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むかしの価値感で罰するバイアス

2月24日(2022/2/24)以来、世界の価値観が変わってしまった。というと多少なりとも大袈裟に聞えるが、その代替する適当な文言もみあたらない。

一括りでいってしまえば「戦争」という人類究極の悪行が、いとも簡単に始まった、ということに尽きるだろう。

これまで多くの情報がメディア配信されてきたが、いささか西側サイドよりの価値観また、主観的展開で語られていた。

すっきりした表現にすれば勧善懲悪の物語進行で、白と黒のカラートーンが鮮明な語り口で、ニュースが配信されている。そのことについて、どうこう云う立場にないし、一介の素人が世界紛争について云々というのは身に余るし、また世界政治軍事パワーバランスについての知識もない。

それを東と西の対立構造が鮮明になった結果といえばそうだし、これまでの世界歴史は、ギリシア的世界史によって統一されていた、という見方も間違いではなかった。
そこに貫かれていたの価値観とは、民主主義、その延長にあった政治スタイルと、そこに包括されていた経済システムだった。
昨今そのことに疑問符が付き始め、その結果の現れとして選挙制度そのものの体質が問われ始めた。そうであっても、それに代わるシステムがないというのが現実だ。
そこに隙間風のようにSNS旋風が吹くと、さらに輪をかけて価値観が複雑系になる。この状態は、今後ますます強くなるだろう。

物理学用語で説明する「エントロピー」不可逆

自然界におこる変化は厳密にはすべて不可逆である。したがって、外界から熱的に遮断された体系では、なんらかの変化がおこるたびに、この体系のエントロピーは増大を続ける。これをエントロピー増大の法則という。このことから外界から熱的に絶縁された体系が熱平衡状態に達して、もはやどのような変化もおこらなくなると、この体系のエントロピーは最大値をとるということもすぐいえる。 検索辞書~

簡単に云えば、もの事を一つ作り上げるのに、そこから派生する「いらないゴミ」は増え続けるという定理だ。
 
以下は、時代歴史の記述掲載したものだが、2月24日以来のネットメディアの中で、取り上げるべきニュースもないので、当分のあいだ、自著記事掲載することにした。 

親王任国上総介広常

2015年08月06日記事

上総介広常 誅殺の怨霊?

上総介広常「誅殺」(ちゅうさつ、罪をとがめて殺すこと)
加納久宜、嘉永元年3月19日~大正8年2月26日(1847-1919)第4代上総一宮藩藩主。「父」、立花種道(次男)。加納久恒の養子。慶応3年養父「加納久恒」の死去にともない家督を相続。明治2年(1869)版籍奉還により一宮藩知事。
明治17年(1844)子爵となる。明治23年(1890)貴族院議員。明治27年(1894)鹿児島県知事となり西南戦争の荒廃の復旧に努めた。
前項では「加納久宜」公の輝かしい履歴と爵位を記述紹介したが、では、それが「上総国」と、どう結ばれるのか、という最大の難問に言及していない。

まさにそれは難問で、 桓武天皇によって決められた親王任国の「上総介」とはいったい誰なのか、という歴史の証明は、源頼朝から下された誅殺によって、さらに歴史の下層へと追いやられてしまった。
唯一の手がかり「天長3年(826年)に初めて3国の太守に任じられたのは、賀陽親王(常陸太守)、仲野親王(上総太守)、 葛井親王(上野太守)、いずれも桓武天皇の皇子であった」という記述で追っていくしかなかった。
そこで親王任国という大国の、主要国であった「常陸国」についての資料では、どのくらい収集できるのか、すぐさま検索を開始した。

常陸国 歴代守
常陸国司(ひたちこくし)は、常陸国の国司のことで、常陸守、常陸介、常陸大掾、常陸少掾、常陸大目、常陸少目の各1人で構成された。
常陸国は、上総国・上野国とともに、天長3年(826年)以降、親王が国守を務める親王任国となり、この場合の常陸守を特に常陸太守と称した。
親王任国となった当初から親王太守は現地へ赴任しない遙任だったため、国司の実務上の最高位は常陸介である。

律令による官位相当と定員
養老律令の官位令が定める大国の官位相当は守が従五位上、介が正六位下、大掾が正七位下、少掾が従七位上、大目が従八位上、少目が従八位下である。職員令が定める大国の定員は、守から少目まで各一人、計六人である。但し、宝亀6年(775年)には少掾二員・少目二員と増員している。
※掾(じょう)とは、日本の律令制四等官のうち三等官を指す。「掾」の文字は国司の三等官(中央政府における「判官」に相当する)を指す。 概要. 特に大国と呼ばれる最上級の令制国には特に大掾・少掾が設置された。
国司には含まれない史生の大国における定員は養老令で三人だが、延喜式では五人である。他に国博士一人、国医師一人、学生五十人、医生十人が定員として置かれた。
親王任国となって以降の常陸太守の位階は必然的に他の国守より高くなるため、一般的に従五位上程度ではなく官位相当は正四位下とされた。また、賀陽親王、葛原親王、時康親王など二品で常陸太守に任じられた例もある。

上総の国の一の宮──玉前神社の聖地の構造
京都精華大学紀要 第37号 京都精華大学
1上総国長生郡の一宮玉前神社について
 上総国の国名の由来は『古語拾遺』にあるように、忌部が黒潮にのって房総に到着し、麻をうえたところ、良質の麻がそだつのでその地を「総ふさ」国となづけ、のち、上下に分割し、都に近いほうを「上総」としたという。  上総の国は、北は下総国に接し、南は安房国である。房総半島の中央部を占める。半島の海岸は九十九里浜といい、太東崎から刑部岬まで約66キロある。緩やかなカーブをえがいてつづく美しい砂丘海岸である。
 九十九里というめずらしい名前の由来は、源頼朝の命で、六里を一里として一里ごとに耶を立てたところ、九十九本にたっしたから「九十九里浜」といわれるようになったとされる。玉前神社は、この海岸から3キロほど内陸にはいったところにある。
2 第一の聖地=ヤシロの依代となる器物とその社殿
 玉前神社の創建の事情ははっきりしないが、地元では、景行天皇の東征のとき、と伝えられる。 祭神は、玉依姫(たまよりひめ)命である。

『大日本史』の「神祇志」には「高たか皇み産むす霊びの孫玉前命」とある。しかし玉前命は古書にはみられない。また『神名帳考証』には「天あめのあかる明玉たま命」とする。そして『神道史大辞典』には「玉崎神」とある。このように、祭神はいろいろと説がある。しかし、共通しているのは玉である。社名に「玉」の字がついているように、ご神体は「玉」とされている。その玉について、つぎのような伝説がある。

 江戸時代中期の国学者の中村国香(1709―1769)は、『房総志料』につぎのように記している。
 むかし一の宮の地に潮くみの翁がいた。早朝に潮をくんでいると、東風がおこって明珠が一つ波間に漂い光っていた。それは十二の明珠だった。翁はこれを海藻に包んで家にもちかえり、壁間にかけたところ、夜になって塩室を明るく照らした。翁は恐れいって玉前神社に納めた。これが玉前神社のご神体である。明珠すなわち「寄石」である。

 また『古今著門集』第一巻には、平安時代に、玉前神社の新たな神体が海浜に寄ったという伝説をのせている。
 延久二年(1070)八月三日のこと上総国一宮のご託宣に「懐妊ののちすでに三年におよぶ。今明王の国を治むる時にのぞみて、若宮を誕生す」とおおせられた。そこで海浜をみたところ、一つの明珠を得た。さらに『房総三州漫録』には一宮玉前神社のご神体の玉色黒き由、葺不合尊の舐めたる玉なりしとぞ、玉依姫のもて来りたる由」とある。江戸時代には「黒い玉」といわれていたようだ。

末社はつぎの十二社である
愛宕神社(迦か ぐ具土つち命)、
八幡神社(誉ほん田だ別わけ命)、
三島神社(事代主命)、
白山神社(白山比咩命)、
比叡神社(大山咋命)、
山神社(大山祇命)、
浅間神社(木花開耶命)、
塞さい神社(八やちまた衢彦命、八衢姫命、来く な と名戸命)、
蔵王神社(大物主命)、
淡島神社(少彦名命)、
熊野神社(櫛くし御み け の食野命)、
水神社(罔みずは象の め女命)。

 なお、これらの神々は「先住族」と「出雲族」であり「天孫族」は見られない。

3 第二の聖地=カミの依代となる地物

 海浜にうち寄せられた玉の神事が「玉前十二社祭」である。このほかにもご神体として玉(石)を祭る伝承は九十九里海岸地域におおく伝わるといわれる。
 境内に「白鳥の井戸」という湧水があり、太東岬の湖に通じているといわれる。それ以上のことはわからない。

古社叢の「聖地」の構造(1)京都精華大学

──東関東の場合── 田 中 充 子 TANAKA Atsuko
 神社、正確にいうと日本の古社叢は、拝むところ、つまり拝所は一つではない。だれでも本殿には参るが、それ以外に摂社、末社がある。
 さらにご神木、神池、磐いわくら座あるいは神ひもろぎ籬などがある。本論ではそういう点に着目して、日本の古社叢の拝所、すなわち聖地の構造についてのべる。聖地についてはいろいろな説があるが、ここでは「一の宮研究の方法」(『社叢学研究第8号』上田篤)にしたがって論をすすめたい。

 そこで「日本の聖地」である古い社叢の信仰を、そのまつられる祭神の種類からそれをもたらした者が「天孫族」「出雲族」「先住族」、いいかえると古墳人、弥生人、縄文人とする視点から事例調査した。
 事例調査対象として、東関東に鎮座する一の宮をとりあげる。県でいうと、千葉県と茨城県の海岸地帯であり、昔の国名でいうと南から北へ安房国・上総国・下総国・常陸国である。

~自著ブログより部分抜粋~



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