないほど高騰しています。
この影響もあり、山梨県身延町の博物館では、砂金採りの体験に県の内外から多くの観光客が参加しています。

と見出しにありました。たまたまヒマだつたので電卓で計算しました。以下がその方程式。(文中データより計算)

砂金を1g集めるには、240粒必要

それ計算すると 1粒0.0024×500=1.20

単純にそれをみると小粒を約500個、という答えです。

「ナンボヤ」 金査定表(09/05 価格)

K18 7,480 円

K18WG 7,564 円

Pt900 / K18 半々 5,930 円

Pt850 / K18 半々 5,810 円

そこには労働対価がありませんので、1グラム500個を採取するのに何時間かかったのか判りません。

昔の鎌倉時代の人だったらベテランですから1日~3日くらいの時間だったのでしょう。

稼ぎとしては1日日当7480円(令和レート)ということになります。それを1000年前物価価格高騰など差し引いた時代考証するわけですから、百千の価値変動はあるでしよう。

としても、国家統制下の金採掘ですから、個人が懐にしまってねこばば、することばできない。

そんな啓蒙でアピールしたのが山梨県身延町の博物館でした。

おつかれさまでした。




「10粒採ったらすごい」金が高騰で注目 砂金採り体験に多くの観光客 山梨・金山博物館
 9/5(火) 20:34配信
UTYテレビ山梨
金がかつてないほど高騰しています。
この影響もあり、山梨県身延町の博物館では、砂金採りの体験に県の内外から多くの観光客が参加しています。

【写真を見る】「10粒採ったらすごい」金が高騰で注目 砂金採り体験に多くの観光客 山梨・金山博物館 

5日の金の取引価格は、1g1万100円で高値水準となっています。金への関心が高まる中、県外からの観光客が増えたのが、身延町の湯之奥金山博物館です。
多くの客のお目当ては、砂利が入った専用の皿を揺らして砂金をみつける砂金採り体験です。大阪からの観光客:夢中でした。めっちゃ楽しかったです。

記者:どのくらい採りましたか?
大阪からの観光客:僕は5粒。私は2粒採りました。
30分間の砂金採り体験は、週末は約300人が参加する人気のイベントです。
甲斐黄金村 湯之奥金山博物館 学芸員 小松美鈴さん:
平均で3粒から5粒くらい。10粒採ったらすごいですね。

参加費は大人が700円。
博物館は採った砂金の数の番付を掲示していて、横綱は30分間で100粒です。
甲斐黄金村 湯之奥金山博物館 学芸員 伊藤佳世さん:指輪に加工するというメニューを用意していて、おおよそ3gくらいためていただくと、純金の指輪に加工することができます。ご家族にプレゼントするためにちょっとずつためたものを、やっと1つの指輪にして娘さんや奥さんにプレゼントという方もいた。

今後も人気を集めそうな砂金採り体験!
なお砂金を1g集めるには、240粒が必要ということです。

テレビ山梨


富士山の麓、青木ヶ原樹海に延長2kmの“石の壁” いったい誰が何のために? いまだ解明されない謎
テレビ山梨 2022年7月15日(金) 20:21
「 説1 戦国時代の防衛施設 」が決定的ではない理由:
街道の集落を守るための防衛施設とするならば、この石塁が当時使われていた古道、「中道往還」に接していない。近くには本栖の城山という山城がありますが、そこからも離れていて、連動性も感じられない。
更に、石の積み方が違います。中道往還に関連する石塁は、煉瓦積みのような非常に丁寧な積み方になっていますが、この石塁はとても簡単な積み上げ方ですので、防衛としての城山の石塁とは作った意図が違うのではないか。

■ 「説2 江戸時代の獣害を防ぐしし垣」が決定的ではない理由:

山梨県内でも「しし垣」の事例はありますが、これほど立派なものを造ったという記述がどの古文書に記されていません。江戸時代に造営されたのであれば、地域の伝承に残っているはず。

しかし、この石塁は1987年(昭和62年)に発見されるまで地元でも忘れ去られていたものなので、江戸時代よりも古い時代のものではないか。

■ 「説3溶岩流から守るための防護壁」が決定的ではない理由:
青木ヶ原溶岩流は5m~10mの厚さがあり、同じ程度の溶岩流を想定するのであれば、2m弱の壁では防ぎ切れないのではないか。
ということで、どの説も決め手に欠けるのです。

このクランク形状が戦国時代の砦を囲む壁のように見え、これが戦国時代の防御施設ではないかという根拠にされることもあります。

しかし、「クランク」状になっているからと言って城壁をまねたわけではなく、これだけ巨大な構築物なので、東側から造ってきたグループと西側から造ってきたグループの接点となる場所がずれてしまった。そのために、辻褄を合わせるためにずれた部分を繋げたという可能性が考えられます。
また他の理由としては、その場所は窪地になっているために、地形に合わせて石塁を曲げる必要があった可能性もあって、断定ができない難しいところがあるのです。
いまだに謎を含んだ「石塁」

この「石塁」は東海自然遊歩道に沿って見学することができます。

=なお、青木ヶ原樹海は国の天然記念物であるため、遊歩道を外れて立ち入ることは禁止されていますので注意して下さい=



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