散らかりメンタルにジャーナリング
「これやってみたいな」
「これってこういうことかも」
「これにときめいた」
「これに傷ついた」
そんな思いつきやひらめき、感情の動きがいつも、体の中で絶えず移り変わっている。
目まぐるしく過ぎる日々の中で、一つ一つ見つめて形にするなんて、到底間に合わないくらいに。
でもそんな毎日を過ごしていると、だんだんと時間だけが進んで心が置いていかれているような、頭や心の中がぐちゃぐちゃモヤモヤして感度を失っていくような感覚になる。
ゴミが溜まる、風通しが悪くなる、みたいな。
あまり快適な状況じゃない。
こんなとき、ごちゃついた自分の中身をスッキリととのえる方法を、私は知っている。
「ジャーナリング」だ。
ここが好きだよジャーナリング
とにかく自分の内にある考えを、感情を、出るがままに出す、出す、出す。
私は口で話すのが苦手で、発話した端から自分が何をしゃべっているのか、何を既に言ってこれから何を言いたかったのか、その場で忘れる。空気に溶けて消えていってしまう。(みんな難なくできててすごいよね)
だけど、書くとなったら話は別だ。嘘みたいに、するすると自分の中身を出せる。
書いた言葉が呼び水になって、あれもこれもと言いたい外に出したいと、途端に雄弁になるのだ。
キーボードで打つのも悪くないけれど、最高に効くのはやっぱり、紙に書き出すこと。
なんの罫線もない、大きめの白紙だとベスト。
単純に、左の端っこに今思っていること感じていることをちょこんと書いてみる。
すると、関連した何かが絶対に出てくる。それは補足だったり、派生だったり、反省だったりする。
雑然としたそれらを、特に分類せず、線で繋いで自由に書いていく。
書き進めていくうちに、まったく違う分野でリンクしている思いに気付くこともある。それも、紙の上で俯瞰して、全体を眺められるから気付けるのだ。
頭の中を出し切ったら、一旦冷静な目で違う色のペンをもつ。
そして全体を見て、
「これからどうしていこうかな」
「総じてどんな感じかな」
を書き込むと、これまでとこの先がしっかり接続できて、「今ここ」に自分が戻ってこれる感覚が得られる。
A5一枚分も書けば、超~スッキリできる。
頭の中に詰まってたごちゃごちゃをまるっと外にポイして、思考がクリアになる。なんて晴れやか~!整う~~!
書いていくうちに、「あれもしたい、これもしたい」「これもできてる!あれもできてる!」って気持ちも湧いてきたら儲けもの。
自分の頑張りを褒めて、未来が楽しみなマインドに整えることができる。
なのにできないジャーナリング
今日、2か月ぶりくらいにようやく、この自分の中身の棚卸しを行った。
それまでは、ここしばらく自分を見失ったまま鬱々と過ぎる毎日に引きずられるような、そんなよく慣れ親しんだ灰色の生活を送っていた。
そんな状態にこそジャーナリングはてきめんに効く処方箋だと、頭ではわかっている。やり始めたら、それはもうスッキリできるんだって。
なのに、どうにも腰が重いのだ。いつも。
面倒くせえ~~~~~~という気持ちになっている。
自分の内面に潜って、言葉として書き出して、ってすごくエネルギーを感じる作業に思える。時間も手間もかかる。気がしている。
だから、あえて立ち止まってそこに向き合うには、多少なりとも浮上できている状態じゃないとダメなんだよなあ……と思う。
これならできるかもジャーナリング
超ととのうのは間違いないので、できたら面倒くさい気持ちを乗り越えて、もっと自由自在にジャーナリングに取り組めるようになりたい。
必要なときにこそ、できるようになりたい。
ということで、今回上手く手を付けてジャーナリングできた時の例をメモして、次回メンタルブレイクした時に立ち止まれるようにしておきたい。
混沌に沈んでいる未来の私や、誰かの助けになりますように!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?