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同じ月を見ていた

令和二年の十月一日は仲秋の名月だった。
少し前に立ち寄った和菓子屋さんでは、「お月見団子」の予約を受け付け中だった。どうしようかな、と思ったけれど、結局注文はしなかった。

けれどやっぱり。
当日になって食べたくなってしまったので、とあるお店でお月見団子を家へ買ってしまった。

帰り道、普段よりも少しだけ散歩している人が多い気がした。
散歩するにはちょうどいいところがあって、その道を行くと、いろんな人が空を見上げて、月を仰いでいた。
立ち止まって、じっと見つめている。
いつもこの道をよく通っていたけれど、月を見ている人は少ない。
散歩している人も、ランニングしている人も、あまり空を見ない。
みんな、前を見ていることが多い。
もちろん、私はあくまですれ違ったその瞬間しか相手を見ていないのだけど、たぶん、ほとんどの人が意識して月を見ようとしない。
きっとせいぜい、月が明るくて、とか、空を見上げるのがもともと好きで、とか。そういう感じの人が見ている気がする。

この夜の月明かりはとても眩しくて、どこまでも照らされてしまうような気持ちがする。……太陽とも違う明るさでそっと。
太陽は直視できないけれど、私たちは、月をまっすぐに見つめられるのだ。

この季節。
少し肌寒いか、涼しいかという過ごしやすいところで。
秋の虫たちがめいめいに鳴いている。
それをはるか遠くから、私たちのいる地上へと光が差し込んでいる。

しかも、みんな、同じ月を見ていた。
みんながみんな、同じものを見つめることって、本当に少ないと思う。
眩しいと思ったのか、きれいだと思ったのか、はたまた、明るいと思ったのか。
今日は十五夜だ、とわかっている人もいたろうし、お団子にすすきを用意して準備万端、と構えて月を見上げている人もいたかもしれない。

月を仰いだ人たちのその後ろで、月を写そうとスマホのカメラを構えた私は不思議な気分になった。

同じ月を見ている。

そのことがなんだかとてつもなくすごいことで、なんだかとてもいとおしくなって、私は胸の辺りがあたたかくなったような気がしたのだ。


昨日は十五夜だったけれど、満月なのは今日。もしよければ、空を見上げてみてください。
きれいな月が浮かんでいる。

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