見出し画像

文明~疲れてそのリテラシー

トルコの大地震で25000人の犠牲者と報道されてますが、日増しに犠牲者が増えることは必至のようです。お悔み申し上げます。(犠牲者3.4千人)

なんで今頃~、と世界の人々は思っているでしょうが、天災天変地異の大規模地殻変動は、人知及ばざる宇宙の摂理に人は成すすべもありません。

コロナがやっと下火(確定してないが)のようで、人々は戸外に出て、かつての社会インフラを取り戻そうとしています。

また経済的にも「戦争」後遺症で、食料、地下資源石油ガスの流通がマヒし、それが西側諸国に物価高という多大な影響をあたえていることは間違いなく、その打開策も見当たりません。

いましているこの戦争行為でも、複雑な国家間の駆け引きが展開していて、どこで何が原因で、ロシア地下資源が、いまヨーロッパに流れていることや、ウクライナに武器提供していることは、それらの条件を満たしただけで、゛戦争は終わらない゛という事実だけがはっきりとしている状況です。
そうした中のトルコ大地震ですから、もし天国と地獄があるとするならばいま人間地球世界は「地獄」の入り口に入ってしまった、そんなことを感じてしまいます。

昨日、録画していた経済番組を見たのですが、経済指数というのは、誰が決めているか、という答えに対して、すべて人様のアクション次第で左右いずれにも触れるという答えでした。
それがどんな巨額であっても「雰囲気」「気分」「気配」など、人間の感情が振れた時、その度合いに、どのくらいの単位セル(人)が、傾くか、によって上下左右に揺れ動くという専門家の見方です。といっても、いまその気持ちをハイに、なんてできるわけがありません。

そんなことを訊いて思うのが昔話しの「狸、木の葉念仏」で、お呪いを唱えるだけで人に化身し、足元の枯れ葉がアッというまに札束の山に変化するというアレです。それを絵にしたのが「鳥獣戯画図」なんでしょう。

文明~疲れ果てた、そのリテラシー

など、大層な見出しにしましたが、考えられる範囲の浅学では、それしかないような気がします。(小手先だった世界グローバル化破綻)

国内二ュ―スでは、「ぺろぺろスシロー」事件で、世間は大騒ぎになりましたが、店舗側の損失、一瞬にして数億百円の株価下落、やった側家族に至っては、巨額損害賠償という対抗処置に、こちらも地獄の入り口に転落してしまった、という、どちらにとっても非生産性の結末に至ってしまい、救われない結果しかなかったようです。

私の見方の意見ですが、動画というのは誰もがみられる状態で、その結果がすべてを招いた、ということですから、投稿しなければ、なにも起きなかった、という結果論です。

それは後付け結果論ですから、いかようにも変化しますが、その逆説を付けるなら、すべては、その方向に向かって進んでいた、という運命論じみたロジックです。
(一昨日の成田悠輔氏ネット活動引退停止と近似している、あとで解説)

そんなことするのは、親も含めて、いま時だったら普通のことだし、たまたま持ってた(というより必需品)スマホで、回転スシをとって遊ぶんなんて珍しくないので少し、イタズラ、しようと思ったのも子供の好奇心なんでしょう。それでもことは始まっていなかった。

その後、その動画をネット配信(現況ネットインフラはそう仕組まれている)するのは、簡単で、まして普段やっている仕様でクリックすれば数秒で、動画は全国配信される。(一旦出てしまったものは回収不能に近い)

いまネット社会は、スター「YouTube」を探していて、どんなネタが出回っているが寝ず番で、それらを漁っているでしょう。
だから、それが全国に配信されるのは、時間が掛らなかったと思われます(ここですべてが決定した)。
その後の結末は周知の通りで、また今後の成り行きも見過ごすことは出来ません。

時代の「寵児」としてカミ天才と祀り上げられた後の「結末」は電撃的結末で終幕した

そして同じく動画配信での出来事、かの成田悠輔氏のとった自ら引退宣言、とネット配信の決別宣言は、社会にとっても青天の霹靂でした。

なぜなら、これまで、他者に対して「引退宣告」していたものが、その矛先を自分に向けた、云ってみればそれは「諸刃の剣」という非常に危険な立ち回りを演じていて、これまた故事来歴が示すように、自ら返り血を浴びた、という結末のようです。(本人にとってはそれはまったく違うというだろう)。
これについても昨日の、このnoteに書きましたが、門外漢にとってはなにも判らないという裁定でした。

まあ世間的に云うなら変人、変わり者、異端児、ある部分での「偉丈夫」として、メディアが大騒ぎした、ことであって、図に乗って騒ぎ過ぎた、ので抹殺した、ということのほかに、解が見当たりません。それを世間では一般的に「出る杭を叩く」と云いますが。

この比較は正しくないと、先に云っておきますが、「堀江貴文」氏のライブドア事件、逮捕収監、がありました。

■解説 一時は時の人となった「ホリエモン」こと堀江貴文氏だが、ついに実刑が確定するようだ。彼の行ったことは、一言でいえば「儲かっていないのに儲かっていると見せかけた」(粉飾決算)という事である。もう少し詳しく言うと、ライブドアは投資ファンド(M&Aチャレンジャーファンドなど)を仲介し、自己株を売却。それによって得た金を「利益」だとしてPL(損益計算書)に載せたが、これはあくまで自己株の新規発行によって増えた「資本金」であり、PLには記載すべきでなくBS(貸借対照表)のみに記載しなければならなかったということである。
結果としてライブドアは2004年9月期の連結決算において、実態は3億1300万円の経常赤字であったにもかかわらず、53億4700万円の利益を計上することによって50億3400万円の経常黒字であったとする、虚偽の有価証券報告書を関東財務局長に提出した疑いがあるとして訴えられた。
堀江被告は、「きわめて多様な背景事情や経過を伴う殺人罪でさえ、殺された人の数が、死刑の基準とされている。まして、財産犯であれば、被害金額の多寡がきわめて重要な量刑因子であり、また金額により量刑の相場が存する。脱税犯などでは、脱税額やほ脱率が最重要な量刑因子とされ、量刑とそれらの数字とはほぼ比例関係にある。実務で築き上げられてきた量刑の相場が重視されるべきであるのは、当然である。」として上告した。2011/04/26 企業法務ナビ


まったく「似て非なる」例えで、言い訳もないが、違った意味では本質的に社会に与えた影響を思ったとき同質だったとおもったのです。

そのものズバリ「つけあがるのも、いい加減にしろよ」、という社会に対する見せしめ的、リテラシーな杭い打ち。


2023年02月12日記事

西川一三の文脈

西川一三という稀有な旅人は沢木耕太郎の手ですべての旅人の魂に刻まれた!「天路の旅人」感想

2023年1月16日 2023年1月18日 エンタメ ノンフィクションsoraironote

昨年末からお正月にかけてはどっぷりと読書にひたっていました。ひさしぶりに読む旅の本、沢木耕太郎氏の「天路の旅人」です。
1 「天路の旅人」について
戦時中の中国大陸から鎖国チベットへの潜入した西川一三という旅人を描いた、沢木耕太郎氏による長編ノンフィクションです。沢木耕太郎といえば「深夜特急」が有名です。また第三者の旅について描いた作品となると、世界的クライマー山野井泰史がヒマラヤギャチュンカンに挑んだ記録「凍」が思い出されます。
わたしは西川一三という人物についてはまったく知りませんでした。ただ戦時中や戦前に鎖国中のチベットに潜入した先人たちがいるという話はなんとなく聞いたことがありました。その最初の一人河口慧海のチベット旅行記はいつか読んでみたいと思っていた作品でした。
本の帯には「第二次世界大戦末期、中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した日本人がいた。」と書かれています。

もうこれだけで面白そうです!旅好きの人、沢木耕太郎好きの人なら、これだけでもう読んでみたくなるのではないでしょうか。ちなみに「天路」は「てんろ」と読むようです。

天路の旅人
また、本著はありがたいことにお試し版というものがあります。わたしも最初Kindleのお試し版を読んで、もうその段階で夢中になりすぐに書籍を購入しました。迷ってる方はまずはみてみてはいかがでしょうか。

圧倒的な旅
「天路の旅人」感想_地図
わたしは西川一三という人間について、これまで全く知見がありませんでした。そんな人がいたということすら知らない、まったくの白紙の状態で本著を読み始めました。

そしてまず第一に圧倒されました。この西川一三という男の超人的とも言えるこの旅に。読む前はこれほど夢中になるとは思っていなかったくらい、熱中して読みすすめました。バックパッカーのお気楽な旅とは比較にならない、使命をおびた旅である。しかし西川はつらいなかでもいろんなことを吸収しながら、旅のスキルを高めながら、自分の知らない新しい土地、新しい世界をみることに楽しみを見出していった。

こんな旅を自分もしてみたいなどとは軽々しくとても言えないような凄まじい旅。とても真似なんかできない。真似したくないのではない、とても真似ができないような想像をはるかに超えている旅だった。

西川氏の強靭な体力もさることながら、この人物の人柄がまたすごいのだ。至誠の心を大切にする誠実さ、心配り、周りの人から信頼され慕われる様子、リチュ河で自分の危険を顧みず一行のピンチを救おうと思った気概、世話になった人たちへの感謝の思いからのさまざまな行動など、西川一三という人物の魅力にもとても惹かれた。

その根底にあったものは、吉田松陰の「至誠の心」だった。「至誠」とは孟子の教えで「至誠にして動からざる者は未だこれ有らざるなり」というものです。

そしてもう一つ。食べるものがあり、寝る場所があるという最低限の生活で人は幸せを感じることができるという西川の信条である。言葉で言うのは容易いが、西川氏はこの言葉どおりの旅をし、また日本に帰ってからも、この言葉どおりの人生を送ったのだろうと想像できる。

西川氏のこの旅に圧倒されない旅人はおそらくいないだろう・・・

しかしわたしは一方で少し物足りなさも感じていました。
西川氏の旅は突如、本人も望まない形で旅は中断されてしまう。あっけなくも旅が中途半端に終わってしまったことからくる物足りなさは、この本の読者なら皆感じるのではないだろうか。しかしわたしがより強く物足りないと感じるのは、別のものだ。

それは西川氏のその後である。

西川氏が本当になりたかったのは、蒙古高原を自由に駆け回る馬だった。あの馬たちのように、自由に旅がしたかったのだ。もしも西川氏が蒙古高原を自由に駆け回る馬になる努力をし続けたら・・・もう一度あの旅の続きをすることにこだわっていたら、きっといつかは行けたのではないだろうか。

でも彼は汗をかきながら荷を運ぶ馬のような、地道な地に足のついた人生を選んだ。そこには後悔の念のようなものは見受けられない。1年364日、元旦以外休みなく働き続けるラマ僧の修行のような生活を日々を淡々と送リ続けた。

しかしわたしは想像する。西川氏あのとき突如旅が中断されてしまってから最期のときを迎えるまで。何度も何度も夢想したのではないだろうか?あの旅があとき中断されなかったから・・・木村氏が一言相談してくれていたら・・・と。それこそ何十回、何百回と考えずにはいられなかったのではないだろうか。ビルマ、シャム、アフガニスタン・・・まだみたことがない新しい世界を

わたしなら、その後の人生でもっとあの旅の追い続けたのではないだろうか・・・と考えてしまう。

彼はその後の人生でもう一度旅に出るく、汗をかきながら荷を運ぶことを選んだのは、そこに心からの幸せを感じることができたからだろう。

そんな静かな生き方に対する憧れ。寝る場所があり食べるものもあり仕事もあり、最低限生きていくためのものは足りている。多くを求めず、淡々と静かに日々の暮らしの中に小さな楽しみを感じながら生きていく。そこに幸せを感じることができることが、本当の幸せなのかもしれない。

ちょっと物足りないくらいがちょうどよいのかもれしれないと。

最後の言葉というのは正確ではないが、西川が最後に家に立ち寄ったときに娘さんに言った言葉。

「もっといろいろなところに行きたかったなぁ」

自分の最期を予期していた西川が、心の奥底にしまっておいた想いがふっと出てきのではないだろうかと想像する。

西川氏は蒙古高原を自由に駆け回る馬にはならなかった(あるいはなれなかった)が、本当はそういう馬になりたかった、あのとき中断することなく自由に旅がしたかった。もう一度旅に出たかった。そう考えるとこの言葉は本当に切ない。

「こんな男がいたということを、覚えておいてくれよな」

その西川氏の想いに応えたのがこの「天路の旅人」という本なのだと思う。

西川一三という稀有な旅人は沢木耕太郎の手で、この本を読んだすべての旅人の記憶に刻まれるだろう。わたしはこの旅人のことを忘れない。

そんなわけでもう少し西川氏の旅に浸りたいわたしは西川一三著「秘境西域八年の潜行」を読んでみることにしました。


成田悠輔リンク記事



02013出過ぎた杭


編集構成#つしま昇 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?