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「夢幻泡影」こんな世界があったらいいな

ウエストコースト、フレーズ
「ウエストコースト」とは、その座標はどこか。ウエスト・コースト・ミュージック[west coast music]、

アメリカの西海岸を中心に発展したロック・ミュージックのこと。
ウエスト・コースト・ロックとも呼ばれる。

1960年代後半、サンフランシスコを中心に広がったヒッピー・ムーブメントやサイケデリック・サウンドをきっかけにウエスト・コースト・ミュージックが注目されはじめた。

ドゥービー・ブラザーズに代表される、コーラスの美しい、ゆったりしたロック・サウンドが特色。1970年代を代表するウエスト・コースト・ロックの名曲中の名曲が「ホテル・カリフォルニア」(イーグルス)である。また、ビーチボーイズに代表される、明るく軽快で(脳天気な!)サーフ・ロックもまたウエスト・コースト・ミュージックの一つの顔である。
(参考weblio.jp/サイケデリック・サウンド)

ジャズ、ソウル、R&Bといったジャンルを混合したものであり、クルセイダ-ズやスパイロ・ジャイラ、ジョージ・ベンソン、リー・リトナー、ラリー・カールトンらと同様、フュージョンという限定されたジャンルの中で評価された。演奏は、フュージョン・バンドらしい優れた技巧を使用したものである。 

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そのころ、リチャード・ティー(key)、の弾くエレキピアノ音が新鮮でよく聴いていた。だから、その特色音は耳にこびりついていた。咄嗟にリチャード・ティーのキーボートだと、感じたとき愕然とした。
今やっている自分の音は、45年前、すでにアメリカではポピュラーな音楽で、そのキーボード音色は既に完成していたのである。
【oh my God!】オーマイゴット・・・なんてこったい。

話題、会話その内容
「なんてこったい」、という音楽の話を昨日、記事にした。休みだというのに、そこそこのビューがあり、社会のどーでもいいようなネタ(寛容がどうのこうの~)に辟易した人が、こちらを覗いたようだった。

ところで「ウエストコースト」なんてフレーズを口にすると年がばれる。まバレてもいいが、いまほとんどそれを口にするものがいない。死語だ。
 
グレイトフル・デッド、ママス&パパス、ドアーズなど、LSDとマリファナの芳香を漂わせる空気が蔓延していた。
前後してウッドストックやジミヘンが彗星のように現れた時代だった。ことわっておくが「昔はよかった」ではな。すべて死語である。

ロックとジャズのちがい

ウェストコースト・ロック
ウェストコースト・ロック (West Coast rock) は、ロックのサブカテゴリのひとつであり、ウェストコースト・サウンド (West Coast sound) とも称する。アメリカ合衆国西海岸を拠点とするアーティストや、同地のレコード産業が手がけた音楽などを指すが、ジャズの一形態を指す「ウェストコースト・ジャズ」や、アメリカ南部のアーシーな音楽群を指す「サザン・ロック」などの用語とは異なり、アメリカ本国ではあまり使用されず、音楽ジャンルを指すフレーズとしても一般的なものではない。

「ウェストコースト・ロック」という日本での音楽用語は、1960年代後半の、サマー・オブ・ラブの時代にドラッグ、ヒッピー文化の担い手として活躍した一群(ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドなど)と、1970年代以降に音楽業界で大成功を収めたアーティスト(イーグルス、リンダ・ロンシュタット、ドゥービー・ブラザーズなど)の両方を意味している。
また、ジャクソン・ブラウンやジェイムス・テイラー、ジョン・デヴィッド・サウザーといったシンガーソングライターたちを指して使用する場合もあり、音楽形態としての統一的なフォーマットを指しているわけではない。
しかし、当然のことながらこれらの人材は互いに楽曲提供を行ったり、レコーディングで協力し合うことで大きな人脈を形成している。音楽の1ジャンルというよりは「業界」として捉える方が正確である。

それに対しての「ジャズウエストコースト・ジャズ」

ウエストコースト・ジャズ(West Coast Jazz)は、1950年代、アメリカ合衆国ロサンゼルスを中心とする、アメリカ西海岸一帯で演奏されていたジャズの総称。ロックにも同名のムーヴメントがあるため、正式にはこう呼ばれるが、ジャズとして呼称する場合には、単に「ウエストコースト」で通じる。

他のジャズの分類が、南部発祥後の、ニューヨーク中心の東海岸での音楽的方針や手法、形態の違いであったことに対し、この呼称は、地区による分類という傾向がある。その主軸は概して正統的な音楽教育を受けた白人演奏家であり、クール・ジャズを発展させたようなスタイルが比較的多数派と言える。特に1940年代から1950年代にかけて白人ビッグバンドのスタン・ケントン楽団とウディ・ハーマン楽団で活動し、のち独立したミュージシャンでこのカテゴリーに分類される者が多い。
しかし実際には、当時西海岸で演奏されたジャズ、言い方を変えるなら、ここを本拠地とするジャズメンの中には、ビバップ寄り、クール・ジャズの伝統を汲むもの、ソウル・ジャズやフリー・ジャズの元祖的なものなど、様々なスタイルが混在していた。

57年前のアメリカ音楽シーン(シンクロする日本の音楽)

1960年代
1960年代後半のベイエリアやロサンゼルスは、反体制的なカウンターカルチャーの発信基地であり、ヒッピー的思想、マリファナやLSDなどのドラッグ・カルチャーにより、全米に新時代の若者文化の中心地として広く知られるようになった。
当時のアメリカ西海岸におけるロック・シーンは、前述のジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、ママス&パパス、ドアーズなどが活躍し、それまでのポップミュージックを中心とした時代から脱却しつつあった。また後に登場するクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN&Y)のメンバーを擁したバッファロー・スプリングフィールドなどもいた。この時代を象徴する歴史的音楽イベントのひとつ、モントレー・ポップ・フェスティバルは1967年6月に開催されたが、その開催地も西海岸カリフォルニア州のモントレーであり、西海岸で活動する多くのミュージシャンが出演した。

1960年代から1970年代を跨ぐ頃には、ともにバッファロー・スプリングフィールドの元メンバーが立ち上げたCS&N(CSN&Y)とポコが登場。モビー・グレープのスキップ・スペンスの仲介で、後にドゥービー・ブラザーズを結成するトム・ジョンストンとパトリック・シモンズが対面した。カリフォルニアで結成され西海岸を本拠地としながら、アメリカ南部の泥臭い音楽を採り入れたジョン・フォガティ率いるクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルは、彼らの代表曲である「プラウド・メアリー」、「ダウン・オン・ザ・コーナー」、「雨を見たかい」といったヒットを飛ばした。
1969年、ラテン音楽をベースとした新感覚のサウンドを引っ提げてサンタナがデビュー、CS&N とともにウッドストック・フェスティバルに登場した。

1970年代
1971年、デヴィッド・ゲフィンによりアサイラム・レコード(Asylum Records)が設立される。このレコード会社には、ジャクソン・ブラウン、イーグルス、J.D.サウザー、ジョニ・ミッチェル、リンダ・ロンシュタット、トム・ウェイツ、ウォーレン・ジヴォン、リッチー・フューレイ、クリス・ヒルマンら多くのミュージシャン、作家が顔を揃え、西海岸の音楽シーンをリードした。1974年にはリンダ・ロンシュタットの『悪いあなた』が全米1位、ジョニ・ミッチェルの『コート・アンド・スパーク』が全米2位の大ヒットとなる。
アサイラム派閥と双璧をなす形で、ロサンゼルスのやや北、バーバンクに本拠を置く世界的なビッグ・レーベル、ワーナー/リプリーズ陣営が手掛けるサウンドは「バーバンク・サウンド」と称され、レニー・ワロンカー、テッド・テンプルマン、ジョン・ケイル、ヴァン・ダイク・パークス、ランディ・ニューマンといった職人プロデューサー達が腕をふるい、ドゥービー・ブラザーズ、ライ・クーダー、ハーパーズ・ビザール、アーロ・ガスリー、ボー・ブランメルズ、ゴードン・ライトフット、リトル・フィート、ヴァン・モリソン、キャプテン・ビーフハート、ロレイン・エリソンなどの作品を世に送り出している。

また、1976年にはイーグルスが『ホテル・カリフォルニア』(Hotel California) で、1979年にはドゥービー・ブラザーズが「ある愚か者の場合」(What a Fool Believes) でグラミー賞を受賞。ウェストコースト・ロックは地域の音楽性を指すのみならず、全米の音楽シーンを動かす存在となった。
しかし、1970年代末には日本でも「ウェストコースト・ロック」というカテゴライズ自体あまり用いられなくなっていった。この頃には、アメリカ西海岸はヘヴィ・メタルや産業ロックの供給地として注目されるようになる。サンフランシスコ出身のジャーニー(創設メンバーのうち2人がサンタナ出身)、ロサンゼルス出身のTOTO、パサデナ出身のヴァン・ヘイレンが、世界中で商業主義的な成功を収めることになった。

1980年代以降
1980年代に入ると、ロサンゼルス出身のモトリー・クルー、クワイエット・ライオット、W.A.S.P.、グレイト・ホワイト、ガンズ・アンド・ローゼズ、L.A.ガンズらや、サンディエゴ出身のラット、ラフ・カットなどが中心となり、グラマラスな出で立ちでポップなヘヴィメタル・サウンドを展開する「LAメタル」、「グラム・メタル」と呼ばれる一大ムーヴメントを巻き起こす。サンフランシスコ出身のナイト・レンジャーがブレイクし、湾岸エリアではないがシアトル出身で、1970年代初頭から活躍してきたハートも、1985年にグラムメタル的イメージを前面に出したアルバム『ハート』で全米1位を獲得した。
現在のウェストコーストのロックシーンは、LAパンクやスケーター・ロックなどを全米に発信している。

アーティストの出身地

当然ではあるが、西海岸の音楽業界に関わっている人材がすべて西海岸出身のアーティストであるわけではない。全米各地から西海岸地域に移ってきて当地でデビューしたり、あるいはこの地域に活動拠点を据えて以降にブレイクするなど背景は様々である。
ママス&パパスはそもそもニューヨークで結成されたグループであるし(メンバーのジョン・フィリップス、ミシェル・フィリップスはカリフォルニア出身)、リンダ・ロンシュタットはアリゾナ州ツーソン[1]、ジェイムス・テイラーはボストン、J.D.サウザーはデトロイト出身である。ウエストコースト・ロックの象徴ともいえるイーグルスに至っては、1978年から途中加入したティモシー・B・シュミット(サクラメント出身)以外、西海岸出身者はいない。

代表的なミュージシャン

ジェファーソン・エアプレイン
グレイトフル・デッド
ママス&パパス
ドアーズ
バッファロー・スプリングフィールド
クロスビー、スティルス&ナッシュ
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング
スティーブ・ミラー・バンド
クィックシルバー・メッセンジャー・サービス
モビー・グレープ
ラヴ
イッツ・ア・ビューティフル・デイ
サンタナ
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
ブルー・チアー
ボウ・ブラメルズ
タワー・オブ・パワー
ジェファーソン・スターシップ
ジャクソン・ブラウン
イーグルス
ドゥービー・ブラザーズ
リンダ・ロンシュタット
デッド・ケネディーズ
ブラック・フラッグ
(資料ウイキペディア)

ああ昔はよかった、とあえて云わない天邪鬼・アマノジャク。

再三ことわっておくがすべてが死語であり、虚の世界、戻ることはない。


「夢幻泡影」・・・すべてそこは夢の世界だった???


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画像1.2. 「ジミー・ヘンドリックス」 ウイキペディア



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The Jimi Hendrix Experience - Purple Haze (Live at the Atlanta Pop Festival)






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