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人の思考をギリシア的ロジックで統計分析

一昨日の引用ですが、「イノベーター理論」で市場調査分析ができるという記事を書きましたが、案外これは投票する人間の心理がよめるのではないか、という観点で、いろいろ数をいじってみました。まだ結果に至ってないので、発表されませんが、なかなか含蓄のあるデータが現れました。

イノベーター理論
■・イノベーター理論の5タイプ毎の割合 イノベーター
:2.5% アーリーアダプター
:13.5% アーリーマジョリティ
:34% レイトマジョリティ
:34% ラガード
:16% 上記の割合は厳密にいえば製品による多少のズレはありますが、理論上は商品・サービスに依存しない割合とされています。

そんなことを検索している中、先日来の参院選の選挙模様が、このnoteに掲載されてましたので、その中からピックアップしてみました。

特に目を引いたのが「向山淳」という女性候補者の選挙活動についての記事でした。ま残念だったのは落選報告、という内容なので、それについては触れませんが注目したのは、その履歴でした。
いきなり「ハーバート大院」卒、と云われたら、やはり、一瞬だじろぎますよね。職歴にしても大手財閥系の「三菱商事」ですから、そのまま永田町官僚ポストに収まっても、まったく遜色ない学歴履歴でした。でも比例で落選。
一体なぜでしょう。(落選したエリートたち)

そのパラドックスとして、当選したエリート女子議員がいたので、それを比較すると何か見えるのではないかと、記事を挙げました。
しかしながら、その対比は、まったく参考にはならないハズで、だから題名見出しに「似て非なるもの」と被せたのでした。

まず、「高学歴エリート女子(子ずれリンク)」というのは全く同じです。逆説でいうなら、思い込み「有り余るハイレベルIQ」というのが心の片隅になかったか、という感覚です。
政治以外でも、就職履歴書に「高卒」と書き込む、とか、そんなフレーズ記事がありましたが、まあ作り話しでしょう。

先日もその「肩書」につて、社会は平身低頭、ひれ伏してしまう、というのを書きましたが、この場合は、その肩書(履歴)がアダとなって、一般民(投票者)から敬遠された、という判断ですが、一概にそれだとは断定できません。

その一方の、候補者-「 川久保皆実」2020年10月のつくば市議選挙で「後援会なし、組織票なし、辻立ちなし、選挙カーなし」の選挙運動を行い、見事当選した川久保皆実さん、の例。

という配信メディアの見出しは、いかにも「東大卒」カムフラージュ作戦のようにも見えます。 以下一部引用

「使用済みオムツ持ち帰り」「白飯持参」…保育への疑問がきっかけ選挙運動中、息子を保育所に送る途中にゴミ拾いをする川久保皆実さん選挙運動中、息子を保育所に送る途中にゴミ拾いをする川久保皆実さん(写真提供=本人)

というように徹底した、どぶ板(角栄手案)作戦で選挙選を戦った。いや、それが悪いと云っている訳ではありません。早い話が「上がってなんぼ」(ゴルフスコア例)の即興結果論であって、一時の猶予も許されないのですから。

その後、その選挙戦略の方法についての風聞、専門スタッフ常設事務所の策定に拠ったという「あとがき」を読んで、なるほどと納得しました。云ってみれば映画の主役と監督の仕事の違い、ということです。

黒澤監督「影武者」エピソード

勝新太郎の降板劇
脚本本作は勝新太郎が主演を務める予定だったが、撮影開始直後に黒澤と衝突して降板した。
日本を代表する映画監督と映画スターの決裂は、昭和芸能史に残る事件のひとつとして記憶されている。黒澤は「信玄と影武者が瓜二つ」という設定から、信玄役を若山富三郎、影武者役を勝新太郎という実の兄弟でキャスティングする意向だった。しかし、若山は勝と黒澤のトラブルを予期し、それに巻き込まれることを嫌って出演依頼を断ったため、勝が信玄と影武者の二役を演じ、山崎努が信玄の弟信廉役を演じる形になった。なお若山は、「何、黒澤明? そんなうるせえ監督に出られねえよ、俺は」と、出演依頼を断ったその本音を述懐している。
黒澤映画の撮影班のスクリプターを長年務めた野上照代によれば、勝は撮影前から非常にやる気を見せ、京都の料亭で黒澤をもてなしたりしていた。しかし、独自の演技観をもつ勝と、細部まで完璧な画作りにこだわる黒澤とは相容れない予兆があった。
1979年6月末のクランクイン後、最初のリハーサルで勝は台詞を自己流に読み、黒澤は何回もやり直させた。翌日、勝は役作りの参考にしようと撮影所にビデオカメラを持ち込み、自分の演技を撮影したいと申し出たが、黒澤は「余計なことをするんじゃない」と拒否。怒った勝は衣裳を脱ぎ捨て、外のワゴン車に閉じこもった。黒澤が車内に入って話し合うが、最後は「勝君がそうならやめてもらうしかない」と冷静に言い切った。カッとなって掴みかかろうとする勝を、東宝の田中友幸プロデューサーが羽交い絞めにするという『松の廊下』のような場面もあった。
これにより、『乱』の主演が内定していた仲代達矢が代役として起用されることとなった(なお、当時の新聞上では仲代の代役が発表される以前に緒形拳、原田芳雄らの名前が報道されていた)。
仲代は勝とは気の合う友人同士だったので、撮影前に黒澤組のことを聞かれ、「勝さん、黒澤さんの言うことは全部聞いた方がいいよ」とアドバイスしていた。代役のオファーを受ける前にまず勝に了承を得ようとしたが、どうしても連絡が付かなかったという。仲代は急な登板ながら独自の影武者像を作り上げたが、マスコミからは「勝の主演で見たかった」という感想もあった。また、恩義のある黒澤から代役に指名されて「光栄です」と発言したことを、「役者の仁義に反する」と批判されたりもした。この騒動で勝とは疎遠になっていたが、1996年に仲代の妻宮崎恭子が亡くなると葬儀に勝があらわれ、互いに抱き合ったという。勝自身は降板後も未練があったようで、いろいろな伝手で復帰を画策していた模様である。有楽町で行われた試写会に勝が現れると、黒澤と仲代が咄嗟に隠れたというエピソードもある。映画を観た勝は「(映画は)面白くなかった」「おれが出ていれば面白かったはずだ」とコメントした。  ウイキペディア

話しは、そんな大事ではありませんが大なり小なり、二者の立場の違いは鮮明であり、「どちらも譲れない」という失敗談を黒澤も勝も演じたわけです。
それから話しの結果を導けば、監督の指示をよく理解して映画を作れば、もと良い作品が完成したと誰でも思うでしょう。それと同じことが企業立ち上げの「スタートアップ」にもあって、ITベンチャーの多くは、そうした手順を踏んで成功した、というマニフェストです。

「似て非なるもの」の相似系

黒澤監督と勝新太郎の両者を子弟関係とは云わない。また似たもの同士、でもない。なぜなら、両者の強烈なキャラクターが、人々を引き付けているのであり、水と油、とは云いませんが、高級ウイスキーに注ぐ、万年氷河ウオーターといったらいいのか、有りそうでも実現しない仮想の世界です。

そこで話を、「イノベーター理論」に返りますが、そのグラフ図を30分眺めていてわかったこと、上と下が逆だったことに気づきました。

当初「2.5% アーリーアダプター」ばかり注目していましたが、それだけでは整合性がとれない。それを180度、返してみると「34% ラガード」の中間層に集約されている(確定ではない)、と思ったのです。

これこそコペルニクス的大転換でした。そこに気づくか気づかないか、のターニングパラメータ―だっのです。


動画 corayosaku与作インいすみ

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