一向に長門を理解できないキョン 映画『涼宮ハルヒの消失』感想(ネタバレあり)

映画『涼宮ハルヒの消失』を観てきた。

涼宮ハルヒシリーズは中学生時代に夢中になって読んでいたものの、細かい展開はほとんど記憶から落ちており、『消失』も先の展開が読めず再度ワクワクを体験することができた。
また、中学生時代は特になにも思わなかった朝比奈さん(大)に感情移入するようになったことにも時間の流れを感じ、歳を重ねるごとに名作を見直すありがたみを改めて知った。

個人的に気になったことやどうしても言いたいことをまとめておく。

長門とキョンのすれ違い

この映画では、キョンが消失した涼宮ハルヒを探し求め、必要としていることを改めて自覚するまでが描かれている。ハルヒを探し求めるあまり、キョンに密かに思いを寄せていた改変世界の長門(以下消失長門)のアプローチは徹底して無視され続ける。図書館の思い出を語るシーンも、キョンにとっては元の世界に戻るヒントとしてしか興味を示されない。
消失長門とキョンの間には徹底したすれ違いがある。


では、長門とキョンの間ではどうだろう。


時空改変を引き起こした長門の"エラー"は、キョンへの恋心と解釈することができるだろう。
それは長門が改変して生み出した消失長門が明らかにキョンに好意を持っていることや、恋愛的な脅威であるハルヒがわざわざ別の高校に(しかもご丁寧に古泉をつけて)飛ばされている都合のいい配置から妥当な解釈だと考える。

ところで、キョンは長門が世界を改変した理由を「(エンドレスエイト含む)長い時間ハルヒに振り回され、毎回ワイルドカードとして駆り出される生活にうんざりしてしまったから」だと解釈した。

キョンのこの解釈には、率直に言って違和感を覚えた。
何故なら、キョン自身はキョンが改変前の世界を望む理由はハルヒに振り回される日常とハルヒへの好意だと明確に理解しているからである。あくまで他人の気持ちを想像したからとはいえ、そこまで自覚しているはずのキョンがどうしてハルヒに振り回される日常を否定的に捉えた結論に至るのだろうか。
なぜ、長門が改変後の世界を望む理由はキョンとの普通の日常とキョンへの好意だと気づけないのだろう。長門が"感情"を抱けるという前提にはなんの疑いもなくたどり着けているのに……。

朴念仁さゆえと説明することもできそうだが、個人的には別の理由を推したい。
キョンは長門の好意を(少なくとも水面下では)自覚している。しかし、これまでは曖昧にし、表面的にはハルヒを邪険にしてきたものの、『消失』では明示的にハルヒを選ばざるをえない。(意地の悪いことに)エンターキー以外のキーはたくさんあるのに、キョンはたしかに時空修正プログラムを起動するエンターキーを押下したのだ。その罪悪感を軽減するために、長門を無意識で誤読して長門の好意をブラインドしたのではないだろうか。
エンターキーを押下するまでのわずかな時間のうちに行われた入部届の返却は、ハルヒのいる世界と消失長門のある世界を天秤にかけたことで初めて長門の好意を意識したキョンによる、長門の好意に対するできる限りの誠意の表明だったのかもしれない。
クライマックスシーンの朝倉(この朝倉が長門によって都合よく改変された朝倉だとすると)の一撃は、自分のハルヒへの好意には自覚的な一方で長門の好意は徹底的に気づかないふりをし続けるキョンへの怒りと虚しさの鉄槌なのだろうか……。

以下、散文的な感想

消失長門の読む本について

村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読んでいた。本書は二つの世界の物語が並行して進む構成でもあり、一方の世界では失われた図書館の女の子の心を取り戻す過程が書かれていて、なんとも示唆的な一冊である。
ちなみに卓上に大量に積まれていて、キョンが床に落とした本は早川書房の『世界SF全集』である。消失長門もSF好きなのだろう。

光陽園ハルヒとの再会について

最高に手に汗握るシーンだった。やはりこの人がいないと始まらない。
キョンにとっては元の世界に戻れる期待をこれでもかとばかりに大きくしてくれる僥倖であり、私たちとしても待ちに待ったシーンだったが、ここでのハルヒの表情の変化が良い。
世界に向けて盛大に放ち、誰もが知るところとなった一方でその真意を知る人は誰1人としていなかった七夕のメッセージを知っていることを伝えられたハルヒは、キョン以上に救いの手を差し伸べられたような切実な表情をしていた。この瞬間、この時空のハルヒは初めて自分の異端さとそれを誰にも理解されない諦観から解放されたのだろう。泣いた。

朝比奈さん(大)について

私が最も心を動かされたシーンの一つは、公園のベンチで一通り時空改変の状況を説明した朝比奈さん(大)がキョンに「話をしましょう」と思い出話を促すところである。
中学生当時はなにかごまかそうとしていたのか? といまいち意図が掴めなかったが、今見返すと朝比奈さん(大)は青春を共にした旧友との旧交を温めたがっていたのだろうなと思う。
キョンにとっては朝比奈さんは大であれ小であれ短くて濃密な青春のレギュラーだが、朝比奈さん(大)にとっては当然違う。未来人という性質上、キョンとこの先会える回数もタイミングも知り尽くしている朝比奈さん(大)にとってのキョンとの邂逅は、キョンのそれとは重みも意味合いも全く異なるだろう。朝比奈さん(大)は切実に限りのある一回を、有意義に過ごしたのだ。

映画全体について

本作は2時間半を超え、映画にしては長尺である。アニメーション映画の中では異例なほどらしい。最後まで集中して観られるか不安だったのだが、これは全くの杞憂だった。
後から知ったのだが、ハルヒとの再会がちょうど映画の中央部に位置されていることも含め、一定時間ごとに話が大きく動くシーンが入っているらしい。長尺ながらイベントが多く、テンポが良くて最後まで夢中になって楽しめた。

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