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誰でもあった日本の記憶 終わらない「夏休み宿題」

夏休みの自由研究が、世界的発見へ――ニホンオオカミの論文を書いた小学生の探究心 #令和の子

2024/8/11(日) 17:00配信 Yahoo!ニュース オリジナル 特集https://news.yahoo.co.jp/articles/864693e14375f4448a980ae851c648e5a441e636

夏休み中盤。子どもも親も、宿題の自由研究に頭を悩ませる時期かもしれない。
夏休みの自由研究が、後に大きな発見につながった女の子がいる。今年2月、ニホンオオカミの剥製標本が発見されたと科学論文で発表された。世界で6体目という快挙。保管されていた剥製標本を「ニホンオオカミだ」と気づいたのは当時小学4年生の小森日菜子さんだった。


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その後、彼女は本格的な論文を執筆、専門家たちからのお墨付きも得られた。ニホンオオカミの剥製標本が、どのように発見され、論文執筆に至ったのか。現在中学2年生の日菜子さんと支えた両親、研究者らの活動を追った。
(文・写真:科学ライター・荒舩良孝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

小4のとき「ニホンオオカミ」を発見

ニホンオオカミと確認された剥製標本は、特別展「大哺乳類展3」で1カ月ほど一般公開された

今年5月21日、東京・上野にある国立科学博物館(科博)上野本館。特別展「大哺乳類展3」で、一体の剥製標本が公開された。発見されたニホンオオカミの剥製標本だ。ニホンオオカミは20世紀初頭に絶滅したと考えられており、剥製標本は世界で5体しか確認されていなかった。今回の標本は6体目。この標本は、長年、科博の自然史標本棟(茨城県つくば市)の片隅に保管されていたが、当時小学4年生だった女の子によって発見された。

「この剥製標本をこんなに早く展示してもらい、たくさんの人たちに見てもらえて、とてもうれしかったです」

茨城県つくば市にある自然史標本棟には500万点以上の標本が収蔵されている

そう語るのは、発見者である小森日菜子さん。東京都内に住む中学2年生だ。

日菜子さんは、小学4年生のときに見た剥製標本が「ニホンオオカミではないか」と直感した。その後、研究者の手を借りながら、同標本の調査を行い、自由研究としてまとめた。さらに、16ページに及ぶ論文を2人の研究者と共同で執筆。専門家の査読を経て、今年2月に研究論文集に掲載された。共著者の一人である国立科学博物館・動物研究部研究主幹の川田伸一郎さんは言う。

「日菜子さんは筆頭著者。(科学の世界で)論文の筆頭著者は、研究に対して一番貢献度が高い人です。中学生で筆頭著者の論文を出せたのは立派なことだと思います」

二ホンオオカミの標本を小学生が発見したのも、それを論文にまとめたのも、どちらも異例なことだ

この論文は大きなニュースとなり、ニホンオオカミと結論づけられた標本は、会期途中から特別展「大哺乳類展3」で展示されることとなった。会場の出口近くに、急遽つくられたガラスケースに入った標本は人だかりができるほど注目を集めた。日菜子さんはなぜニホンオオカミを発見でき、論文にまでまとめることができたのか。
日菜子さんがこの剥製標本を見つけたのは、2020年11月3日。この日、つくば市で開催された科博の自然史標本棟見学ツアーに参加したときだった。7階の標本室の棚の下段にひっそりと置かれた一体の剥製標本が目に留まった。日菜子さんが振り返る。

「ふだん見ることのできない標本なので、目に焼き付けておこうと、しっかり見ていたんです。そうしたら、ニホンオオカミの“タイプ標本”(オランダに所蔵)によく似た標本があることに気づきました」

額が平らで、前あしが短く、ほおひげがあり、背中に黒い毛がある──。日菜子さんがそれまでに調べてきたニホンオオカミの特徴を備えていた。

日菜子さんは3歳の頃、絶滅動物を紹介する動画を見たことで、絶滅動物に心を奪われたという。
「絶滅動物は珍しい姿をしていたものが多く、こんな生物が本当にいたんだと衝撃を受けました。その後、親に買ってもらった絶滅動物の図鑑『絶滅動物 調査ファイル』をいつも持ち歩き、生きているときの姿を想像するのがとても好きでした」

日菜子さんが小2のときにまとめた自由研究レポート「私もニホンオオカミに会いに行く」

科博の上野本館には、絶滅動物の骨格標本が展示されている。小学4年生くらいまでは親と一緒に月に1回以上のペースで通っていたという。

そんな日菜子さんを両親は見守っていた。父親はこれまでの様子を振り返る。
「3歳の頃から、誰に言われるでもなく、ずっと好きでやっていました。これは彼女の趣味になると思いました。絶滅動物などに関連して行きたい場所があったら、夏休みなどに予定を組んで連れていきました」
そんななかでも、とくに興味をもったのが「ニホンオオカミ」だった。1990年代に埼玉県の秩父山中で目撃情報があったことを知った日菜子さんは、小学2年生のときにニホンオオカミについて詳しく調べ始めた。

小2のレポートで、国内外にある4体のニホンオオカミの標本について調べ、絵や文章で特徴をまとめていた。

ニホンオオカミについての本を読み、インターネットで情報を集めた。剥製については、海外にあるものはインターネットで画像を見つけてプリントアウトし、国内にあるものは実際に見学に行った。その際、自分でイラストなどを描き、ニホンオオカミの見た目の特徴を細かく調べた。父に頼み、秩父山中だけでなく、ニホンオオカミが最後に捕獲された奈良県東吉野村などにも足を運んだ。

「ニホンオオカミがまだ生きているのであれば、会ってみたいと思ったのがきっかけでした。小1のときにニホンカワウソについて自由研究でまとめていたので、その流れで次はニホンオオカミという気持ちもありました」

調べた結果は、「私もニホンオオカミに会いに行く」という手書きのレポートにまとめられた。このときに詳細に知識を得たことが、小4で役に立った。
つくば市での見学ツアーの際、日菜子さんは案内していた科博の職員にその場で「これはニホンオオカミじゃないですか」と聞いた。だが、そのときは「わかりません」という返答で終わってしまった。それでも、剥製の正体が気になった日菜子さんは、翌日、科博にメールで問い合わせた。

科博から返信が来たのは、メールを出して3カ月後の、2021年2月12日。返信には、剥製の登録番号がM831で「ヤマイヌの一種」とされた個体であること、明治22(1889)年には剥製として製作されていたこと、その前には上野動物園で飼育されていた可能性があることなどが書かれていた。

このメールを読み、日菜子さんは一層詳しく調べたいという気持ちが芽生えたという。

「小2で調べたときに、ニホンオオカミのことをヤマイヌと記述することもあると書かれた記事も見つけていて、少なくともニホンオオカミの血が入っている動物ではないかと思いました」

科博からの返信を頼りに調べてみると、明治21(1888)年7月から明治25(1892)年までの間に上野動物園で2頭のニホンオオカミが飼われていたことがわかった。
しかし、日菜子さんが科博の自然史標本棟で目にした剥製(M831)の情報と比べてみると、どちらもあてはまらないように思えた。調査に行き詰まった日菜子さんが注目したのは、このとき読んだ本に書かれていた資料だった。
「ある本の中では、『動物録』という過去の資料をもとにして、上野動物園で2頭のニホンオオカミが飼われていたと書かれていた。なので、『動物録』を見たら何かわかるのかなと思いました。でも、『動物録』がどうやって見られるのかわからなかったので、父に相談しました」

相談を受けた父親が国会図書館に問い合わせると、『動物録』は東京国立博物館の資料館にマイクロフィルムの形で保管されていることがわかった。日菜子さんは父親と一緒に東京国立博物館の資料館に行き、『動物録』を確認した。「『動物録』は明治時代に書かれたものなので、文字がくずし字みたいになっていて、最初は何が書いてあるのかわかりませんでした」

父親の力も借りながら解読していったが、『動物録』を調べてみても、2頭のニホンオオカミ以外にM831の候補となる新たな動物を探しあてることはできなかった。
資料ではこれ以上、M831の正体には迫れない──。そう考えた日菜子さんはもう一度、M831の剥製を見たいと科博に見学を申し込むメールを送った。科博側で対応したのが前出の川田さんだった。M831についての最初の返信を書いたのも川田さんで、当初はM831がニホンオオカミではないかという日菜子さんの説について否定的な考えだった。

「剥製はつくり方次第で形状などを変えることができます。あの剥製がニホンオオカミというのはさすがに考えすぎではないかと思いました」
そう考えつつも、川田さんは本気で調べたい日菜子さんの熱意を感じ、見学にも対応した。M831の標本を詳しく調べさせるだけでなく、M831に関連する資料も見せた。
その中の一つが明治時代に書かれた哺乳類の標本台帳だった。この標本台帳は、東京国立博物館が明治・大正時代に東京帝室博物館と名乗っていたときの所蔵品を記していた。標本台帳にはM831が「やまいぬ」として記載されていたものの、台帳にはM831と書かれた欄に赤い斜線が引かれ、廃棄を示すスタンプも押されていた。

この謎の真相はわからなかったものの日菜子さんは、「M831はニホンオオカミの剥製だと思う」と自分なりの結論を示し、小学5年生の夏に、自由研究作品のレポートとしてまとめた。

このレポート作品は、2021年の図書館振興財団が主催する「図書館を使った調べる学習コンクール」で文部科学大臣賞を受賞した。川田さんは、「ここまでまとめたのなら、ちゃんと論文としてまとめてもいいのでは」と日菜子さんに論文執筆の話をもちかけた。
日菜子さんに論文にするように勧めた研究者はもう1人いた。公益財団法人山階鳥類研究所研究員の小林さやかさんだ。小林さんは、鳥の標本についての研究をしており、M831と同じ時代に東京帝室博物館に所蔵されていた標本についての知見を持っていた。

2人の専門家の協力を得て論文に取り組む

山階鳥類研究所研究員の小林さやかさん。同研究所に所蔵されている鳥の標本を中心に研究を進めている

日菜子さんは、科博で見せてもらった標本台帳について、さらに詳しく知りたいと、インターネットで調べていたところ、小林さんの書いた論文に行きつき、電話で小林さんに連絡を取った。予期せぬ小学生からの問い合わせに、小林さんはとても驚いたという。

「小学生が古い標本の話を聞きたいということにびっくりしたと同時に、どういうことだろうと、よく理解できなくて、結局、メールで質問を送ってもらうことにしました」

後日、日菜子さんは、コンクールに応募直前の自由研究のレポート原稿を小林さんに送り、意見を求め、仕上げていった。送られてきた原稿を読み、小林さんは目をみはった。

「参考資料も入れると(この時点で)70ページ以上ある長いものでした。ですが、おもしろくて、受け取った日の夜には読んでしまいました。大学生のレポートでも通用する内容だと思いました」

日菜子さん、小林さん、川田さんの3人が本格的な科学論文に取り組み始めたのは、日菜子さんが小学6年生になった2022年4月になってからだ。当初の相談は基本的にメールで行われた。まず、日菜子さんが書きたいことを箇条書きにしたものを小林さんに送り、それに小林さんや川田さんが返信し、調整していった。

科博自然史標本棟7階。脊椎動物の標本が保管されている。M831はドアに近い棚の下段に置かれていた

8月、3人はつくば市の自然史標本棟に集まり、M831を前にして論文の方向性について意見を交わした。M831のラベルは科博に移されたときにつけられたもので、それ以外の番号もついていた形跡があった。また、M831の剥製が廃棄されたという標本台帳の記述もある。それらの矛盾点を解消するためにも、小林さんは日菜子さんに、M831がイヌ属の他の動物である可能性を潰したほうがいいと提案した。

「学校の授業もあるので、すべてを調べるのは難しいかなと思っていましたが、日菜子さんはすぐに調べ、その年の冬には分厚い資料のコピーが送られてきて、とてもびっくりしました」

小学生の日菜子さんは論文を書いた経験がなかったため、論文の草稿は小林さんが書き、日菜子さんと川田さんの意見を聞きながら修正していった。資料がそろい、論文がまとまる頃には、M831は1888年に上野動物園に来園した岩手県産のニホンオオカミであることが確認された。

この時期、日菜子さんは中学入試の受験勉強もしていたが、「論文の作業がいい息抜きになりました」と振り返る。

行動力、情報収集力、資料の読み解き方に驚嘆

論文は、科博が発行する研究論文集『国立科学博物館研究報告』に向けて提出され、2023年3月9日に受領された。だが、論文集に掲載されるためには、同じ分野の専門家の査読(専門家が読んで行う査定)を通過しなければいけない。
論文は、査読によって大きな修正を2回求められた。1回目は構成の不備などを指摘され、2回目では、剥製の形態などについて検討することを求められた。必要な修正を済ませ、論文が受理されたのは、受領から9カ月以上経った12月20日のことだった。

学術論文の著者になることは小中学生にとって異例のことだ。しかし、この成果の陰には、つねにそっと支えてきた両親の存在がある。

両親は特別、生物に興味があったわけではない。日菜子さんが3歳のとき、たまたま見せた動画が彼女の絶滅動物への関心のきっかけになった。科博をはじめ、関連する博物館や場所に行ったのも、すべて日菜子さんの要望をかなえるためだ。

調査への関わりも些細なものだ。自由研究や論文の調べ物などでメールを出す際、文面に失礼がないか事前にチェックしたり、子どもの入れない国会図書館に資料があるとわかると、代わりに行ってコピーしてきたり。日菜子さんが年齢的にやりたくてもできないことをサポートしてきた。

日菜子さんの父親が感慨深そうに語る。

「これまで本人が自主的にやりたいことは止めないで、ほめるようにしてきました。剥製や先生方に巡り合って、ここまでやってこられてよかったなと思います」

国立科学博物館動物研究部研究主幹の川田伸一郎さん。モグラ類の研究が専門だが、最近は古い標本や研究史の調査も行っている

科博の川田さんは、日菜子さんとの共同研究を通して、彼女の行動力、情報収集力、資料の読み解き方に驚かされ、勉強になったことも多かったと言う。

「日菜子さんは、標本台帳に記されていたM831の買価が間違っていることを示す資料まで発見してきたりして、とても驚きました。彼女とのやり取りは楽しかったです。今後も、自分がおもしろいと思うものを見つけて、取り組んでいってほしいです」

現在、日菜子さんはさらに研究を進めており、M831がニホンオオカミであることを示す証拠をさらに積み上げていきたいと語る。

「明治時代などの資料を調べていけば、ニホンオオカミが生きていたころの様子がもっとよくわかると思いますし、剥製がつくられた過程からも検証できるのではないかと考えています」

---荒舩良孝(あらふね・よしたか) 1973年、埼玉県生まれ。科学ライター/ジャーナリスト。科学の研究現場から科学と社会の関わりまで幅広く取材し、現代生活になくてはならない存在となった科学について、深く掘り下げて伝えている。おもな著書に『生き物がいるかもしれない星の図鑑』『重力 波発見の物語』『宇宙と生命 最前線の「すごい!」話』など。 Yahoo!




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