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日本国憲法誕生の真実 古関彰一

いまも昔も「若者」は政治に関心がない?

その、「若者」は政治に関心がない、という身もフタもない話は、何度となくいったり訊いたりして、ほぼオオカミ少年化しているが、いまだに解決(永遠にしない)しないので、だからその何が問題なのか解決したいと密かに思った。
そもそもこの見出し文だけ読んで、サっと引けてる身振り足音アルゴリズムの風音が聴こえる。

人間の基本的欲求をアバウトに書くと食欲・性欲・金欲、にわけられる。それを証明しているのがSNS上に溢れかえるグルメ情報、未成年少女とワイセツした全メディアニュース、このnoteにも広告しているギャンブル、株式相場、国際巨額ファンド、大型の敵対的買収「M&A」(マスクのツィッター買収)など、昼夜を問わず情報がネットを介して飛び廻っている。

均して評言するなら、新資本主義経済(もはや民主主義は抜かれた)で、金をつかんだ者の勝ち。それをバックアップしているのが国家所有の増刷輪転機で、一声かければ無尽蔵に真券が発行される。

いくら何でもそればかりでは人間生きられないので、その他の三要素、音楽(文学)、歴史(神社祈祷)、政治(本論よりヤジの上手い奴)などがあってとくに音楽は、人間有史以来、ともに歩んできた。
また音楽は、昨今の高性能機材によって聴衆が10万人クラスも可能になった。それだけ音楽は人を夢中にさせ、場合によっては政治介入して国家を揺るがす場合もある。(ジョンレノンのケースは、その要素が強い)
次の政治と歴史は対の要素で、もともと政治は「まつりごと」と称して、政権と民衆発起扇動が共に国家形成に寄与していた。
とくに、穀物生産などは、天気が重要な指針で、それを知る(陰陽五行説呪術)など駆使して占った。またその知識を所有していたものが王また天子を呼称していた。

だから、そられらの三要素は、一見見落としがちなインフラだが、酒と同じで禁止することは不可非だった。
だから今のSNSネットネタは動画で流れる歌の比重が高く、時系列で高い人気は、高収入を得る、というのが不文律になっている。もちろん、その下には数倍の敗者が潜んでいる。 

そんな中で、では政治のスタンスは何かといったら、やはり「ジイさま」世界であり、その自分が投票すべき一票を、どこの誰に投じればいいのかという諦念がある。また、永田町地下室闇アジト、的な門外不出から繰り出された「新法」は、誰が決めて、どの党(組織的集計票)が勝馬に乗って、それを決めたのか、という中抜き状態では、何の事やらさっぱり判らない、という若者多数、という現況なんだろう。

それを変えるには1868年、明治維新に立ち返る必要がある。スパコン富岳を100年計算してもそれは無理だし、ダメ元「二位」に甘んじたとしても、やっぱり実現しない。
そのうち、その若者(1992.3年生前後)は、年を取ってご老体になり、同じように「政治に関心がないな今の若者」と、回顧するのだろう。

2022年07月19日記事

日本の若者は選挙(政治)に関心がない?

アメリカのカイライ日本 アメリカの押しつけではない日本の法律?
2015年02月24日 ライブドア自著記事改定掲載
地方政治が無選挙によってあぶない要因となっいる。選挙に感心がないのは若い世代か、それとも年齢に関係ないかという問い。そんな記事を2月22日に書いた。

現在の日本は災害復興、人口減少、雇用問題、教育、社会保障、財政再建、エネルギー、外交問題など、多くの課題に直面しています。
これらの問題はすべて、日本社会が中長期的にその解決に取り組む必要があるものです。
将来への展望を持ち、問題解決に向けた議論を行う上で、社会の将来を担う若年層の声が政策に反映されることが望まれます。ところが、近年の若者は投票を通じて政治に参加しておらず、結果として課題の解決や制度改革が先送りされている、といった批判が多く聞かれます。果たして日本の若者は選挙に関心がないのでしょうか?(アジア太平洋研究所)

では、そうした意見に対して反論はないのかと、いろいろと調べてみると、さまざまな捉え方で分析している意見も多数あったので紹介したい。

「日本国権法」の話題は、建国記念日にあわせて新聞テレビが報道しているが、ほとんど感心がない。したがって先日の記事にあわせて、地方の「議会制民主主義」崩壊にならないように、「地方自治法」の独自性について研究、では大袈裟なので穿った邪推として考えてみた。

「日本国憲法誕生の真実」古関彰一さんに聞いた(その1・検索記事)

「アメリカの押しつけではない自主憲法の制定」、を掲げて改憲を推し進めようとする安倍政権。そもそも、戦後、日本国憲法はどのような経緯で生まれたのか、当時の人々はそれをどう受け止めたのか。
日本国憲法成立の過程について、国内外の膨大な文献にあたり研究を続けてきた、法学者の古関彰一さんに伺いました。

岩波書店

日本国憲法の誕生 古関彰一 著 刊行日2009/04/16
現憲法制定過程で何が起きたか.
第九条制定の背景にはいかなる事情が存在していたか.著者はGHQ側,日本側の動向を徹底的に解明する.従来盲点だったポイントを新たに分析した新稿を収録し,本書は決定版として刊行される.現憲法への賛否の如何を問わず,知的誠実さを持って憲法に向きあおうという読者の必読書.

■編集部から
本書は1989年に中央公論社から刊行され,吉野作造賞を受賞し,1995年中公文庫に収録された『新憲法の誕生』を大幅に加筆・修正し,新たな書名に変えることによって岩波現代文庫から刊行されることになりました.今回の刊行の背景として,以下のような点があげられます.

第一に,単行本の刊行時点では昭和天皇と憲法改正(新憲法)との関係が文献・資料的にまだ不明の点が多々あったが,その後の20年間に多くの資料や研究書が刊行される中で,叙述を追加・修正する必要が出てきました.今回の企画は文字通り著者の集大成としての著作となります.

第二に,この20年間の時間の経過は,「憲法改正」を現実の政治舞台に登場させることになりました.衆参両院の憲法調査会が設置され(1999年),その後最終報告書(2005年)が提出され,憲法改正手続法が公布された(2007年)ことは重大であり,翻って憲法制定過程に新たな光を当てることが求められていると考えます.

このような中で,単行本・中公文庫の時点と比べると,新たな章も書き下ろすことが可能となり,その他の全章で著者の研究の進展,学界での新たな研究動向,公刊された資料などに依拠して叙述を深めることで,文字通りの新編集版として刊行されることが可能となったのです.

以下,本書の内容を簡単に紹介させていただきます.1945年10月4日にマッカーサーが近衛との会談で憲法改正を要請したのが問題の発端でした.内大臣府御用係として近衛が憲法改正の主導権を握ろうとしたが,それは政府側の抵抗に遭います.直後に組閣した幣原喜重郎内閣が憲法問題調査委員会を設置し,憲法改正の主導権を握っていくことで,日本国憲法の誕生の布石が固められていくのです( I 章).
しかし,民間にも憲法研究会に代表される構想や政党案など含めてさまざまな草案が存在し,豊かな憲法構想が存在していました(II章).一方,10月25日に設置された憲法問題調査委員会(国務大臣・松本烝治委員長)での議論が進み,12月8日には憲法改正の4原則が松本によって発表されていますが,そこには憲法九条の戦争放棄構想などは示されていないことが重要です.1946年2月1日に毎日新聞が「憲法問題調査委員会試案」として憲法改正案の一つをスクープすることによって,GHQでも翻訳されマッカーサーの知るところとなったことが有名ですが,その内容は,明治憲法の修正にとどまっていたのです(III章).
 マッカーサーはもちろんその中身に不満であり,GHQの民政局(GS)で極秘裏に憲法案を作成することを決意します.2月3日に彼が提示した三原則とは,天皇は国の最上位にあること,戦争を放棄すること,封建制度の廃止でありました(IV章).

従来,憲法九条の発案者が誰であるかについては,幣原喜重郎説,吉田茂説,マッカーサー説が存在していましたが,本書では2月13日にGHQ案が日本政府に渡され,2月19日に閣議で報告された過程を『芦田日記』でたどりつつ,戦争放棄条項の提唱者がマッカーサーに他ならないことを明らかにするのです.角度を変えてみれば,この2月から3月初め(政府は6日に憲法改正草案要綱を発表)にGHQはなぜ憲法改正を急いだのかが重要な意味を持っていることを著者は示唆しているのが,本書のポイントです.

すなわち,まさにこの時期に天皇の退位問題が焦点となってくる中で(2月27日にも読売報知で報道),マッカーサーは天皇の戦争責任の免責のためにも憲法改正草案要綱を一日も早く発表すること,そこに昭和天皇が主体的に関わったということを国外にも明らかにする必要があったということを重視しているのです.
 それゆえに3月6日に天皇が発出した憲法改正の勅語には,不自然な突貫作業の痕跡が残されていました(V章,VI章).もっとも,日本側は唯々諾々とGHQ案を丸呑みしたわけではなく,佐藤功が孤軍奮闘してGHQ案の日本化に半ば成功します.
 この過程でGHQ案に表現されていた改革が骨抜きにされ,「きわめて法技術的な面でぎりぎりの,保守体制に有利な,あるいは日本の法伝統に整合するような抵抗を試みた」のでした(VII章).
一方,マッカーサーの日本国憲法への肩入れは本国政府・極東委員会との間で極めて大きな軋轢を生じさせたが,仲介者コールグローブの存在もあり,マッカーサーは危機を乗り切ります(VIII章).さて,日本国内でもGHQに「押しつけられた」憲法として,最後の帝国議会である第九○帝国議会の審議の中で,多様な角度から批判を浴びていくが,吉田内閣はこの憲法によって天皇制が護持されたことを自覚し,この憲法の理念を守るために奮戦していくのです.
 また「芦田修正」の真相についても本書は解明を試みています(IX章,X章).最後の三章は憲法制定後の状況を素描した内容になっています.
 
本書は日本国憲法制定過程を平明に説き起こした随一の書であり,新編集版でさらに充実した内容となっています.
表層的な「アメリカによる押しつけ論」を排しつつ,GHQの主導性を克明に検証し,憲法一条と憲法九条,即ち昭和天皇の戦争責任免責と戦争放棄条項が一対のものとして憲法制定過程の核になっていること,沖縄の軍事要塞化が担保になって九条が実現し得たことを明らかにするなど,(戦争違法化の世界史的潮流とは異なる位相で)九条の歴史的根拠を明らかにし,戦後の平和主義を問い直しているのです.
現憲法への賛否の如何を問わず,知的誠実さを持って日本国憲法について考えようという人々にとって必読の書といえます.ぜひご一読いただくことを願っております.
部分抜粋 以下割愛

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