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父ジョージ・ゴーンとは

昨日の心情吐露話しは、いつになく共感を呼び起こしたようだ。きょうは、その続編ということで、早朝より関連記事を検索吟味していた。

それで判明したことは、社会の関心度数というより、報道メディア側の多少の奮起が読めてきた。おそらく、当該被疑者が日本人であった場合、そのような展開はしていないはずだが、ゴーン氏被告が外国人であり、多彩な経歴と国籍をもっていることに起因していると推定できた。

その詳細は昨日告知したようにライブドアブログサイトにまとめてある。その情報量がはんぱでなく、これを読者に判り易く説明する編集推敲の手間が必要である。

ここでショッキングなニュースネタの一つを紹介しておく。すでに配信済情報なのでスクープではない。発信元は、知名度のある外信系であるから、ガセネタとは思えず、かといって「全幅の信頼」という読み物という内容とは判断しなかった。そこで個人ができる範囲内でその記事を比較検討してみれば、まったく作り話しではないが、ゴーン氏を陥れるに充分な誹謗中傷ネタには違いない、という程度の情報だった。

裏をかえせば、仮にちまた囁かれているゴーン容疑者レバノン逃亡、その小説、さらに映画動画制作には、もってこいのネタのように思われた。この時点で、゛ゴーン被告レバノン逃亡劇゛は新たな展開、別の意味で社会へのプレゼンス、エンターテイメントの要素が一段と強まったと、私は推理した。


ニュースの信ぴょう性??? 2020年01月14日記事
カルロス・ゴーンの父親は神父を銃殺し死刑判決を受けていた
政治経済 2020/01/12 14:30 Forbes JAPAN 編集部
レバノンに逃亡したカルロス・ゴーンの記者会見は、レバノンをはじめアラブ諸国でも大々的に報じられているが、衝撃的な報道が登場した。それは、ゴーンの実父、ジョージ・ゴーン(アラビア語名はゴスン、2006年に死亡)が、かつて密輸にからむ殺人事件を起こした後、いくつもの事件で死刑判決を受けていた、というものである。

ドバイのアル・アラビーヤ国際ニュース衛星放送が報じたところによると、フランスのオプセルヴァトゥール(L’Obs)の東京特派員レジー・アルノー記者が、カルロス・ゴーンの人生にせまる『逃亡者』という本を2月5日に発売する。その本に、ゴーンが6歳のとき、父親のジョージが犯した殺人事件について触れていることが明らかになった。

ただの脅しのつもりが……

アルノー記者の本を事前に入手したクウェートのアル・カバス紙によると、事件が起きたのは1960年4月17日。レバノンの村の路上で銃殺された死体が発見された。

被害者は、ボリス・ムスアド神父。3日後に5人組の犯人グループが逮捕された。その一人が、当時37歳だったジョージ・ゴーン。ダイヤモンド、金、外貨、麻薬の密輸業者であり、ジョージは検察官の取り調べに対し、「ただの脅しのつもりが最悪の結果になってしまった」と供述している。

ジョージは事件の20年前にナイジェリアの首都ラゴスでボリス神父と出会っていた。ボリスはレバノンの山岳地帯で羊飼いから神父になった人物。その神父にジョージは密輸を依頼するようになる。儲けたカネを分け合う関係だったが、「神父の欲深さに腹を立て、仲間をけしかけて脅していたら、神父を殺害してしまった」と、ジョージは供述している。

事件当時、息子のカルロスは6歳。父親は殺人で逮捕されるのだが、その後、さらなる驚きの犯罪が発覚する。

賄賂、偽札、脱出、成功

バアバダー刑務所に送還されたジョージは、「貧しそうだったので憐れんでやった」と看守たちに賄賂を配り、刑務所のドンとなった。昼間は刑務所外で過ごし、夜は刑務所に戻る形で、近くに開いた賭博所で看守や囚人たちをもてなしていたという。

同年の8月4日、仲間11名が逃亡を計画。ジョージは逃亡に加わらなかったが、脱獄に失敗して逮捕された仲間が衝撃的な供述を行う。それは、ジョージがバアバダーの地方検事、予審判事、刑事裁判所長の殺害計画をもちかけていたというのだ。これによって、ジョージ・ゴーンは1961年1月9日に死刑判決を言い渡された。

しかし、ジョージは模範囚となり、その後15年の禁固刑に減刑された。出所したのが、1970年。ところが、話はこれで終わらない。刑務所から出所した4か月後にまた逮捕された。3万4000ドルもの偽札を所持していたのだ。取り調べの結果、100万ドルの偽札をすでに販売していたため、再度15年間の禁固刑に処される。

3年後、刑務所内で自殺未遂事件を起こしたが、チャンスが到来する。1975年初頭、レバノン内戦の混乱に乗じてベイルート脱出に成功したのだ。ジョージはブラジルのリオデジャネイロに逃げて、ブラジルでビジネスに成功。2006年に死亡した。

これまで敏腕経営者としてのカルロス・ゴーンにまつわる本は数多く出版され、本人も多くのインタビューでも生い立ちについて語っている。ゴーンは祖父母や母親については多くを語っているが、父親についてはあまり話してこなかった。密輸、殺人、判事らの殺害計画、偽札など、その犯罪歴を考えれば、当然といえば当然だろう。

実はこのジョージ・ゴーンの悪行は今回初めて暴露されたわけではない。レバノン歌謡界の大御所で、アラブの歌姫としてアラブ諸国では知らぬ人はいない、サバハ(2014年に死去)が自叙伝に書いているのだ。サバハは日本でいう美空ひばりのような存在。彼女が自ら筆をとった自叙伝でこのことに触れているのは、かつての恋人がジョージに殺された神父だったからだ。

レバノンを見捨てた男?

今回、『逃亡者』を書いたアルノー記者は、1960年代にベイルートで発刊されていたフランス語紙L’orientに掲載されていた殺人事件の記事に着目し、そこから丹念に調査を行ったという。

親の罪は子どもとは無関係なのに、今回アラブ社会で報道された背景には、アラブ諸国でのゴーンへの厳しい見方もある。アラブ社会ではオーナー社長がワンマン経営で公私混同の好き放題をやるケースはある。ただ、ゴーンはオーナー社長ではなく、「雇われ社長のくせに何を勘違いしているんだ」という、成り上がりへのやっかみがある。

もちろん辣腕経営者として尊敬されている面もあるが、低所得者層からは「イスラエルに尻尾をふる億万長者」とか「レバノンを見捨てた男」と見られており、そうした庶民感情に応える形での暴露とも言えるだろう。
隠し続けた過去、成功、カネへの執着、元妻へのDV訴訟、そして今回の逮捕と逃亡。まるで戦後を代表する小説家、松本清張が描いてきた人間の現世欲や秘めた怨念の世界のグローバル版と言えるのではないだろうか。(記事引用)


ウイキペディア資料
祖先について
祖父ビシャラ・ゴーンは、レバノンで生まれ13歳でブラジルに移住し、ブラジル北部、ブラジルとボリビア国境近くのロンドニア州の奥地 Sao Miguel do Guapore サン・ミゲウ・ド・グアポレ でゴム産業に参入。最終的には農産物を売買する会社のオーナーとなった。レバノン系ブラジル人である父 ジョルジ・ゴーンはロンドニア州の州都ポルト・ヴェーリョに居を構え、同じくナイジェリア生まれのレバノン人の女性と結婚。

誕生から高等教育修了まで
1954年3月9日にカルロス・ゴーンが誕生した。カルロスが2歳くらいの頃、不衛生な水を摂取したことで病気となり、母親とともにリオ・デ・ジャネイロに移転。カルロスが6歳の時、彼の3人の姉妹と母とともに、祖父の母国であるレバノン・ベイルートに転居し、ベイルートのイエズス会系の College Notre-Dame de Jamhour(コレージュ・ドゥ・ノートルダム・ドゥ・ジャンブール)で中等教育を受けた。その後、パリ6区にあるプレップスクール Lycee Stanislas(リセ・スタニスラス)、そして、Lycee Saint-Louis(リセ・サン=ルイ)で学ぶ。1974年、エコール・ポリテクニーク(Ecole Polytechnique)(グランゼコールの代表格でエリート養成校の一つ)を卒業し、1978年にパリ国立高等鉱業学校(Ecole des Mines de Paris)で工学博士を取得し卒業。

2017年2月21日、総理大臣官邸にて内閣総理大臣安倍晋三ら第3次安倍第2次改造内閣の閣僚と会談。パリ国立高等鉱業学校を卒業した後、1978年に欧州最大のタイヤメーカー、ミシュラン Michelin に入社した。フランス国内で工場長、産業用タイヤ部門の研究開発ヘッドを歴任後1985年、30歳の時に3億ドルの市場を持つ南米ミシュランの最高執行責任者(COO)に任命された。生誕地であるブラジルに戻ったゴーンは、彼に操業の立て直しを命じたフランソワ・ミシュラン(フランス語版)に、ブラジルのハイパーインフレ下における事業の不採算性と困難について直訴している。しかしその中で、南米事業部におけるフランス、ブラジル、その他多国籍の従業員の間での最良な業務形態を模索し、クロスファンクショナルマネージメントチームを結成。このブラジルでの多文化体制下での経験は、後に彼の経営理念の核となるクロス・カルチャーな経営スタイルと強さの基盤を形成した。 ウイキペディア




逃亡ゴーンに「映画化含みで爆弾手記準備」「暗殺部隊が始動」が急浮上!
アサ芸プラス2020年1月14日 05:58

「逃亡先」のレバノンで日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告=会社法違反(特別背任罪)などで起訴=が沈黙を破り、記者会見の場で口を開いた。

 自身の潔白を主張しまくり、古巣の日産への恨み節などをぶちまけたゴーン被告だが、水面下では「爆弾手記」の準備を進めているというのだ。

 その驚くべき中身とは──。

「接見した弁護士から『細かな内容を書くように』と指示され、拘置所での検察官とのやりとりだけではなく、その時に感じた憤りや妻への気持ちをノートに綴り、弁護士に報告。保釈後も裁判所に提出するための『日報』もかなり詳細に記載しています。この中で日々の活動を書くとともに、ゴーンがかなり気にしていたのは、外出時についてくる『尾行』の存在でした。実際には日産側が派遣していた警備の人間だったのですが、ゴーンは『日本の司法が常に監視している!』と弁護団にその正体を告発するように依頼していたとか。こうした『身のまわりに起きた脅威』なども合わせ、手記の発表をレバノン人の知人に話していたのです」(全国紙司法担当記者)

 手記を発表した後には映画化も画策しているようだ。

 ハリウッド映画の有名プロデューサーとの“密会”や、ネットフリックスの独占契約を結んだことまで報じられている。

「ゴーンが考える映画のイメージは、95年に公開された映画『告発』(ワーナー・ブラザーズ)です。アルカトラズ連邦刑務所で受けた虐待を告発し、閉鎖まで追い込んだ実話で、理不尽で不遇な時を過ごす自分と照らし合わせているのでしょうか」(前出・記者)

 主人公のゴーン被告が世界に向けて日本の司法制度を糾弾。そのエンディングも気になるところだが、一方で、レバノンでは過激派の「暗殺部隊」が始動しているという情報まで飛び出して──。

 その理由も含め、1月14日発売のアサヒ芸能1月23日号で特集されている。





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