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人に(から)愛される、とは何か?

あなたの記事が10スキを突破しました!
hisataroh358さんのスキで、「#404美術館 へのアプロ―チ」は10スキを突破しました!作品が読者に届いています!#404美術館 へのアプロ―チ(racoco #つしま昇 )
スキしてくれた人hisataroh358 いつもの日常に流れていた音楽♬、芸術作品🎞や映画🎨を思い出と共にご紹介しています💫🍀よろしくお願いいたします。🤗 手放せなかった大切なもの 「Walk On」 U2

その記事ですが、これが全く「唯我独尊」、一人舞台の(yosaku与作)劇場的な話だったのですが、まあ一通りの選挙手順を踏んだ回顧だったので、受けたのだと思います。
(アメリカではトランプ再立候補ニュースで持ち切りですが、いろいろ判ってきたのは、並み居るライバル候補など、蹴落とす作戦のようで、それは現役時代の〈キラーカッター〉でも証明されました)

すべてに勝つ、という意味では推薦されますが、それはやがて自分に還ってきますから、自業自得、身から出た錆ともいえる。だから今回のトランプは、その「赤錆」で戦うというのですから勝算はほとんどないといっていいでしょう。

仮想SNS世界に「愛」は存在するか、そして語れるか~

「あなたの記事が10スキ」という昨日の通知ですが、最近目立って増えているようです。
その前では「怪文書」項目では、「ネットにつながっていません」(そんなことはなくて)が出て、一時、困りましたが、私の選挙記事アップが終わって、同時に消えたのですが、それがなぜなのかわからない。だから「怪文書」と名付けたのです。SNSの選挙記事掲載は、終わっても規定が継続するので、よく研究しないといけません。

その選挙と、そしてこのネットSNSには、愛はあるのかという愚門なんですが、その対象が大衆マスメディアに対して、それと個人(男女、親子)に対してという区分けがあるので、きっぱりこれだとはっきり云えませんし、これまで文学上でも、そんな比喩はなかったと思います。

というのは、今回の選挙で感じたのは、有権者一人一人は個人であるのは当然ですが、それらの個人意識を、こちらに向ける、という至難の業は、そこに愛が必要だと思ったからでした。(同様に宗教教会の甘い声は必須項目に思われた)

では普段、その大衆に対して愛をもって語り掛けているか、という難題です。社会に対する不平不満は、よくあるニュースコメントなど見れば、一目瞭然で、賛否論の否定論が大半を占めています。それは愛じゃなくて嫌悪であり、個人であれば憎悪感情で、極端な例だと殺人行為に発展します。その対象は社会枠ではなく身近な個人の場合です。(逆説論でメディアには愛が不可している)。

そんな事例の特異なニュースがあったので、ここに紹介します。すでに、以前から周知していた人物が、拘置収監施設で死亡した、というニュースでした。

私も以前からその人物についてはNHK「クロ現」を見て知っていたので、それが犯罪を犯して収監され、さらに死亡した、という急転直下の意外性への視線であり、「野良犬」のような子供時代、と本人が語るように「社会」から受けた軋轢とバッシングは、想像を絶するものがあったと、推理できたからです。

当然のように「社会」から厳しい制裁的意見と激しいバッシングの「再起不能的叩き」は、ここでもあった。それで結果的に収監先で罪を裁かれる以前の死亡は、はたして「社会」に何を残して、また、それを報道したメディアと「社会」(ニュースコメント欄意見)はそれで留飲を下げるのか、という場当たり制裁は、今も昔もまったく変わらない社会世評でした。

一言で云ってみれば「マイノリティー」に対する偏見ですが、それは何処から発生するのか、という起爆点は、この複雑怪奇な社会では中々、特定できない。となれば過半数という一定の線引きで分けるしかない。それで片付かない人間社会だから、さまざまな問題が生まれ、そして犯罪が発生して、結果的に正と負が相殺されて、「なにもなかった」にし犯罪者がさらにふえるという社会的構図を示しているように思ったのです。

2022年11月17日

歌舞伎町卍會・「ハウル」氏死亡報道の波及

歌舞伎町卍會・ハウル氏、初公判前に突然の死…過去を語らない男の「真実」は闇に…トー横キッズ「やっぱりさびしい」 2022/11/15(火) 18:10配信 弁護士ドットコムニュース

新宿・歌舞伎町で、炊き出しなどをしていたボランティア団体「歌舞伎町卍會」(解散済)。そのリーダーでありながら、少女にみだらな行為をしたとして、逮捕・起訴されたハウル・カラシニコフ氏が東京拘置所内で死亡したと報じられた。

【画像】産経ニュース


産経ニュース


はなから偽善の活動だったのか、メディアに取り上げられるうちに調子に乗ってしまったのか。
かつてハウル氏と目線を合わせた「地べた取材」をした者として、真実が闇に消えたことは残念だ。(ジャーナリスト・富岡悠希)

●古株のトー横キッズ「やっぱりさびしいです」
「友人であった人間がこの世を去るときは、やっぱりさびしいですね」
歌舞伎町にたむろする「トー横キッズ」古株の男性、Aさん(20代)は11月15日午後、ハウル氏死去の報道を受けて、こう語った。

ハウル氏が「歌舞伎町シネシティ広場」(通称:広場)に顔を出すようになった2021年春に知り合った。当初は、割りと近しい関係にあったという。
ところが、ハウル氏は、次第に多くの女性にアプローチを始めた。その手口は強引で、Aさんは「こいつはヤバい」と徐々に距離を置いた。
最近は、疎遠になっていたというが、Aさんはハウル氏を悼んだ。

●ネット上では厳しい意見もあがっている
「残念です」「ご冥福をお祈りします」
歌舞伎町で知り合った仲間の一部も、Aさんと同じ気持ちになっているようだ。メンバーのLINEには、こうしたメッセージが届いている。

ツイッターでも、似たような反応があった。
「亡くなったってマジ!?」「びっくりするしかなしいね歌舞伎町界隈」「今週末広場に花束持って行く」

一方で、ハウル氏に対する厳しい意見も多い。
ハウル氏は今年6月、18歳未満と知りながら家出中の少女にみだらな行為をしたとして、都青少年健全育成条例違反の疑いで逮捕されて、7月に起訴された。11月22日には、初公判を控えていた。
もちろん有罪と宣告されるまでは、「推定無罪」が原則だ。しかし、有罪率の高い日本では逮捕された時点で、世の中からは激しいバッシングが起きる。
特にネットの匿名アカウントでは、死亡が報じられたあとも容赦がない。

●過去を明かしたがらなかったハウル氏
筆者は今年1月中旬、ハウル氏にインタビューを申し込んだ。真冬だったため、喫茶店かファミレスで話を聞くことを想定していた。ところが、待ち合わせ場所のつもりだった広場に行くと、彼から「動きたくないから、ここで」と言われてしまった。気温4度の中、仕方なく「地べた取材」を始めた。体が芯から冷えていった。

記事にするには、1時間ほど聞くつもりだった。ところが15分もすると、「もういいですかね」。まったく足りないことから、粘ると、「富岡さんの取材、長いですね」「ほかのメディアは、これぐらいですよ」。何度も打ち切ろうとした。
さらに特異な取材となったのが、自身の過去を明かしたがらないことだった。
記事では、歌舞伎町卍會の活動や、それに対するハウル氏の思いを紹介するつもりだった。トー横キッズに寄り添おうとする彼を知るには、これまでの歩みを把握する必要がある。
質問を繰り返すが、
「過去を全部明かすつもりはない」。
「全部でなくても良いので、教えてもらえる範囲で」と食い下がったが、得られた情報は少なかった。
取材者としてモヤモヤ感があったが、記事にした。当時、歌舞伎町卍會の活動は広がりを見せていて、世の中に伝える価値があると考えたからだ。原稿を受け取った編集者も同様の意見だった。
その記事では、ハウル氏がトー横キッズと、ベタベタし過ぎない距離感で接していることを好意的に記した。キッズの多くが大人への不信感を持っていることから、彼ならではのアプローチと捉えた。

●昨年秋からメディア露出が増えていった
しかし、メディアに見せていたのとは別の顔をハウル氏は持っていた。Aさんたちトー横キッズは、早い段階で気が付いたというが、多くのメディアはそれを把握できなかった。
裏の顔をつかめないまま、ハウル氏の言動をそのまま取り上げたメディアは多数あった。

中でもNHKは今年2月、看板番組『クローズアップ現代+』に登場させていた。
キッズに寄り添う、心優しい「兄貴」と位置付けた。

ハウル氏は、昨年秋から今年始めにかけて、一気にメディアへの露出を増やした。そしてその後の逮捕で、短期間で消えることになった。

1月のインタビューで、ハウル氏は「親がいなかった僕は以前、野良犬のような生活をしていました」と明かした。
そうした過去が、キッズやホームレス支援につながったという。言葉をその通りに受け止めると、広場に来て支援活動をし始めた2021年春ごろは、真っ当な「善意」を持っていたのかもしれない。

●公判で真実を明らかにしてほしかった
写真撮影は、サングラス姿しかOKが出なかったが、男性の筆者から見ても、素顔はいわゆる「イケメン」の部類に入る。
歌舞伎町卍會が大きくなり、メディアの取材を受けるようになるにつれ、増長してしまったのではないか。そして、ついに一線を超えてしまったと見立てる。
残念なことに、周囲に止めてくれる仲間はいなかったようだ。解散前の卍會は、さほどガバナンスが効いている組織と見受けられなかった。
11月22日からの公判で、本来ならば真実を明らかにしてほしかった。自身の行為を真摯に反省して、罪をつぐない、更生の道を歩むこともできたはずだ。
もはや広場に戻ることは歓迎されていなかったが、ほかにも生きる場所はあっただろう。まだ30代前半で、チャンスをつかめたかもしれない。更生への歩みも含め、取材機会を永久に失ったことを悔しく感じている。

弁護士ドットコムニュース編集部  記事引用


「トー横」ハウルNHK 「クロ現」 について、(削除記事)・・・

NHK『クローズアップ現代+』内容を変更 2022年06月23日22時03分
J-CASTニュース
NHKは今年2月、看板番組『クローズアップ現代+』に登場させていた、キッズに寄り添う、心優しい「兄貴」と位置付け<とする番組
逮捕の「トー横」ハウル、NHK「クロ現」ページから削除した。

「子どもたちに慕われていた」などの記述 
ボランティア活動で知り合った少女にみだらな行為をしたとして逮捕された「ハウル・カラシニコフ」こと「小川雅朝」容疑者(32)をめぐり、NHKの報道ドキュメンタリー番組「クローズアップ現代+」のネット記事から、「ハウル」を取り上げた記述が 2022年6月22日 までに削除された。

NHK 少年少女とのやり取りなども削除
報道によると、小川容疑者は歌舞伎町の「トー横」と呼ばれるエリアで清掃や炊き出しのボランティアを行う「歌舞伎町卍会」の代表を名乗って活動していた。
21年12月と22年3月に少女を自宅に連れ込み、みだらな行為をしたとして、警視庁少年育成課が6月22日、東京都青少年健全育成条例違反の疑いで小川容疑者を逮捕した。
「クロ現」のサイトに2月22日付で掲載されている記事「『トー横キッズ』~居場所なき子どもたちの声~」では、当初「そうした子どもたちが相談を寄せる人がいます。

みずからを「ハウルと名乗る男性」、本名や年齢などは明かしませんが、「4年前から歌舞伎町でホストなどをして生計を立ててきた」といいます。

週末になると、「手作りの食事を無料で提供しています」などと取り上げていた。紫色の髪に黒マスクを着用した姿の写真も掲載。
少女に対して「体売らないほうがいい。まじで下手したら一生カモられるわ、変なやついたら」などと叱っていたという描写もある。

NHKサイト上にあるこの放送についての「取材note」では、「ブルーに染めた長髪にサングラス。見るからに怪しい雰囲気で、最初はこちらも警戒していて、取材するのはどうしようかというのが正直なところだった。

ただ、手作りの食事を子どもたちに振る舞ったり相談に乗ったりしていて、大人が嫌いなはずの子どもたちに慕われていたので、機会をみて話を聞くようになった」といった記述がある。

小川容疑者のものとみられるツイッターでは~

「私や子供達が三ヶ月近く取材を受けていたNHKのクロ現の番組が2022年の放送品評会のギャラクシー賞に選ばれました」
「有難う御座います。これからも頑張ります」

と感謝の言葉を述べていた。

上記「クロ現」のページ上からは、前述の内容を含む「ハウル」を取り扱ったパート文章、写真が全て削除されーー
「※その後の取材に基づき6月22日、記事を修正しました」と追記されている。

読売新聞の23日付記事によると、NHK広報局は同紙の取材に「取材過程で犯罪が疑われるような情報には接していませんでしたが、番組で取り上げた人物が逮捕されたことは遺憾です」とコメントした。

2022年06月23日22時03分 J-CASTニュース


Twitter 東横キッズ「クロ現」 再現

https://twitter.com/nhk_kurogen/status/1496113807260884993?ref_src=twsrc^tfw">February

仮想SNS世界に「愛」は存在するか、そして語れるか~

という邦画映画のようなタイトルは、アナログメディア側にとって、御朱印モノと自画自賛できますが、今回の私の選挙活動広報も含めて、ネットSNS世界というものは、つくづく仮想世界である、と感じたわけです。(当然、ここに扱った、クロ現トー横ハウル氏記事も別の意味で仮想的なそして正真正銘のアナログ事件としてスポットした)。

その動機はというと例の「怪文書」のことで、出たり消えたり、そして突然現れたりと現代版幽霊のような荒唐無稽は、これから先でも脅威なコンテンツであるとおもったものです。(世界紛争超大国の攻防も含む)

そのまったく逆の投影図として、ここでも挙げた「成田 悠輔」氏の経済指標であったり哲学であったり、はたまた日本女子と、和気あいあいとしたトーク番組であったり、それらがネットに載って発信されるという、このインフラは、外に比肩する喩えようもないものなのでしょう。

たぶんそは「成田 悠輔」というカリスマが発するオーラのようなものが、人々を惹きつけ、かつてのアマテラスのような神通力という「愛」モドキのもとに人は吸い寄せられ、それに恍惚としてしまう。

換言すれば絶対的なマス化の究極のすがたであり、それにはこのネットSNSが最適だった、ということなのでしょう。
だからそこに愛はあったのです。(といっても女子歌手アイドルに群がる男子おっかけの次元か)。
そんな分析をしてみると、じゃ個人と個人におけるネット上の愛は、どこに行った、ということですが、それもちゃんとありました。

それをどうして発見したかといったら私個人としてのスタンスを、ネットで明らかにしたことで匿名枠を拭い去った、そこから新たな展開が始まったということです。

その結果は、特定の個人名で、私に対して親書のようなシンパシーというべき秋波を感じ取ったからです。ここで名は上げられませんが追々、交流逸話など語ろうと思いました。

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草刈 自画像


■ネットは世界を駆け巡る。その仮想世界は「ある」と信じれば存在する神のような「イデア」であり、ときとして実像のようにふるまうこともある。




構成編集 #つしま昇


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