松本侑子『みすゞと雅輔』感想

 1984年、夭逝した天才童謡作家金子みすゞ(本名:金子テル)の遺稿が童話作家矢崎節夫によって発見され、初めて出版された。みすゞの自殺から50年以上を過ぎてのことである。遺稿を保管していたのはみすゞの義理の弟で劇作家の上山雅輔(本名:上山正祐)である。『私と小鳥と鈴と』『大漁』に代表されるちいさないのちや個性をいつくしむ詩の数々は、個人主義を重んじるようになった昭和末期並びに平成の世で時代を超えて広く受け入れられた。東日本大震災の渦中にACのCMでみすゞの『こだまでしょうか』が取り上げられ、話題になったことは誰もがよく覚えているだろう。みすゞはありとあらゆるいのちに目を向けいつくしむ、天使として記憶された。
 地元、仙崎の自然とともに生きたみすゞ。
 詩作を禁じ、娘の親権を奪おうとした夫に死をもって対抗したといわれているみすゞ。
 本書では、天使として記憶されたみすゞの人間性が弟雅輔の視点から取り戻されている。本書に倣い、以下みすゞ=テル、雅輔=正祐と表記。
 ここでは特に私の心に残ったテルと正祐の絆、テルの夫敬一についての感想を述べたいと思う。

才能ある若き二人

 下関商業学校で学年で四番の成績を修めたことを自慢する正祐に、テルが

「私は、女学校の卒業式で総代をつとめたけえね」

と言い返して見せるシーンがある(p94)。当時なら女学校を出たというだけでも相当の才女であるから、文学少女テルの優秀さ、プライドの高さがよくわかるエピソードである。その慧眼を生かし、生家の金子文英堂では仕入れも担当していたという。特に童謡を好んで読み、同じく本屋の息子である正祐と童謡雑誌について意気投合してから二人の深い交流が始まる。
 二人で好きな詩を抜き出して清書して名詩集を作ったり、テルの好きな北原白秋の『片恋』に歌をつけたり、テルの結婚話がちらつくと反対する正祐など恋仲を思わせる描写も多いが、私がとりわけ気に入ったのは二人の仲を案じた正祐の義父・松蔵が経営する上山文英堂の出張店で居候のテルを働かせるようになった時の話である。テルを心配して様子を見に行った正祐は、そこで落ち着いて雑誌を読んだり、伸び伸びと客の相手をするテルを見て、胸を温かくして帰宅する。十八歳の正祐が義姉に向ける感情は、ただの思慕や執着ではない。そこには文学を愛する同志としての敬愛がたしかにある。バケモンとバケモンの牽引を見せつけてくれる。

 のちにテルは愛読する童謡雑誌『童話』に自作の詩の投稿を始める。よく知られた『大漁』をはじめとしたこれらの詩は『童話』主催者西條八十の目に留まり、数多くが紙面を飾った。
 テルの投稿に影響され、音楽少年だった正祐も童謡雑誌『赤い鳥』の作曲欄に初めて投稿した。初投稿作はトップの推奨作としていきなり入選し、ここに正祐の才能が見て取れる。
 しかしここでテルにピンチが襲い掛かる。テルの才能を認める西條八十が『童話』の選者を辞めたのだ。これをきっかけにテルの詩は掲載回数が減り、スランプに陥る。テルの詩が採用されない『赤い鳥』に義弟の正祐が入選したのも不調に拍車をかけただろう。テルは高熱を出し、正祐はその原因は自分のせいだと推測して傷つく。テルは単なる芸術の友ではなく、ライバルでもあることを意識したからである。ここで正祐は、投稿を辞めようと決断する。

 「自分の入選は、幸運な偶然だろう。正祐は、自分の曲作りがいわば人真似の凡庸なものだと悟っていた。だがテルには天与の、たぐいまれなる才能がある。」(p141)

 才能の塊が本物の才能の塊に出会って自分の程度を自覚し、筆を折る! これが文学を愛する同志としての敬愛でなくてなんだというのだろう!(二回目)
 本物には本物のスゴさがわかる。才能あふれる二人に思わず打ち震えた場面であった。

名誉が回復されたテルの夫

 本書でテルを超えて最もイメージが変わったのはテルの夫、宮田敬一である。世に知られる宮田像は

・子供が生まれたテルに詩作を禁止する
・夫以外と交わりのなかったテルに淋病(性病)を移す
・離婚の際親権を主張し、これがテルの自殺の原因とされる

等散々であるが、本書では敬一についてもあらゆる点から記述がある。例えば、テルに詩作を禁止したとされる背景。敬一は十歳の時に母を亡くしており、孤独な少年時代を送っている。そのような寂しい思いをさせまいと、テルに娘に目をかけるように懇願するシーンがある。(p302)
 そもそも敬一が外で遊び歩くようになったのは、いざテルと結婚したはいいが結局義理の息子である正祐が恋しい松蔵に邪険にされ、跡継ぎの話がうやむやになったせいでもある。自分のわからない文学の絆で結ばれた妻と正祐が親しく文通を交わすのも煩わしい。だいたい、この不幸な縁談自体が松蔵によって後を継ぐ気のない正祐の代わりを見繕うために(そして近親相姦を恐れ、テルと正祐を引き離すために)用意されたものであり、決して敬一の本意ではなかった。正祐という才能ある芸術の友がいたからこそテルの才能は開花したともいえ、正祐がその才能ゆえに実家の本屋を継ぐことを拒んだがゆえにテルの縁談は訪れたともいえる。すべては相互関係のなせる業である。敬一は決して”金子みすゞの悲劇の人生”のスパイスとして、テルの才能を絶やした悪役としての一面だけ評価されるべきではない人物なのである。
 晩年の敬一は、再婚した家族に当時はまだ無名のテルの写真を見せ、テルが西條八十に認められた立派な詩人であったことを誇らしげに語ったという。

おわりに

 今まで私は金子みすゞを、夫に詩作を禁じられて失意のままに死んだ薄幸のはかない詩人だと思っていた。しかし、現実はそんなに単純なものではなかった。彼女は芸術の友、才能ある義弟との親交によってその才能を育て、その義弟との親交が原因で結果として不幸になる縁談を受け入れることになった。彼女の詩が忘れられてしまったのは詩作を禁じられたからのみではなく、大正デモクラシーに伴って起こった童謡ブームがその中心人物である西條八十の転換と帝国主義に向かう日本の潮流のなかで過ぎ去ってしまったからである。テルは芥川龍之介と彼を取り巻く死の香りに魅せられていたという描写もある。本当に彼女の自殺は夫に対するか弱い彼女の最後の抵抗だったのか? 彼女が死の直前に撮った写真は本当に娘のために遺したものなのか?
 ぜひ本書を読んで、人間として、一人の文学者としての金子テルを見てほしい。

その他些細な感想

・ご飯がめっちゃおいしそう。テルと正祐が食べた仙崎のいつもの食事も、祝いの席でのごちそうも、甘党の正祐が東京で食べたシュークリームも全部おいしそう。詳細な献立をありがとうございます。
・正祐もテルの無二の芸術の友といえるが、同じく『童話』投稿仲間でテルと争っていた島田忠夫のエピソードもアツかった。特に彼はテルと比較して作品が洗練されていくのが目に見えるようで、テルの焦りと本物の才能に出くわしてしまった震えを追体験するようだった。
・正祐がテルの縁談に対して反対の手紙を送りまくるシーンは非常に泣けるが、テルの真意の解釈を正祐のために嫁ぎました云々に決めつけず、お涙頂戴にしなかったところが非常に人間的でめっちゃよかった。そりゃ敬一イケメンだから好きになるよね。
・結婚したテルに「テルちゃんは平凡になりましたね」と声をかけた正祐に13枚便せん使って文句の手紙を送るテルと、その手紙を引用しまくって同じく13枚分の返信を返す正祐好き。才能のありったけをレスバに込める金子姉弟……

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