地球上での絶滅が危惧される種
その記事を読んでいて、「絶滅危惧種になる」とはにんげんのことかと早合点したが、まんざら、ないことはないと、今の紛争を目の当たりにしておもったこと。
北海道犬が、その該当種になるという新聞記事だったので留飲をさげたが、人間でなく犬だったので検索してみようかと、調べた。
日本犬6種の一つの北海道犬、こんなにかわいいのに知名度低くいつか…
読売新聞 / 2023年12月29日 20時25分 以下はウイキペディア資料
■北海道犬は、主に北海道で飼育されてきた日本犬の一種である。体格は中型犬で、アイヌの猟犬としての歴史が長く、アイヌ犬とも呼ばれる。1937年(昭和12年)12月、天然記念物に指定され、北海道犬と呼ばれるようになった。歴史
起源
縄文時代初期、縄文人が東北地方から北海道へ渡る際に同伴したマタギ犬(山岳狩猟犬)が、北海道犬のルーツだと考えられている。
弥生時代に入ると、日本に移住した渡来人によってもたらされた犬と、小型の日本在来犬(いわゆる縄文犬)との間で混血が始まった。地理上の理由から、北海道では渡来系の犬の遺伝的影響は他の日本犬に比べて限定された。
これは1970年代に文部省の科学研究費で、田名部雄一(岐阜大学・麻布大学)が各地の日本犬(薩摩犬や三河犬など)の全国的な血液分析を行い、琉球犬と北海道犬に類似が見られることから導き出された仮説である。田名部は後に韓国や台湾、インドネシアを含めて約4000頭のサンプルを集め、台湾原住民が飼う犬との共通点も指摘している。
現在遺跡から見つかっている縄文犬の骨と北海道犬に体格や骨格の特徴に類似が見られず、またミトコンドリアDNAの解析では異なる結果も出ている。別の説では、鎌倉時代に本州から北海道へ移住した人達に連れられて来た中型の獣猟犬が祖先ではないかともいわれている。
北海道犬ツール
北海道犬 別名 アイヌ犬、どうけん
原産地 日本の旗 日本(北海道)
特徴
主要畜犬団体による分類と標準
FCI Group 5 Spitz and Primitive dogs Section 5 Asian Spitz and related breeds #261 標準
JKC 5G:原始的な犬・スピッツ 標準
UKC Northern Breed 標準
イヌ (Canis lupus familiaris)
縄文時代初期、縄文人が東北地方から北海道へ渡る際に同伴したマタギ犬(山岳狩猟犬)が、北海道犬のルーツだと考えられている。
弥生時代に入ると、日本に移住した渡来人によってもたらされた犬と、小型の日本在来犬(いわゆる縄文犬)との間で混血が始まった。地理上の理由から、北海道では渡来系の犬の遺伝的影響は他の日本犬に比べて限定された。これは1970年代に文部省の科学研究費で、田名部雄一(岐阜大学・麻布大学)が各地の日本犬(薩摩犬や三河犬など)の全国的な血液分析を行い、琉球犬と北海道犬に類似が見られることから導き出された仮説である。田名部は後に韓国や台湾、インドネシアを含めて約4000頭のサンプルを集め、台湾原住民が飼う犬との共通点も指摘している。
現在遺跡から見つかっている縄文犬の骨と北海道犬に体格や骨格の特徴に類似が見られず、またミトコンドリアDNAの解析では異なる結果も出ている。別の説では、鎌倉時代に本州から北海道へ移住した人達に連れられて来た中型の獣猟犬が祖先ではないかともいわれている。
呼称
アイヌは犬のことをセタやシタと呼び、地方によっては「火の神の庭にいつもいる神」や「庭にいつもいるもの」を意味するアイヌ語で呼ばれていた。また死んだ犬のことを地方によってはレエㇷ゚(這うもの)やレエㇷ゚・カムイと呼んだ。
1869年(明治2年)、イギリスの動物学者T・W・ブラキストンがアイヌ犬と命名した。1937年(昭和12年)12月21日、文部省によって天然記念物に指定され、正式名称が北海道犬と定められた]。翌年、管理者として北海道庁が指定され、第二次世界大戦後は北海道教育委員会に管理が委ねられた。品種は英名ではHokkaidoと呼ばれる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
犬、と云えども時代が縄文時代までに遡るということは、やはり人との係わり方が、ヒトと一心同体だったことが理解できますね。だったら絶滅する終焉期だって同じじゃないかと、遠くない将来を考えてしまうのです。
先日の「ウンブキ」縄文発掘に紐づいて、その北海道犬も、一緒に生活していたと思うと、愛しい存在だったペット愛犬ということですね。
まあ、師走、お日柄も考慮して、端から「イスラエル戦争」では気後れしてしまうし、イヌの話題にしましたが、イヌも戦争も盆暮れ正月がない、という点では共通項のようです。
その記事を探したのは早朝、4時ころでしたが、さすがに、その時間に、その話題は憚られるとおもったのです。
また、その記事には、その現地民族の歴史とか宗教思想が書かれていましたが、果たして世界の重大紛争といって、日本市民が、その部分をどの程度、知りたがっているのか、大きな不可分が占められているし、また当該記事にしても、それでは読まれないだろうという予測はあります。
個人的にも、その詳細を知ってどうなる、というものでもなく、理解したからと云って、和平が進むとは到底思えないからです。また、日本の兵器パトリオットが高い敷居をくぐって外洋に出ると云うことは、すなわち火の粉が降りかかることに直結するという事態に気付いていない社会ということなんですね。云ってみれば年寄りの老婆心のようなお節介は、如何ともし難い、としか云えません。
だとしても、グローバルな時代として、それらを知っておく必要はあるでしよう。
なぜトルコはイスラエルを舌鋒鋭く批判しているのか? 殺害、拘束、拷問などを正当化する"テロとの戦い"の矛盾
集英社オンライン / 2023年12月29日 9時1分
内田樹氏、山本直輝氏との共著『一神教と帝国』を上梓した中田考氏。イスラエル・ハマス紛争をめぐる問題の淵源について、イスラームの観点から深くとらえる論考を寄稿する。
奥行きのあるトルコのイスラエル批判
ガザは旧約聖書にも名前が登場する旧い町です。「ヨシュア記」によると預言者ヨシュアがガザの地を奪っていますし、「列王記上」にはソロモン王がガザの地を治めたと記されています。
7世紀にはアラビア半島にイスラーム勢力が勃興すると第二代正統カリフ・ウマルの時代にシリアはイスラーム帝国に組み込まれ、それ以来、ガザのアラブ化、イスラーム化が進みます。そして16世紀にオスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼし、シリア、エジプトを支配下に置きスンナ派イスラーム世界の盟主となるとガザも他のパレスチナの地と同じくオスマン帝国の支配下となりました(1516―1917年)。
オスマン帝国の崩壊後、パレスチナはイギリスの委任統治領となりましたが、イギリスはオスマン帝国の土地法をそのまま引き継いだので、理論上は現在もイスラエルではオスマン帝国の土地法が生きています。また民法のレベルでもイスラエルでオスマン帝国民法「メジェッレ」が廃止されたのは1984年で、廃止後もその影響は様々な分野で残っており、オスマン帝国の多くの法律が現行のイスラエルの法律に組み込まれています。
特に宗教に関しては、イスラーム教徒や各宗派のキリスト教徒などの宗教共同体が宗教の自治を享有しそれぞれの宗教法廷を有するオスマン帝国のイスラーム法的宗教多元制度(ミレット制)に基づくラビ法廷と市民法廷の混合裁判所の存在が「世俗的宗教国家」としてのイスラエルの国体の根幹をなしています。実はそれも当然でした。イスラエルの初代首相ベン・グリオンをはじめ多くの建国の祖たちはオスマン帝国の法学校の卒業生だったからです。
ガザの人口は約200万人ですが、ガザのハマス政府保健省の発表によると10月7日のイスラエル襲撃以来11月26日までにガザでは5500人の子供を含む14500人以上が殺されています。
多くの遺体ががれきの山に埋まっており正確な数の把握は困難ですが、世界保健機関(WHO)はこの統計を疑う理由はないと述べており、なによりもSNSやメディアから、イスラエルの攻撃でパレスチナ人が殺され、病院や住居が破壊される悲惨なガザの映像がリアルタイムで流れ続けており、イスラエルの蛮行の凄まじさは疑う余地がありません。
10月7日のハマスのイスラエル襲撃による死者は1200人ですが、現在ではそのうちかなりの数がイスラエル人が人質になるのを防ぐための殺害を許可する「ハンニバル指令」によってイスラエル国防軍によって殺されたことも明らかになっています。
欧米が口を極めてロシアの残虐性を非難したウクライナ戦争でも、人口4千万人のウクライナでの2022年2月から2023年8月までの1年半の間の民間人の死者が10049人、子供はそのうちの499人である、とウクライナ検察が発表していることからも、人口200万人のガザで2ヵ月弱の間に5500人の子供を含む14500人を殺害したイスラエルの残虐さは際立っています。
イスラエルによるガザでのパレスチナ人虐殺は、欧米と日本を除く世界のほとんどの国がジェノサイドであるとして即時中止を訴えていますが、中でも歯に衣着せず舌鋒鋭くイスラエルを批判しているのがトルコです。それはトルコがオスマン帝国の継承国家であるとの自覚があるからで、それがトルコによるイスラエル批判を奥行きがあるものにしています。そこで本稿ではトルコのイスラエル批判を手掛りに問題の真相/深層に光を当てたいと思います。
国連を機能不全に陥らせてきたのはアメリカ
トルコのエルドアン大統領は、イスラエルのパレスチナ人虐殺を非難し即時停戦を訴え、欧米諸国は自分たちがユダヤ人の民族浄化(ホロコースト)を行った負い目からイスラエルへの非難を控えている、と欧米を批判しています。
しかし実は問題の根本はキリスト教がローマの国教になって以来、ナチス・ドイツによるホロコーストに至るまで、ユダヤ人を差別し間歇的に迫害し続け、ナチス・ドイツが滅びると、責任を全てナチスに押し付け、キリスト教ヨーロッパ諸国における異分子であるユダヤ人を追い出しパレスチナに押し付けることで「ユダヤ人問題」を解決しようとしたことにあることを指摘しているのです。
また「イスラエルは便利に利用されているだけで用が済めば切り捨てられる駒である」とのエルドアン発言は、欧米諸国が、オスマン帝国を滅ぼすために帝国内のスラブ系諸民族、ギリシャ人、アラブ人、クルド人などの諸エスニシティ集団にナショナリズムを植え付け叛乱(独立運動)を焚き付け「テロリスト」に仕立て上げて、オスマン帝国への「テロ」活動を指嗾したことを承けています。
しかしオスマン帝国が滅び第一次世界大戦で勝利すると、欧米(英仏)はクルド人やアラブ諸国の独立への約束は反故にし、委任統治の名の下に植民地支配を続けました。そしてイギリスはアメリカを戦争に引き入れるために、ユダヤ人貴族院議員ロスチャイルド卿を通じてアメリカのシオニスト機構に、勝利の暁にはユダヤ人がパレスチナに入植地(National home)を持つことを認める約束をしました。
その結果としてアラブの独立を先送りして、イギリスの委任統治下でパレスチナにユダヤ人の入植地を増やしていったことが現在のイスラエル/パレスチナ問題の発端になっています。
11月13日にイスラエルのヨルダン川西岸における入植は違法であり和平の障害となっているという国連総会決議が賛成145、反対7で採択されましたが、反対したのはイスラエル以外ではアメリカ、南太平洋島嶼3国、カナダ、ハンガリーだけでした。翌14日トルコ国会議長ヌマン・クルトゥルムスが「国連はゴミ箱に捨てられた機能不全の組織」と酷評しました。
これは拒否権を持つ国連安全保障理事会常任理事国アメリカが必ずイスラエルを無条件に支持してイスラエルに対する安保理制裁決議を通させないので、国連がイスラエルのいかなる無法行為も止めることができないことを指しています。事実、12月8日には安保理理事会は人道目的の即時停戦を求めるアラブ首長国連邦が提出した決議案を採決しましたが、理事国15カ国のうち13カ国が賛成したにもかかわらずアメリカの拒否権発動で廃案になっています(英国は棄権)。
ウクライナ戦争で、常任理事国のロシアの拒否権でロシアに制裁が科せられないことで、欧米は国連の機能不全を言い立てましたが、アジア・アフリカの国々の大半はロシアに対する欧米と日本のロシア制裁に同調しませんでした。
アジア・アフリカ諸国のこの醒めた態度の背景には、これまでも国連加盟国の総意を無視して拒否権を使って国連を機能不全に陥らせてきたのはイスラエルへの制裁案を全て葬ってきたアメリカであることが周知の事実だったからです。
実はアメリカの「異常な」イスラエル支援(偏愛)は世俗的合理性では説明できない「異常な」理由によるところが大きいのです。それがイスラエル国家の建設は聖書に予言された最終戦争によるキリストの再臨と世界の終末の前兆であるとみなし、イスラエルのメギドの丘で最終戦争(ハルマゲドン)を起こすことでキリストを再臨させようと望んでいる「クリスチャン・シオニスト」と総称される危険なカルトの存在です。
クリスチャン・シオニストは統一教会などとは比べ物にならない危険なカルト集団ですが、彼らもイスラエルのためではなく、自分たちの宗教的信念のためにイスラエルを利用し、イスラエルだけではなく全世界を最終戦争に巻き込もうとしています。
ちなみにイスラエルにまで行って、ガザに落とされる爆弾に「イスラエルよ永遠なれ」などと日本語の祈りの言葉を嬉々として書き込む動画が世界中に配信されて有名になった日本の極右カルト「キリストの幕屋」もこうしたクリスチャン・シオニストの変種です。
殺害、拘束、拷問などの人権蹂躙を正当化する「テロとの戦い」
それだけではありません。今日の国連の機能不全と国際秩序の崩壊に対して、イスラエルとのこの「異常な関係」よりも更に重大な責任をアメリカは負っています。
それは9・11に対して当時のブッシュ大統領が戦時国際法に規定のなかった「対テロ」戦争という危険なスローガンを掲げて、実体の分からない「テロ組織」を相手にするとの口実で、アフガニスタン、イラクに侵攻し、犯罪の捜査もせず証拠もないままに裁判もなく民間人を一方的にテロリストと決めつけ殺害、拘束、拷問などの人権蹂躙を行うことを正当化したことです。
このブッシュの「対テロ」戦争以降、ロシアや中国のような権威主義国家だけでなく、自称「自由民主主義国家」でも、権力に抗う集団を「テロリスト」と呼び、政敵に「犯罪者」の烙印を押した上で「テロリストとは交渉せず」のスローガンを掲げることで、不正な権力に対する正当な批判をも封殺し、それでも抵抗を続ける者は捜査令状も裁判もなく拘束、監禁、暴行、拷問、殺害する道が開かれてしまったのです。
イスラエルは死刑を廃止していますが、「テロリスト」のレッテルさえ貼れば、捜査も逮捕も裁判もなくどんな人権蹂躙でも可能であり、幼児や小学生でもいつでもどこでも射殺、爆殺することができます。それが現在ガザで起こっていることです。そしてそれは今にはじまったことではなくイスラエルのパレスチナ占領地では日常的に起こっていることです。
今回のガザ戦争はそれが可視化されたものに過ぎません。イスラエルの人権組織B’TSELEMは2000年以降2023年9月末までのイスラエルによるパレスチナ人殺害とパレスチナ人のイスラエル人殺害を完全データベース化しています。それによるとパレスチナ人側の死者が10672人であるのに対してイスラエル人の死者は1330人ですが、イスラエルはパレスチナ側の暴力を「テロ」と呼び、その8倍のパレスチナ人の死を「自衛」として正当化しています。
ブッシュの「対テロ」戦争を容認してからの欧米主導の「国際秩序」、「自由民主主義国家」の正体は、自分たちの既得権、現行の秩序の不正な利権構造の既成事実に異を唱える告発者を「テロリスト」と呼ぶことで都合が悪い批判を封殺し、それでも抗い続ける者は物理的に抹殺しておきながら、口先では「人権」を唱えて自分たちの「西洋文化」の押し付けを拒否する異文化の他者を抑圧的に支配するダブルスタンダードの「仮面をかぶった文化植民地主義者」に過ぎません。
ガザが可視化するこの世界の矛盾
アジア・アフリカの富を収奪し民を搾取する欧米諸国(+「名誉白人国家」日本)が、国境という牢の檻によってそれ以外の国々からの人間の自由な移動を禁ずることで成り立っている「領域国民国家システム」は巨大な牢獄です。「天井のない監獄」と呼ばれるガザと今そこで起こっているイスラエルによる人権侵害は、ナショナリズムや人権などの美辞麗句によって隠蔽されている世界の不正、矛盾を拡大し、顕微鏡で見るように解像度をあげて可視化して我々の眼の前に突き付けたものなのです。
トルコのガザへのメッセージはイスラエルと欧米への他責的批判だけではありません。クルトゥルムス国会議長は、前述の国連批判の前に「イスラエルの最大の強みはイスラーム世界の弱さ、イスラーム世界の不統一と無秩序のイスラーム世界の現状である」とイスラエル建国の責任が誰にあったのであれ、現在進行形のイスラエルによるガザでの蛮行を許しているのは、イスラーム世界の盟主カリフをいただくオスマン帝国を滅ぼし西欧の領域国民国家システムに取り込まれて分裂して内紛により力を殺がれて無力化されている自分たち自身にあることをムスリム諸国民に向けて訴えているのです。
なるほどサウジアラビア、アラブ首長国連邦、エジプトなどはイスラエルのガザのパレスチナ人の虐殺を非難しパレスチナの独立の支持を口にしています。しかしその本意はパレスチナ人のためではありません。つまり「パレスチナ人はパレスチナを出るな、パレスチナ“難民”を自国には決して受け入れない」との宣言であり、批判の矛先が自分たちに向かうのを恐れて、前もってイスラエルによるパレスチナの不法占拠に目先を逸らせるためにおこなった目くらましの宣言に過ぎません。
人類と大地を既得権者たちが支配する抑圧的カルテルの手から解放し、言語や民族や宗教の違いを超えて、法の支配の下に全ての住民が生命と財産の安全を保障されて域内のどこにでも移動、移住することができるイスラームのカリフ制の理念によってしか、ユダヤ人とパレスチナ人の公正な共存はありえません。
それが多様な言語、民族、宗教が混じり合った多元的エスニシティ集団の共存のシステムであったオスマン帝国の継承国家トルコからの、ガザの悲劇の解決を目指す世界の全ての人々に向けられたメッセージなのです。
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ヨーロッパのユダヤ人は古代イスラエル人の子孫ではなく、トルコ系ハザール人?「ハザール人」とはいったい何者なのか?
橘玲 2023.12.14 4:35 ダイヤモンド
10月7日にイスラーム原理主義の武装組織ハマスがイスラエルを攻撃したが、この事件の半年ほど前(2023年4月30日)、パレスチナ自治政府のトップであるアッバース大統領(PLO:パレスチナ解放機構議長)がパレスチナ民族評議会で、「ヨーロッパのユダヤ人は古代イスラエル人の子孫ではなく、トルコ系ハザール人であり、イスラエルの地とは無縁だ」などと述べた。この動画が拡散したことで、アッバースは欧米から「反ユダヤ主義」との批判を受けた。
ところで、「ハザール人」とはいったい何者なのだろうか? アッバースの発言がなぜ「反ユダヤ主義」になるのかを理解するためにも、今回はその数奇な歴史を紹介してみたい。
「ヨーロッパのユダヤ人」がハザール起源説は誤りだった
ハザール(カザール:Khazars/Kazar)は7世紀から10世紀にかけて黒海北部からカスピ海、コーカサスにかけて繁栄した遊牧民族の国家だ。自らの手で歴史書を残すことはなかったものの、同時代のイスラームやヴィザンチン(東ローマ)の資料にその存在が繰り返し出てくる。ハザールをとりわけ有名にしたのは、8世紀から9世紀初頭にユダヤ教を国教として採用したとの複数の歴史資料があることだ。
ハザール人はテュリュク(トルコ)系の遊牧民で、6世紀初頭には黒海とカスピ海のあいだのステップ地方で大きな勢力をもつようになった。カガンと呼ばれる君主に率いられたハザールは、南からのイスラームの圧迫を受けたことで、西のヴィザンチン帝国と緊密な関係を維持するようになったようだ。
7世紀末、鼻を削がれてクリミアに追放されたヴィザンチンの皇帝ユスティニアヌス二世はハザールのカガンの妹と結婚し、その武力によって復位に成功する。ハザール人である皇帝の妻はテオドラと名をあらため、宮廷で大きな影響力をもつようになった。
733年、ヴィザンチンの皇帝レオ三世はイスラーム勢力を抑え込むため、息子のコンスタンティノス六世の妻にハザールのカガンの娘を迎えた。2人のあいだに生まれた子どもはのちにレオ四世として即位し、「ハザールのレオ」と呼ばれた。
いずれも史実として認められているが、これほどの影響力をもったハザールという国について論じられることはほとんどない。その理由のひとつは、ハザールが「ユダヤ国家」だとすると、政治的にきわめてやっかいな問題を引き起こすからだろう。
アッバースが「ヨーロッパのユダヤ人」といったのはドイツ・東欧諸国で暮らしていたアシュケナージム(よく使われる「アシュケナージ」は単数形)のことで、これまでその起源は謎とされていた。ここから、「ハザール滅亡後に、黒海沿岸にいたユダヤ教徒たちがロシア(ルーシ)やモンゴルに追われて西へと移動し、東欧に定住したのがアシュケナージムだ」との説が唱えられるようになった。
ヨーロッパのユダヤ人は古代イスラエル人の子孫ではなく、トルコ系ハザール人?「ハザール人」とはいったい何者なのか?
嘆きの壁で祈るユダヤ教徒 Photo :wonderland / PIXTA(ピクスタ)
これがもし正しいなら、イスラエルの政治・経済の中枢を構成する「ヨーロッパのユダヤ人(アシュケナージム)」は、中東起源ではないのだから、イスラエル/パレスチナの地への「正当な歴史的権利」をもたないことになる。これが、アッバースの発言が「反ユダヤ主義」とされる理由だ。
こうして歴史家はハザールに触れることを避けるようになったのだろうが、これではますます「陰謀論」の温床になるだけだ。そこでこの「謎の国」の歴史を述べる前に、2つのことを確認しておきたい。
まず、アシュケナージムのハザール起源説は、もともとは「反ユダヤ主義」ではなく、ユダヤ人自身のルーツ探しの過程で唱えられるようになったこと。それがイスラエル建国によって、反ユダヤ主義のプロパガンダに使われることになった。
もうひとつは、近年の遺伝人類学の調査の結果、アシュケナージムが遺伝的に中東とつながっていることが示され、ハザール起源説が説得力を失ったことだ。
中略
それを受けてユダヤ人の歴史学者のなかにも、積極的にハザール起源説を取り上げる者が現われたと述べている。キーウ(キエフ)生まれの歴史家アブラハム・ポラックは1951年に『ハザリア――ヨーロッパにおけるユダヤ人王国の歴史』を著し、「このイスラエルの歴史学者は、東欧のユダヤ人の大半が、ハザール帝国が権力を行使していた空間の出身であることを(略)断固として確言していた」とされる。
だがその後、ハザール起源説が「イスラエル国家の存在する権利という普遍的大義への問い直しにまで及びかねない」と気づくと、イスラエルではこの説に触れることがタブーとなり、「沈黙の時代」が訪れる。それと同時期にスターリン時代のソ連においても、「東洋の奇妙なユダヤ人」の存在が「母なる祖国ロシア」と矛盾しているとされ、ハザールの歴史を語った者が「ブルジョワ学者」のレッテルを貼られて弾圧される「否認の時代」が始まった。
この「沈黙」と「否認」を打ち破ったのがアーサー・ケストラーによる1976年の『The Thirteenth Tribe; The Khazar Empire and Its Heritage(第十三支族 ハザール帝国とその遺産)』だ。ケストラーは、ユダヤの民は十二支族からなるとの伝承を踏まえ、ハザールのユダヤ人は13番目の支族だと述べて(翻訳出版が認められなかったイスラエルを除いて)大きな反響を巻き起こした。
アーサー・ケストラーは1905年にハンガリー(ブダペスト)で生まれたユダヤ人(アシュケナージ)で、20代でシオニズム運動に傾倒してパレスチナに入植し、その後マルクス主義と出合ってドイツ共産党に入党、一時はソビエトに滞在したが、全体主義的な独裁体制に絶望してフランスに亡命し、ジャーナリストとしてスペイン内戦を取材した。
ナチスがフランスを占領するとヴィシー政権下で南仏の収容所に送られたものの、外国人部隊に配属されてイギリスに逃亡、イギリス軍に参加してドイツと戦った。戦後はスターリン体制を批判し、1956年のハンガリー動乱でも積極的に活動したが、60年代になると徐々に政治から距離を置くようになり、自然科学に関心が移っていく。
1967年の『The Ghost in the Machine(機械の中の幽霊)』などで科学の還元主義を批判したケストラーは、部分を越えた全体としての「ホロン」を唱えて、ホーリズムやネットワーク論の先鞭をつけた。日本では83年に『ホロン革命』が先行して翻訳紹介され(『機械の中の幽霊』の翻訳は95年)、ニューサイエンスブームの火付け役になった(押井守の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は“The Ghost in the Machine”の影響を受けている)。
1983年3月、ケストラーは強度のうつ病から「自らの意志によってそれが可能であるうちに自らを苦痛から救出する」との遺書を残し、睡眠薬を用いて妻とともに自殺した。
『第十三支族』は、ケストラーの波乱万丈の人生の晩年に書かれたものだが、彼自身がユダヤ人であることからわかるように、謎に満ちたハザールの歴史を検証し、アシュケナージムのルーツを探るのが執筆の目的だった。ケストラーはこの著作が「イスラエルという国家の存在する権利の否定に結びつけられてしまうという危険性」を懸念し、「イスラエル国家の存在権は(アブラハムが神と交わした神話的契約ではなく)国際法に基づいているのである」と強調している。
さらにケストラーは、反ユダヤ主義とは(古代中東でセム系の言語を話していた)セム民族に対する民族差別だが、アシュケナージムが「アブラハム、イサク、ヤコブの種より、フン人、ウイグル人、マジャール人により近いということ」になれば、「アンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)」という言葉は空しく、「それは殺戮者と犠牲者双方の誤解に基づいて生まれたことになる」として、ハザール王国の物語は「歴史の最も残酷ないたずら」とも書いている。
ケストラーの『第十三支族』は、日本においては、宇野正美の翻訳で『ユダヤ人とは誰か 第十三支族・カザール王国の謎』として1990年に出版されたが、宇野は86年にベストセラーとなった『ユダヤが解ると世界が見えてくる』などで、ユダヤ人が世界征服を計画しているという偽書「シオン賢者の議定書」を引用したことで、「日本で反ユダヤ主義が台頭している」としてニューヨーク・タイムズなどから批判された。
この事件を受けて宇野は「反シオニスト」となり、ユダヤ陰謀論やホロコースト否定に傾斜し、やがて「古代ユダヤ人が日本に来ていた」と主張するようになる。『ユダヤ人とは誰か』の翻訳出版はこの時期のもので、「訳者序文」で「『アシュケナージはカザール人』はユダヤ社会の常識」だとして、「アシュケナージ・ユダヤ人、すなわちもとは中央アジアにいたカザール人がなぜそのように(自分達の先祖がこの地に住んでいたから自分達もここに住む権利があると)主張するのか」などと書いている。これはケストラーが危惧していた反ユダヤ主義そのもので、本書は真摯な歴史研究であるにもかかわらず、日本においては(残念ながら)「陰謀本」の類と見なされることになった。 ハザールがユダヤ国家になった経緯とは。
以下割愛
https://diamond.jp/articles/-/335366?utm_source=antenna
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