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現代「サピックス」は官吏職に非ず

塾(寺子屋)は紀元前古代中国の官吏試験にさかのぼる

旧中国に行われた官吏登用のための資格試験。 科は科目で試験する学科目、挙は選挙で官吏を選抜挙用するの意。 隋代から清代まで1300余年間行われた、中国の特殊な制度である。 三国以後南北朝までの中国は貴族制の時代で、政府の官吏の地位は門閥家に独占され,世襲化する傾向にあった。

はあ~そうですか、と嘆息するしかない激戦塾内部事情だが、この日本(特に高層都市部)(じゃ田舎は適用外かといったらそんなことはない)は、親も子も深刻な問題に違いない。

それとは無節操に、YouTubeなどで高学歴(東大、ハーバード)卒の有名人が、大卒に意味がない、大学はいらない、それ(高度リテラシー)でなにすんの?と否定論を展開する。
それでは当人(塾通い)はともかく親御は、そんな無責任な言動など論外だと
ひたすら有名校を目論む。

時あたかも話題の「少子高齢化」のお題目は、流行り言葉ではなく、待ったなしリアルで、時が経過するほどに、その現実は刻々と進行している。またそんなことをここで個人が吹聴したところで「焼石に水」よりも、水、その物が枯渇し、永久保存地下資源と同様、「無尽蔵」にあると誇張する経済既得者(石油権者)の方便を、真に受けている傍観社会の危うさを認知しないというロジックが無為であることを知るべきだろう。

とかいって、そんな理論を展開したところで塾選定の競争が止むほど、社会経済は単純にできていない。

そんな諸々は、以前このサイトで「パンドラのフタ」、で書いてあった。その内容は「少子化」にも関わらず学歴とそれは相関関係ではなく、また都市と田舎に関係なく、どんどん進化し、競争のスピードは衰えることがない。

そんなにことを喩えて、水面沿岸にそびえたつタワマン群は、ストローで飲むジュースのように、細いほど、上に向かって上がっていくという重力に逆らうさまは、古来より謳われた「砂上の楼閣」そのもので、いくら大都市と云えども、人口衰退、河川枯渇すれば、これまた古代都市廃墟(現中国ビル)と同じに、カゲロウと化す、それがあと何年後か、という話しでしかない。

捕捉データ
■パーキンソンの凡俗法則とは?https://note.com/29530503/n/n95f492c10ab
パーキンソンの凡俗法則(: Parkinson's Law of Triviality)とは、シリル・ノースコート・パーキンソン(英語版)が1957年に発表した、「組織は些細な物事に対して、不釣り合いなほど重点を置く」という主張である。パーキンソンがこの法則を説明する際に用いた例え話から「自転車置き場のコンセプト」、「自転車置き場の色」または「自転車置き場の議論」などの言い回しで使われることもある。
パーキンソンの凡俗法則(Parkinson’s Law of Triviality)とは、イギリスの歴史学者・政治学者シリル・ノースコート・パーキンソン(Cyril Northcote Parkinson)が1957年に発表した「組織は些細なものごとに対して、不釣り合いなほど重点を置く」という主張のことです。一般的には「凡俗」を省略して、パーキンソンの法則(Parkinson’s law)と呼ばれます。
複雑で理解が難しく、重要な事柄を見過ごす一方で、簡単に理解・把握することができる些細なものごとに気を取られてしまう組織の性質を表しています。パーキンソンが例として挙げた原子炉のプロジェクトにでてくる自転車小屋の話から「自転車置き場の議論」、「自転車置き場の色」という言い回しでも知られています。
パーキンソンは①の議題については2分半で終わるだろうとしています。金額が大きすぎて技術的にも難しい内容に対して、例え不安な点があったとしても、参加者の多くは何が不安要素なのかを説明することができないとしています。その結果、①の議題については2分半で終わるとパーキンソンは予想しました。
要点
次に②の自転車小屋については、参加者の多くが想像できるので、上述の通り、その屋根に使う素材にまで議論が及びます。その結果、45分はこの議題に費やすだろうと予想します。最後に③の軽食については、今度こそ本当に誰でもわかる話です。例え自転車小屋の屋根に使う素材の議論に加われなくても、軽食についてくるコーヒーがわからないということはないため、「どこ産の豆を使うのか」とか「どこで買うべきか」というところまで議論が及び、その結果1時間15分は話しているだろうとパーキンソンは予想しました。
このように、金額が大きく、重要である議題に対しては大した議論がなされないにもかかわらず、金額が小さくなっていくにつれ、話す時間は増えていきます。

(パーキンソンの凡俗法則の対処方法 なかなか決定しないデザイン~)
民主主義の原則 – 多数決の原則と少数派の権利 アメリカンセンタージャパン
一見すると、多数決の原理と、個人および少数派の権利の擁護とは、矛盾するように思えるかもしれない。一対の柱そうある。
パーキンソンの凡俗法則とは? 2020年3月26日 promapedia 


2023年01月30日記事

今どき学習塾サピックス、タワマン編

タワマンとサピックスはなぜネットで「バズる」のか?タワマン&中受小説の作家が見つけた「一つの答え」【窓際三等兵インタビュー】
2023/1/30(月) 7:03配信現代ビジネス
 ツイッターのフォロワー数は9.6万人(2023年1月末時点)。湾岸地区のタワーマンションに暮らす人々の悲哀をツリー形式で描いた「タワマン文学」で大きな人気を集めたツイッターアカウント「窓際三等兵」をご存知だろうか。
 タワマン文学の先駆者と言われる同氏が、外山薫名義で2023年1月30日に初の長編小説「息が詰まるようなこの場所で」を出版する。
 湾岸タワマンを舞台に、子どもの受験に翻弄される女性と彼女の周囲の人間が繰り広げる群像劇だ。なぜ湾岸タワマンや中学受験という題材に目をつけたのか。フォロワーの多いツイッターアカウント名ではなく、あえて別名で書籍を出版するのか。インタビューを行った。

中略

――湾岸タワマンやサピックスに関する窓際さんのツイートには、「タワマンなんて住むところじゃない」「最上位クラスにいないとサピックスに通う意味なんてない」といったようなリプライも付きます。

 この2つの話題については、Yahoo! ニュースのコメント欄も同じような状況だと感じます。湾岸タワマンやサピックスといったキーワードは、なぜ人の心をざわつかわせてしまうのでしょうか。

 窓際 そもそも不動産や教育は、30~40代が日頃から関心を持っているテーマなのだと思います。大学の同級生や同僚など、同世代が集まると必ずと言っていいほど不動産の話題になります。その次が中学受験。「中受は大変だから小学校受験をさせたい」という話も出てきます。

 誰もが関心はあるのに正解がないから、議論も生まれます。流山おおたかの森でのびのび子育てすべきなのか、低学年から通塾して御三家に入れるべきなのか。100人が100人とも正解といえる答えがない。

 ――湾岸タワマンもサピックスも、イメージが先行して実態はあまり知られていないというのも大きいのではないかと思います。

 窓際 湾岸タワマン在住の知人も多いですが、ほとんどは一般的なサラリーマンなんです。共働き中心で世帯年収は1000万~2000万円。35年ローンにヒイヒイ言いながら子どもに教育費をかけて、自家用車は持てないからカーシェアリングで済ませている。

 今回の小説の主人公であるサヤカも湾岸タワマンに住む共働きで中学受験塾に子どもを通わせていますが、まさにこの典型例として書きました。

 でも一方で、世の中は湾岸タワマン=勝ち組として見ている。だからタワマンが浸水したというニュースになると、「それ見たことか」と盛り上がるのはないでしょうか。

 はたから見れば成功の象徴なのに、実際の住民にその感覚がないという、その認識の違いに興味があります。タワマンよりも本当は港区低層マンションのほうが高いとか、そういうディテールは求められていないんです。あくまでタワマンが「東京の成功の象徴」。サピックスも同じ図式だと思っています。

 ――サピックス=東京の教育の象徴、ということでしょうか。

 窓際 生徒数では早稲田アカデミーのほうが多いし、御三家に受かる子もたくさんいるはず。でもTwitterを見れば分かる通り、インターネット上における中学受験の話題の中心は圧倒的にサピックスなんです。「御三家を狙うならサピックス」というイメージが定着しています。だから耳目を引くために、あえてサピックスという言葉を使っています。

 湾岸タワマン、サピックスなんて首都圏の人にしか通じないと思っていたのですが、時々地方在住の人から「東京は怖い」「住まなくて良かった」というリプがくるんです。それを読むと、書いて良かったなと。私自身も地方の新興住宅街出身。東京のほうが階級が上で、地方が下というような思いは微塵もないので。

 窓際 SNS上には、社会人になってもセンター試験の点数について語る人がいますよね。偏差値と大学の話も同じ。つい序列をつけたくなるのが人間の心理なのかもしれません。マンションの階数や子どもの偏差値は、分かりやすいから盛り上がるのではないでしょうか。

以下割愛

自著引用data

■古代文明のメソポタミア、ぺルシア、レバノン、インダス、中国など、その遺跡後には、数えきれないほどの遺構がのこされている。そして超近代国家「東京」にそびえたつ高層ビル(タワマン、ヒルズ)の一つをサンプリングして、上から透明円筒の真空筒を覆いかぶせ、そこに水を注入し、「巨大水族館」を再現する。
大都会という高密度化の土地では必然的に、上に上に段差で上がるしかなく、面積当たりの高密度は、損得勘定からしてもそうしないと利益にならないという資本経済の掟があった。その現象は、水が重力に逆らって天空を目指す現象によく似ていた。
そこに針の一穴を穿ってみれば、「タワーリングインフェルノ」ごときの、大量放水が一斉に流れ出す。

その水とは、毛細現象で上昇した水であり、換言すれば、古代国家「アクロポリス」の創世であり、そうやって文明が形成されたことである。それから約三千年が経過したいま、世界的人口減少(国、地域によって増加)、少子高齢化がいたるところで始まり、近代国家だったはずの都市の一歩、外れた脇道を歩経遊歩してみれば、そこにはまるで昔の「アンコールワット」のような草木に覆い尽くされた民家が散在するという、ゴーストタウン化は、だれが何と言おうと、とめることができない。

それが昔あった映画「猿の惑星」とか「日本沈没」の透視図だと断言するまでもないが、外にこれといった形容がないという点で、不気味なリアル感がある。そんななか、「そうだ、田舎古民家暮らしを、しようよ」、と国家お題目を唱えたところで、焼け石に水、はわっかっているので、その『頂門の一針』は最後の切り札として隠蔽しておくという、これまたお役所仕事の一環として末永く温存されることだろう。



01030パーキンソン


構成編集#つしま昇

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